第二部_クイーン・ナイトメア~A・L・E(・Q)
アメリアが母の亡霊と戦う場面です。
製作当初は主人公が亡き幼なじみと戦う場面でした。が、怒りに支配されるアメリアを際立たせるために、アメリアが母と戦うシーンに変更しています。
◆クイーン・ナイトメア~A・L・E(・Q)
純白のドレスに身を包んだ、一見して清楚な黒髪の乙女。年は十五か、十六歳。その姿を目にした十人が十人、満場一致でそれを認めること必至の見目麗しい少女――。
ユーリイ始めスミさん、ジークさんは現れた人を見て首を傾げているに違いない。当然だ、わたし以外の人間が彼女のことを知っているはずがない。王だってきっと、あの人が誰かなんてわかっていない。
あれは思い出だ。わたしの心の中にある、大切な思い出を王はあの水晶の力で具現させたのだ。他の皆にも大切な人はいるだろうに、この選択。ただの人でなしかと思ったけれど、何の因果だろう、意外とアジなことをしてくれる。心躍る。とはいえわざわざ感動の再会を提供するためにこうしたわけじゃ、多分ない。だって舞台は血の海、死体の山のど真ん中だ。つまりはこれが――王が近衛騎士たちを屠った業。自分の手を汚さず本人とその大切な思い出で殺し合いをさせよう、って寸法なのだ。
戦うのか……辛い。やればあの人が傷つくことになる。そしてわたしの胸も痛む。でもやらなければわたしが一方的に命を失うことになる。そんな算段だろう――面白い。ますます心躍る。
ジークさんたちはわたしのことを深窓の令嬢みたく思っているらしい。残念だけど、それでは三十点。色々知っているユーリイの知識を合わせても、わたしという人間に対する理解はまだ八十点。残る二十点分のわたしとは何か――それは、全力で戦いを愛するわたしだ。好みで言えば勿論、戦いなんて大嫌い。でも戦いの空気に、臨場感に体は勝手に反応してしまう。そしてそれに心が応えてしまうのを抑えることはできない。仕方がない、そういう血筋なのだ。本当、遺伝ってつくづく恐ろしい。
「……」
少女と目が合う。睨んでいるわけではないけれど、彼女のあれは間違いなくわたしを狙っている目。最終的には皆を始末する予定だけれど、その先陣をわたしで飾ろう、っていう目。だってわたしの思い出なのだ、それぐらい当たり前。いや、それでなければ困ってしまう。
――あ。
決して呆けていたわけではないけれど、気づけば彼女が、目の前で拳を構えていた。狙いは勿論先手必勝、もしくは必殺。がら空きの腹部に拳の一突き。間一髪のところでわたしはそれを、受け止める。相手が相手とはいえ、まともにくらってしまうようなことがあってはならない。ましてやたった一撃で動けなくなっては魔女の名折れだ。
――さて。
向こうから仕掛けてきたものを、やり返さない道理はない。わたしはすかさず反転攻勢――躊躇なく全力の鉄拳を頬に叩きこむ。こちらは完全に直撃。反動を利用して大きく跳躍し、少女は一度わたしと距離を取った。
顔が命――というのは、あくまで比喩の話だ。一撃を受けたからといって、そこであっさり消えてはくれない。わかりきってはいたことだけど、残念がっている自分を感じずにはいられない。そんなわたしを後目に、最早痛みもないのだろう、少女の顔には微かな笑みがある。
(イカレているわね)
頭の中で声がする。まったくもってその通りだと、わたしはそれに同意する。でも多分、人のことは言えない。わたしも同じ顔をしているはずだから。
「……」
口元を拭った、少女。その背中に光の翼が広がった。象徴――今の世ではわたし一人だけに赦されているそれは、女神様の恩恵。つまり彼女は本気を出したわけだ。因みにわたしは最初から本気でいる。これで漸く、わたしたちは同じ舞台に立ったことになる。欲を出すならついでに声も出してもらいたいところではある。無言でいられるのは何となく怖いし、折角の戦いが味気なく思えてしまう。
