第二部_夜襲
主人公が命を狙われる場面です。
◇夜襲
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彼には何をおいても守りたいと思う者がありました。その者のためなら己が命を投げ出すことさえ厭わない――上辺だけの言葉ではなく、本心からそう言えるほどに彼はまた、その者のことを深く愛していました。
しかしそこには障害として立ちはだかる一つの存在がありました。
一度も顔を合わせたことはありませんが彼は、その者の名前を、容姿をよく知っています。というのも彼がこの地を訪れた目的はずばり、愛する者を守るためその障害を排除することにあるからです。
事が始まってしまった今となっては、彼が成さんとすることの意味は失われつつあります。しかし一方で「今ならまだ間に合う」という気持ちも力を得つつあります。
今更、と今なら――彼が選んだのは後者でした。結果など後でどうとでもなるのです。
ところで彼には一つ、気がかりなことがありました。標的の周囲にある存在のことでした。
何故あの方がここにいるのだろう?
このような場所で何をされているのだろう?
彼には不可解でなりません。とはいえそれに気を取られて本来の目的を失念してしまうほど彼は愚かではありませんでした。
夜風に当たるためか、標的が一人で姿を見せました。またとないチャンスの到来です。
まずは目の前のことに集中しよう。
あの方にはあの方の考えがおありなのだろうから――。
自分を納得させるよう呟くと彼は、音もなく闇に溶けていくのでした。
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戦の一日目。村が徹底した戦術はずばり、罠の有効活用に尽きた。元より準備に抜かりはない。村の周囲に築かれた防壁とその外側に掘られた落とし穴群を防衛線として俺たちは抗戦を展開した。
壁を築いたことには二つの意味がある。一つは当然のことながら敵の進軍を妨げること、もう一つは、その存在によってこちらが守る側――攻められる立場であると相手に印象づけることだ。なので防壁は実際のところさほど頑丈に組まれておらず、張りぼても多い。村が剥いた第一の牙はむしろ落とし穴の方にあった。それらの内部にはいずれも、先端を鋭く削った杭を打ちこんである。掛かった数を敵に与えた被害として確実に計上できる罠だ。自分たちを「攻める者」と思いこんで進軍してきた者たちに対してこれは実に、効果的に機能した。
数限りある落とし穴を越えてきた者へは足元、街道の石畳に石鹸水を流したり、岩や、火を点けた草束を転がしたりして足止めをした。勿論止めるだけではない。矢の雨だって容赦なく降らせもした。
村では第二の牙も潜めてあった。正面突破を避ける進路に備え、迂回路となる森の中にも落とし穴や毒物を用いた罠を潤沢に仕掛けておいたのだ。それらもまた型にはまった訓練ばかりで実戦経験のない王国側に大打撃を与えた。結果として半農半猟という生活スタイルに合った俺たちの戦い方は、敵に昼刻を待たずして侵攻を断念させるまでに至ったのだった。
続く二日目――今日、俺たちは防衛線を後退させて戦いに臨んだ。そういう作戦と言えば作戦なのだが、緒戦で罠を使いきったためそうせざるを得なかった、というのが実際のところでもあった。
敵はあまりに潔く退いた俺たちを警戒して村に近づこうとしなかった。まぁ、当然と言える。俺たちはその選択をさせる、即ち牽制するために昨日全力を注いだのだ。では近づかずに済ませるならどうするか。きっと若い指揮官でしょう――とスミ子が推測した敵指令の判断は、村に程近い山の上からの砲撃だった。前日の迅速な撤退はその支度のためでもあったらしい。三十人ほどを砲撃隊に割き、残りは砲撃開始を待って村に攻め入る、もしくは炙り出された村人たちを狩る。実に合理的な作戦行動だ――敵方にとって残念なことに、それがこちらの想定内の行動だったというだけで。
前日ヤツらは俺たちを見くびった。田舎者にロクな作戦などないと油断したのだ。そして今日、ヤツらはまた油断した。俺たちの戦力を見くびった。それが今回も敗北を運んだのだ。
夜明け前の行軍。山に通じる道が閉鎖されていないことが、自分たちを誘いこむ罠であると気づいた者はいない。頃合いを見計らってそこに襲いかかった、ぬいぐるみ率いる動物部隊。大砲はあえなく奪取され、そのまま村の武器へ――この日も俺たちは勝利を収めたのだった。
