第三部_海の見える町
「魔女の宅急便」のメインテーマよりタイトルをいただいております。
港町の風景というより、私の思い描く港町のイメージにより町の雰囲気などつくりました。
◇海の見える町
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……あぁ、眠いなぁ。
お気に入りの席に着くなりテーブルに突っ伏して、彼女はここ一月の間にすっかり口癖となっていた言葉を呟きました。
一月前といえば、遠く離れた王都で革命が起きた頃です。王が倒れたことについては彼女も聞き及んでいました。田舎の小村連合が王の正義を覆すなど、珍しいこともあるものだと感心したものです。
しかしながら港町で船長として船を操り、人や物を運ぶことを生業とする彼女には、指導者の交代などあまり関係のない話でした。彼女にとって重要なのはあたかもそれをきっかけとしたかのような荒天で海が荒れ、仕事がなくなってしまったことだけでした。
……女王様の祟りかねぇ。
……怖い、怖い。
彼女は今までどんなに荒れた海に出ても帰港できなかったことがなく、熟練の船乗りたちからも一目置かれる女船長です。本来であれば海が荒れたこのときこそが一番の稼ぎ時に違いありませんでした。そんな彼女が手持ち不沙汰になってしまったのはひとえに、毎度の航海において彼女が安全を保証できるのが自分の身と所有する船だけであるためでした。海に出て心躍る航海をしたいだけの彼女にとって乗客や荷物のことなど、言ってしまえば、そのついで。知ったことではなかったのです。それ故に操舵の腕は確かでも、商売人としての彼女の信頼は決して厚くはありませんでした。大事な荷物や生命を危険に晒してまで荒れた海に出ようと思う物好きなど多くはないのです。
だから海が普段通りの姿を失った今、彼女に仕事の話が舞いこんでこないのは至極当然のことでした。そして仕事がない以上、昼間から酒場に入り浸ったり惰眠を貪ることであり余る時間を消化するのもまた至極当然のことでした。
――大丈夫。じきに面白くなるさ。
頭の中であっけらかんとした調子の、若い女の声が言いました。彼女がもう一人の自分と呼ぶその者はいつだって楽観的な意見を与えてくれる、彼女にとっては少し迷惑な姉です。
……じきって、気楽に言ってくれるけどさ。
――オレが今までお前に嘘をついたことがあったか?
……星の数ほど。
――今回は大当たりさ。ほら、妙な匂いがするだろう。
……匂い?
彼女は寝そべったままで胸一杯に空気を吸いこんでみました。
普段通り、潮と酒以外の匂いなどありません。
……でも、たまには起きてこうやって「何か」を待ってみるのも悪くないかもしれない。
彼女は呑気に考えるのでした。
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「うわ~。潮の香りがしますぅ」
住み慣れた村と違う空気に、一歩先を行くお手伝いが歓喜の声をあげた。
目指している港町が近づいていることは風の匂いが変わったことで何となくわかった。留守を任されることが多くあまり遠出をしない俺にも、体に直接感じるそれは地図などよりよっぽど頼りになる目印となっている。魔女を救うという大義を掲げた旅とはいえ新鮮な雰囲気には心躍るものがある。陽気にハミングなどしながらステップを踏むスミ子も些細なこと――浮かれ過ぎて転びそうになったところを間一髪助けてもらったのだ――からイヴと仲直りを果たし、人間関係も出立当初に比べれば良好だ。目的地に近づきつつあることはその事実だけで真っ黒な空の醸し出す憂鬱さも、いくつもの町を経由し続けてきた長旅の疲れも薄れてしまうほどなのだった。
尤もそんな浮き立つ気持ちも、実際、町に着くまでのことだった。
「……暗いな」
期待とともに訪れた俺にはそれ以外の何も言えない。
親たちや、同じく世界を旅して回っていたイヴから聞いていた話では、ここは活気に溢れた町だったはず。それが現実はどうにも正反対。人通りは少なく、窓は悉く閉め切り。どんよりした空気ばかりが漂い、活気など「か」の字も見当たらない。
兎に角船着き場を探そう――俺は見ているだけで気が重くなりそうな陰鬱な町へと勇気とともに踏み出す。真っ昼間から酩酊中の者たちが浮浪する大通りを抜け足早に港へと急いだ。
「……ここも、あまり代わり映えしませんね」
入り口の様子からも何となく想像はついていたが、お手伝いの言う通りの様子で、残念ながら港も例外ではなかった。普段であればそこは幾艘もの貿易船が並び、積荷を運ぶ者がせわしく行き交い、取引に難航する船主たちがそこかしこで張りあげる荒々しい声の絶えない場所だったという。船乗りたちの間で「邪魔だバカ野郎!」「何だとこの野郎!」が喧嘩の文句ではなく挨拶として平然と成り立つような、そういうこの土地の人間にしか通じないような独特のルールも含めて賑やかな場所だったという。
それが今は――中型の船が数隻並んでいるだけで、行き交う水夫の姿もない。それもそのはず、遠くからでは眠っているように見える海も、近くで見れば荒れも大荒れ。とても船が往来できるような状況ではなかったのだ。
「坊っちゃま……本当に船なんて出してもらえるのでしょうか?」
とはいえ、頼まないことには出してもらえないことだけは確かだ。まずは行動、と俺たちは船舶所のすぐ近くにある酒場を訪れた。
酒場は悪天候の影響で仕事を失った船乗りたちの溜り場になっていた。俺たちは早速、昼間から安酒に浸る男たちに手当たり次第に声をかけてみたのだが……結果は、あまり芳しくなかった。遠慮や辞退の名を借りた拒否の連続。命知らずの海の男たちとて死にたがりとは違うのだ。
「海神さまもお怒りのこの時分に海に出たいなんて、さてはお前たち、訳ありだな」
そんな中――誰も彼も話しかけてくれるなとそそくさ背を向ける中、逆に声をかけてくる男があった。
「それだけの覚悟があるなら頼んでみろよ、アイツにさ」
「……アイツ?」
そうして俺は彼女の存在を知ることになる。
聖なる十字架と呼ばれる、命知らずの女船長のことを。




