第三部_眠れる王女と彼岸の花
ホウライという名前を使ったのには二つの理由があります。
一つは理想郷「蓬莱」から。もう一つは「エウノミア」「エイレネ」「ディケ」たち季節神の複数形が「ホーライ」だったことです。
尚、創造主クローソーとは、一説に衣服(Cloth)の語源となった女神の名前です。大学では家庭科教育を専攻していたので、そこから使わせていただいています。
【第三部】
◇眠れる王女と彼岸の花
どうして、こんなことになってしまったのだろう――その声は多分、自分以外の誰にも聞こえない。
時の経つのは早いもので、あれからもう一ヶ月が過ぎていた。あれ、というのは俺たちが起こした革命のことに他ならない。一ヶ月という時間はだから、俺たちの手によって王が倒れてからの時間であり、人々が新しい平和とともに歩き出してからの時間であり――そして、魔女が目覚めることのない眠りを続けている時間でもある。
王都での戦いにおいて振り下ろされた刃は魔女ではなく、彼女の持つ魔銃を目がけたものだった。だから実際にその直撃を受けたのは銃だけで、彼女はまったくの無傷で済んだ。しかし邪悪な意思が姿を消すとともに倒れた魔女は、それきり一度として目を開けていない。戦いの傷がすっかり癒えた今もまだ、原因もわかっていない。
戦いの後俺はユーリイと、イヴと名乗ったかつての暗殺者から魔女の過去と、彼女とネージュの間に存在する時を超えた因縁について聞かされた。それによって俺は魔銃に刻まれた文字の意味やエウノミアにこだわる彼女の正義の背景を知ることとなった。村を滅ぼしたという言葉の真意など、彼女が積極的には語ってくれなかったことが、ネージュという怨念を基点に漸く繋がった。彼女が「魔女」などではなく、ただ一人の、普通の少女であることも、俺は遅まきながら理解した。しかしそれを知ったことに今更、何の意味があっただろうか。こうなってから魔女の生い立ちやネージュの存在を知ったところで彼女が目覚めるわけではない。もっと早く聞いていたら、と彼女の背負う過去に踏みこまなかったことを悔やみこそすれ、何の解決にもなりはしないのだから。
「……俺たちは、いつまでこうしていればいいんだろう」
誰にともなく呟いた。
今日も俺は、俺たちは魔女の部屋に来ていた。心臓が止まっていないだけの、呼吸を繰り返すだけの生存を続ける少女を前に、すこぶる重い空気の中、俺にはそれを口にしたところで誰からも答えが返ってこないことはわかっていた。現に自分たちが彼女を見守る以外に何もできずにいることがその証拠だ。だからそれを口にすることが余計にこの場の雰囲気を暗くしてしまうこともまた、わかっていた。わかってはいたが、それでも言わずにはいられなかった。何より、沈黙が苦しかった。
ユーリイは小さく舌を打ち、スミ子はばつが悪そうに俺から目を逸らす。部屋の隅に立つイヴは無反応。改めて訪れる沈黙――この一月の間に幾度となく繰り返されてきた、すっかりなじみの風景だ。そこに今までと違うことがあったとすれば、それは今日に限って、再び訪れた沈黙を破って一つの声があがったことだ。
「何だっけあの花。確かその蜜には死者の魂を現世に呼び戻す力があって……」
一つだけ生まれた声――そうだ思い出した、ヒガンバナだ! その主はつい三日ほど前、妻とともに五年半に亘る長旅から帰還した俺の父だ。皆の視線を一身に集めながら当の本人はしかし、誰とも目を合わせてはいない。まったくの無自覚であることが本当に恥ずかしい話なのだが、考え事をするとき、その内容を口に出してしまうのが旅から帰ったこの父親が新たに身につけてきた癖なのだ。
「この子の命の灯はまだ消えていない。けど多分、効果はあるはずだ。目覚めないのは体ではなく心の、魂の問題だから。だから彼女の魂と交信してその原因を取り除くことができれば目覚めさせることも不可能じゃない。……はずだけど」
「その話は本当かっ!」
思わず父に詰め寄った。その拍子に一冊の本が、足下に転がった。『彼岸の花に関する考察』――と名に負うその本はエウノミア王国のある西大陸から遙か海を隔てた南大陸における研究考察書だった。どうやら俺たちの事情を察して、探し出してくれたものらしい。本には古代に端を発するヒガンバナに関する言い伝えや効能などが記されていた。ただし文献は、その花の存在はあくまで伝説に過ぎないとし、その生育地を不明としている。仮に実在していたとしても、現代にその花を用いる風習が残っていない以上既に絶滅してしまっているのではないか、という不吉な言葉で結ばれていた。
「で、でもまだ可能性がゼロと決まったわけではありませんよね!」
場をとりなすようにお手伝いがパン、と手を合わせた。
「港町に行きましょう! 海を渡るんです!」
その言葉を合図として俺たちは、静かに頷き合う。やる前から無駄だと諦めてしまえるほど、ここに集まった者たちは魔女に対して薄情ではない。ユーリイだけではない、俺たちだってもう立派な関係者だ、先の戦いで魔女が力を貸してくれたように、今度は俺たちが彼女を助ける番なのだ。それに――変化のない退屈な日常に目的を得て興奮を覚えたのは皆同じのはずだ。
「あたしは行かない」
そうして盛り上がりつつある皆に、意外にも水を差したのはユーリイだった。姉のお前が行かなくてどうするんだ、とはこの場にいた誰もが感じたことだと思う。だがそれを口にする者はない。寝たきりの妹をいたわるように眺める彼女こそ本当は一番に行動したいに違いない。ただそうしたいのは山々だが、苦しんでいる妹を残しては行けないジレンマがある。