こうして勝利が二回続く中、しかし俺たちにも失うものはあった。かけがえのない村の仲間から死人が出てしまった。やっているのがただの喧嘩ではなく戦争である以上、誰もがやむを得ないものと理解している。何人もの敵の命を奪っておきながら自分たちだけは無傷でいられるなどと虫のいい話を考えてはいない。ただやはり、家族同然に身近な人がいなくなってしまうのは悲しいことだ。
またこの戦いで俺は初めて、人を斬った。
スミ子が罠を活用する作戦を立てたのは加害者に匿名性を持たせるためだった。誰もが誰かの言い訳になる、そうすることで罪の意識を軽くしようと試みたのだ。しかしいくら避けようとしても、直接刃を交えなければならないときもある。今日の大砲奪取作戦がまさにそのときだった。獣に仲間を殺された少年兵が、自棄を起こして砲撃用の火薬に火を点けようとしたとき、俺は初めて人に向かって真剣を振るった。
化け物の体に浮かぶ人と生身の人間の死は違う。死にゆく人間は息も絶え絶えになりながら、万力のような力で敵を掴み、仇をしっかとその目に焼きつけるよう血走った目を大きく見開いたまま、無言の内に息を引き取る。自分を射抜いた憎悪の表情と、彼に掴まれた腕の痛みは夜になっても薄れてくれない。むしろ一層深く濃く刻まれつつある。それが肉体以上に精神的な苦痛となって重くのしかかってくる。
しかしそれが戦争を始めた者の宿命だ。悩む俺に誰一人、優しい言葉をかけてくれる者はない。志を同じくする集団の中に身を置いているのに、いや、集団にいるからこそ俺はつくづく孤独だった。
一番の理解者であるスミ子にも会えないまま俺は奇襲への出発を明朝に控えた夜更け、家を抜け出した。一人になって新鮮な空気でも吸いたかった。
――俺は正しいことをしているのだろうか?
考えながら少し歩き、腰を落ち着けた。
――本当に、正しいことをしているのだろうか?
正しいと信じていたからこそ俺はこの二日間を必死に戦い抜いた。戦って、敵を討ち倒してきた。しかし考えたことはなかった――いや、敢えて考えまいとしていたが、敵にだって正義はある。その正義によって守るべき家族もあっただろう。それを俺は、いったい何の権利があって踏み躙ったのだろうか? この二日間で未来のある人間が何人も死んだ。仲間も、敵も。すべては自分が王国を変えたいなどと言い出したためのことだ。だからこそ俺は考えずにはいられない――この戦争における人々の痛みも悲しみも、すべて俺のせいなのではないだろうか。
「その通りだ。お前さえいなければ本来、この戦いは起こらなかった」
頭上から耳慣れない男の声が独り言に答えた。何故頭上から――考えるより早く俺は身を引いた。微かな月光を受けて煌めく鋭い物が、既に俺を目がけて降ってきている。剣だ。ただの通行人がわざわざ夜中に、剣を手に降ってくるはずがない。考えるまでもなく敵襲だった。
かろうじてかわして俺は闇に目を凝らす。俺のいた場所に剣を突き立てたのは女と見紛う美しい顔立ちの、細身の男だ。それ以上を分析している余裕はない。相手は既に、次の攻撃に向け剣を振りかぶっている。
家の近くだというのに油断も隙もない。念のためにと持ってきた剣に、まさか本当に役目を与えることになろうとは――鞘に納めたままの剣で俺は相手の一撃を受け止める。婆やからの教えに従えば防御動作はここまで。それというのが、ヤツらが日課としているのと同じ段取りだ。
そこからが、俺が狩猟などを通して学んだ我流ということになる。鞘ごと敵の刃を滑らせ、攻撃に使われた力をいなしつつ、抜剣による反撃。勢いを受け流されバランスを崩した相手へ――。
手応えは、ない。俺の剣は空を切った。すんでのところで気づいた男が大きく跳び退いたのだ。チ――思わず舌が鳴る。どうやらこの男、実戦の空気に呑まれて動けなくなったり、嘔吐したり、奇声をあげて無闇矢鱈に剣を振り回すような雑兵とは違うらしい。
斬りかかりかかられ、かわしかわされ――体勢を立て直した俺と刺客の男は互角に剣を交えた。どちらが勝っても負けてもおかしくはない、それは拮抗した戦いだった。そうなれば勝敗を決めるのは最早、お互いの腕ではない。或いは運、或いは当人の心の弱さこそが、その要因となる――。
「お前はここで消えるべきなんだ!」
男が不意に、声を張った。
その者が気合いを入れるために発しただろう、それ。しかし俺にとってはそれだけで済まなかった。
――消えるべき。
元々この戦いの中で心身を擦り減らしていた俺だ、客観的に見てお前のしたことは間違っているのだと、言われた気がした。死ねと言われるよりそれは正直、堪える。俺を惑わせる――戦意に、迷いが生じた。
一瞬とはいえ敵からすればそれは絶好の機会だったに違いない。仮に逆の立場であったなら間違いなく俺自身もそうするように男は一手を繰り出し軽々と、鈍った俺の剣を弾く。体勢を崩され、武器をも失った俺へと容赦なく斬りかかってくるのだった。