周囲を窺うと皆、彼女の変化を目の当たりにして驚いている。ユーリイはそろそろ、彼女の正体に気づいたろう。ジークさんたちは恐らく無理。名前は知っているはずだけれど。まぁ、何だっていい。ここで言えることは一つだけだ。
「わたしがやります」
三人を一睨みして制する。どうか助勢だなんて、そんな真似だけはしないでもらいたい。例えば竜退治は騎士の、悪魔退治は退魔師の仕事――大昔からの決まり事だ。では性懲りもなく現世に甦った親をあの世に送り返すのはというと、勿論、子の務めということになる。それに、死んだ母親と拳を交える機会などそうそうない。こんな楽しいことは独り占めしなければ損というもの。
ただこれは、勝負としては分が悪かったりもする――死者は永遠、だから。因みにここでの永遠は終わりがあるという前提がある上で、数限りないこと。時間ではなく距離や物量にこそ相応しい言葉だ。彼女は人間の、少女の形をしているから、その容積分しか力を発揮することができない。この点――出力に関してはわたしと同じだ。決定的に違うのはやっぱり生者、死者の関係。戦う度に疲労するわたしに対して、死によって保存された彼女の力は、増えもしない代わりに減りもしない。排出量が決まっていながら、貯蓄においては無尽蔵というわけだ。この勝負は喩えるなら大雨の日に雨樋を流れてくる水に向かって、反対方向からコップ一杯の水をぶちまけてやるようなもの。勿論わたしがコップ。
まぁ、だから何だというのだろう。やれるかどうかではない。やるのだ、わたしは。
風が唸る――再び距離を詰めてきた少女が、拳を振りかぶる。表情には出さないけれど、先程の一発は少なからず癇に障ったらしい。流石に速い。対して、元々避けるつもりもないわたしは足を止めたままでいる。相手の方から向かってきてくれるのだ、迎え撃たない手はない。
直後、跳躍の勢いそのままに相手が振り下ろした拳と、わたしの振り上げた拳が正面から激突する。鈍い音とともにお互い弾けて、その衝撃に腕まで痺れが来る。避けておけばいいものを、わざわざぶつけてしまうあたり、わたしもかなり酔狂だ。残念ながら今の激突ではわたしが僅かに押し負けたけれど、仕方ない、相手に助走がついている分こちらが不利だった。
痺れる手を引っこめる。上体は崩されても、下体はしっかり踏ん張る。上体を下げ、膝は曲げたまま始動する。遠心力を味方につけてしなるように――理屈ではなく体が知っている。彼女から受け継いだ戦士の遺伝子がそれを理解し、体現するために動く――。
今度は脚と脚が、交叉する。偶然でそうなったなら親子としては相性抜群と言える。実際のところは一つ覚えで顔を狙ったから、見抜かれてしまったのだ。でもわたしが衝撃を受けたのはそこではない。自分が……押し負けていることにだった。
(違ったのよ)
ええ、そうね――わたしは頭の中の声に同意する。情報は修正される。わたしたちは、互角ではない。拳と拳、脚と脚――交わるその一瞬間でさえもわたしたちは、対等ではなかった。それどころか恐らく、最初から両者の出力も対等ではなかったのだ。
そう――もう、そんなところまで。
感傷に浸る視界に、押し切った少女の背中が映る。我に返ったわたしの頬に鋭い痛みが走る。否応なしに血の海に飛びこまされ、わたしは殴られたことを知った。痛み以上に感じる怒りに、女の敵はやっぱり女であると実感する。
見物人たちからわたしを呼ぶ声があがる。黙りなさいとわたしはそれを一睨みする。あなたたちの今の仕事は、順番が変わらないよう存在感を消すことだ。体勢を直しながらわたしは、憎むべき「敵」を見据える。対象はというと、間髪入れずにたたみかけてくるかと思いきや、ご親切に動かないでいてくれている。
「――――シテ」
微かに動いたのはその口。距離はあったけれど、不思議と一語一句はっきり聞き取れたその言葉は――ずばり、こうだ。
ドウシテ、ツカワナイノ?