二人を引き裂くことはとてもできそうにないというのが俺の判断だった。仮に連れ出したとしても、ユーリイは妹が気がかりで身も入らないだろう。ならばここに残り、有事に備えつ留守を預かってもらう方がお互いのためになる。
……となると、だ。
「メンバーは俺とコイツと……スミ子、まさかお前は」
「はい。勿論行きますが……」
前向きに答えながらスミ子は、そっとイヴに目を遣った。何を隠そう魔女が倒れた際、俺でもユーリイでもなくこのお手伝いばかりを、イヴが責め立てたからだ。理由もわからぬまま一方的に怒鳴られたスミ子は、それはもう大泣きに泣いた。そしてそのときのことが心の傷になっているのだろう、一月が経った今でもイヴをあからさまに避けているのだ。俺は二人が――イヴのヤツはどうだか知れたものではないが――そのように気まずい関係であることは百も承知している。だがそれ以上に、一度は自分を狙ってきた者と二人きりで旅をするなど絶対に嫌だと思っている。
「決まりだな」
だからこそ小心者のお手伝いの気が変わらない内にと、スミ子の視線に気づいたイヴが何かを言いかけたのを遮って俺は結んだ。そうと決まればすぐにでも出発したいところではあったが、それはなかなか性急であった。久方ぶりに息子と再会した両親の要望もあり、出発は明朝ということになった。
「少しいいか? 聞きたいことがある」
夜、旅の準備に余念がない俺をイヴが訪ねてきた。この家に身を寄せていながら彼がそうするのは初めてのことだ。革命が成されたことによって敵――刃を交える相手でなくなったのは確かだが、俺はその素性など詳しく聞いているわけではない。今だって名前以外殆ど何も知らない。ともに旅立つにあたり、この機会に一度話してみたいところではあった。こちらからの疑問に答えてもらうことを条件に、俺は承諾する。
イヴは早速質問を口にした。
「あのスミ子、という方はいったいどういう御方なんだ?」
彼なりの、肯定の意思表示でもあるその問いかけを受けた俺の口からは「は」と思わず間の抜けた声が出た。わざわざ部屋にまで来たのだ、どんなことを聞かれるかと覚悟していたのに、それがまさかお手伝いのこととは拍子抜けしてしまう。しかしイヴの表情は真面目そのものだ、俺が、その質問が単純な好奇心からではないと察するまでに時間は必要なかった。以前魔女に対してそうしたように、お手伝いが十年前に家の庭に倒れていたことや記憶喪失であることなどをすっかり話してやった。
イヴは、正直何の面白味もないヤツだった。嘘ではないだろうなと言わんばかりの真っ直ぐな瞳で俺に向かい、始終冷静であり続けた。が、お手伝いが記憶喪失だと知ったときだけは驚きを隠さなかった。その変化は二人の間に何かしらの接点があると確信させるには充分なものだった。しかしそこで「お前はアイツの何を知っているのだ」などと聞き返してしまっては元も子もない。一つの質問を受けたなら、それに対する質問もまた一つ――等価交換の不文律だ。発言は慎重に選ばねばならない。
「お前の狙いは何だ?」
俯き、ともすれば思考の海に沈みかねない相手を呼び戻すよう俺は言った。イヴの眉間に小さなしわが寄ったので、理解を助けるように、こう重ねる――以前は命を狙っておきながら、今は逆に協力するなどいったいどういう風の吹き回しだと。
「深読みはするな」
イヴは俺の目を見ずに答えた。
「僕はアメリア様を助けたい。それだけだ」
言うなり、もう話すことはないとばかりに背を向ける。だが俺はそれを引き留める。まだ納得できていない。それはコイツが俺の命を狙ってきた説明にはなっていないのだ。それを指摘されたイヴは背を向けたままではあるが、律儀にも足を止めた。そのまま長い沈黙を挟んでから漸く、口を開くことには、
「革命の首謀者であるお前を斬ればアメリア様は争いから遠ざかると思っていた。だからだ」
言葉少なくもイヴはそして、あの場で退いたのは彼女に目撃者になって欲しくなかったからだと続けた。彼の態度に、魔女に対する一種の執着を俺は見て取った。しかしその背景を尋ねる前に今度こそイヴは部屋を出ていってしまっていた。慌てて呼び止めたものの用が済んだ彼を引き留めることはとうとうできずに終わる。
だから俺は――、
お前はあの戦いの結末を知っていたんだろう?
魔女が再起不能に陥ることを知っていたんだろう?
だから俺を狙ってきたんだろう?
その後続けるつもりだった言葉を一人口の中だけで呟く。スミ子との関係も含め他にも聞きたいことは尽きないが、この場はひとまず妥協する。最低でも魔女が目覚めるまでの間は彼が敵になることはない。それがわかっただけでも旅の不安は一つ減ったのだ。
作業を終えベッドに身を横たえると、慣れない相手と話などしたから、余計に疲れてしまったのだろう、すぐに眠気が襲ってきた。イヴの言葉からもっと考えるべきも考えなければもあったはずなのだが、睡魔には逆らえず、俺の意識は間もなく沈んでいった。
翌日の天気は生憎の曇り空だった。山からは湿った風が吹き降ろし、少し肌寒くもある。未明から朝まで降り続いた大雨の影響で地面はぬかるみ、新鮮なはずの朝の空気はどことなく生臭い。すっかり眠りこけていた俺は気づかなかったのだが、昨夜は大きな地震もあったらしい。そんな旅立ちの日にお誂え向きといかないどころか前途多難を思わせる不吉な朝に、俺は旅立つ。魔女を救う力、「ヒガンバナ」の存在を信じて。