――あぁ、これが戦争なのだ。
――そこでは個々の命に貴賎なく、死という名の終焉を前にしては誰しもが平等なのだ。
本気で死を覚悟しながら、冷静に思う自分を認識する。
だが結果から言うと俺は、傷一つ負うことはなかった。どこからともなく飛来した光があったからだ。それが踏みこんできた男の足を、剣を振りかぶった手を止めたからだった。
「やらせません」
俺の前に駆けつけた魔女が冷たい声で言う。
男の口から声にならない声があがった。
二体一という不利な状況を受け、間もなく男が取った行動は明快だった。俺を忌々しげに睨みつけると速やかに身を翻し、軽い身のこなしで闇に姿を消したのだった。
こうして一つの危機は去った。俺はまた、魔女に助けられたのだった。
「魔――」
敵を闇の彼方に見送った魔女。そこで振り向いた彼女と目が合った瞬間、礼を言おうとした頬に痛みが走った。懐かしい痛みだ。
「敵に遭遇したら助けを呼ぶのが決まりのはずです」
平手打ちをしたその格好のままで魔女は言った。
「わたしが来なかったら死んでいたのですよ。自分の立場がわかっていないのですか」
「俺の、立場……」
……そう、だった。今の俺は仮にもこの革命の主導者、その身は既に最果て村の一少年では収まらない。名前を知られていようがいまいが、主導者の死は戦の発端であるステラ村の、ひいては連携を取る周辺の村々の士気にも関わる。俺たちが明日、敵のそれを企てているように――だ。そう……危うく俺は、俺自身の迷いによって、俺自身の目的を頓挫させるところだったのだ。
「……何か、思うところがあるようですね」
歯切れの悪い態度をそう受け取った魔女を、俺には否定する理由はない。俺はこの戦いについて思うことを、あの暗殺者に言われたことともに話すことを選んだ。
「確かに、その人の言う通りです。あなたが変化を求めなければ、自由を望まなければきっと、この戦いは起こらなかったことでしょう」
黙って話を聞いてくれた魔女は、俺が終えるのを待って、ゆっくり口を開いた。
「お前も、俺を責めるのか?」
「あなたがやらなければ、誰も何もしようとしなかった――それだけのことです」
それ以上の意味はないと、魔女は首を左右させた。
「この国はまるで箱庭です。誰も彼も自らは何も求めようとせず、王がいいように定めた秩序の下で道化を演じ、上っ面だけの平和を享受し続けるだけの退屈な場所です。本来、各々の良心によって守られるべきであり、強要されるものではないはずの秩序が当然のように受け入れられていた理由が、あなたにはわかりますか?」
「いいや。お前にはわかるのか?」
「あくまで私見ですけどね」
謙遜のためか断りを入れてから魔女は、
「きっかけですよ。本気で変化を望み、本気で行動を起こす指導者がいなかったから、現状を受け入れざるを得なかったのです。そんな人々が、痛みを伴ってでも新しい在り方に向けて歩き出すことができたのはやはり、あなたの存在があったからだとわたしは思います。どうして責めることなどできましょう。そこにあなたが責任を感じるのは自惚れというものです」
「自惚れ?」
「あなたに感化されたとはいえこの戦いは村の総意のはずです。所詮子どもの言うことだと切り捨てることもできたし、嫌なら逃げ出すことだってできたのです。なのに人々は戦いを選択しました――各々が戦いを必要と判断したからです。あなたの考えは自ら戦いを選んだ人々に対する冒涜ではありませんか」
自惚れに、冒涜……魔女を前にして俺が感じていた重荷はいとも簡単にその意味を失う。他の人間が相手だったらきっと、こうはいかない。村の仲間として俺の苦しみを全力で理解しようとするし、その上で全力で支えてくれる。正当化してくれる。嬉しさの反面、その気遣いがかえって負担になることを彼らは知らないのだ。だが魔女は違う。擁護せず、かといって責めるわけでもない。代わりに悩む行為こそがそもそも間違いだと言う。これは――励まされているのだろうか。
「でも、その悩みも今日でおしまいです」
魔女の声で俺は、我に返る。
明日はきっと成功させましょう――励ますように言う彼女の顔には笑みがある。勿論明日の作戦は何があっても成功させる。王を倒し自由を取り戻す……それこそ俺が望んだ目的の達成でもある。ただ「その後のこと」を彼女は、どれだけ重く考えているのだろう――俺にはわからない。
初めて俺だけに向けられた笑顔は悔しいほどに可憐で――。
そしてそれを上回って、不気味だった。
久しぶりに再購入しました『PEACE MAKER鐵』がマイブームです。
揺るぎない信念を持った人間たちの、滅びの美学を感じます。
……深読みし過ぎですかね。