余計なお世話だと、聞こえないだろうけど、わたしは呟く。確かにケモノの力を頼れば勝負は一瞬、わたしの勝利で終幕だ。でもそんな呆気ない幕切れ、わたしは認めない。もう人間相手にケモノを使いたくない――戦いらしい戦いをして勝ちたいのだ、わたしは。この期に及んでそんなことを言っている場合ではないけれど、これだけは譲れない。何故って、わたしは生まれついての戦乙女だから。彼女自身が言ってくれたことなのだ、忘れたとは言わせない。
でも順当にいったら、意地を張っている内に、わたしはきっと死んでしまう。目的も果たさずにそんなことになったら、それは魔女として重大な契約違反になる。
ではどうすればいい。
どうする、どうする。
コンマ一秒の世界でわたしは、そして極限に至る――。
――あぁ、そうだった。
忘れていたのは、わたしの方だった。わたしは、この人の最期を知っている。言い換えてそれは即ち、彼女に勝利するための方法がわかっているということでもある。それがわかれば――手を伸ばしたホルスタにケモノを掴み、わたしはそれを放り投げる。これは不要、ここでは無粋な存在だ。は、と疑問符丸出して驚愕する敵味方を後目にわたしは、同じ言葉で微かに笑う。上等だ。今からわたしがやろうとしていること、それをどうして笑わずにいられようか。わたしは雨水を止めるのではなく、雨雲自体を吹き飛ばしてやろうというのだ。
力量がはっきりしている分、成功率に関しては悔しいけれど、残念ながら、運次第ということになる。でも心は踊る。勝負とはやはり、こうあるべきだ。わたしはそれに望みを賭ける。
さぁ、ここからが本物の勝負だ――意気込み新たに立ち上がった。
……とは、いうものの。
間もなくわたしを手放しで迎えてくれた現実は、これでもかというほど現実だった。こちらの攻撃などかすりもしない上に、向かっていけばいくだけ手痛い反撃を浴びせられる。正攻法で戦ったのでは勝てないからこその賭けだけれど、やっぱり賭けは賭け。分は相手の方にある。
でもわたし自身、その中で決定打と呼べるものを受けてはいなかった。理由は一応、予想もついている。亡霊だろうが何だろうが、この人はわたしの親なのだ。親としてわたしに望むものがあるってことだ……付き合ってはいられないけど。
とはいえ――正直、わたしはもう限界だった。
これまで幾度となく繰り出されてきた拳を受け止める。両手を使って、かろうじてそれをするのが精一杯。ただ受け止めるといっても膠着するまでもなく押されつつある。こうして足を止めて力比べをしてもらえるのは本来、わたしにとってまたとないチャンスだった。チャンスのはずだった。ただ今の今まで何をやっても上をいかれていた者が急に逆転なんてできるほど、世の中甘くはない。子どもだって知っている。
「…………ホラ」
わたしを見つめる彼女の瞳がみるみる憐れみの色に染まっていく。素直に耳を傾けていればよかったのに――そう、言いたげな目だ。
悔しい。
思い通りにいかないのも、やられっ放しなのも、憐れまれるのも、すべてが悔しい。ここさえ乗り切れたらもうどうなっても構わない、そのくらいの覚悟を決めて臨んでいるのに、その「ここ」という壁が高過ぎる。
敗北という言葉が、脳裏をよぎった。わたしが負け、他の皆も負け……そしてこの戦いに最悪の形で終止符が打たれる不吉が脳裏をよぎった。魔女としての責任を果たせぬまま――それでも抗う意思だけは失ってはならないと、抵抗だけは続ける。
その最中の、それはほんの一瞬のことだった。
不意に、相手の力が弛むのを感じた。理由など知らない。今大事なのはその事実だけ。そう、わたしにこの現状を覆すのに充分な時間が与えられたということだけだ。
押し返そうとしていた相手の勢いを、逆らわず右へと受け流す――考えるより早く体が動く。いなした相手の背中をここまでの恨みもこめて渾身の力で蹴りつけわたしは、倒れこんだ少女をうつ伏せに、組み伏せた。この手で彼女の翼を鷲掴みにすることによって。彼女はこれでもう、何もできない。それはわたしたちにとって心臓を握られているのと同じことなのだ。
……ふぅ。小さな吐息が漏れる。ふと血だまりの中に、ぽつんとケモノを見つけた。顔を上げればそれを投じた少年の姿が見える。これはそうやって使う物ではないけど、まぁ、助けられたことには素直に感謝しなければならない。
さて、勝負ありね――心の中で少女に呼びかける。
彼女はわたしに、一緒に死んで欲しかったのだ。一人ぼっちが寂しいから。親子だもの、そのくらいわかる。ケモノを使えってことはつまり、そういうことなのだ。
でも、それはできない。わたしにできることは、せいぜいが後を追うことだ。だってわたしの母親は一人だけだから。血の繋がりがあるだけ、思い出もロクにない人のために死んであげることはできない。そしてその姿をしているだけのこの人をただの一度きり、「お母さん」と呼んであげることも――だ。
さよなら、トレニアール。
雨雲をぶち破る――もとい、わたしの両手が彼女の翼を引きちぎる。
雲が散るように、霧が晴れるように、彼女の体は塵に帰していく。
「……はぁ」
また溜め息が漏れる。
別れはこれで三回目だけど、今回が一番辛かった。
でも、もういいんだ。終わったの。
そう、どうでもいいんだ。もう全部――。




