第三話 スタート五分後
第三話 スタート五分後
『鬼が一体、撃破されました』
『鍵を入手しました』
至るところにあるスピーカーから、重要情報が伝えられてくる。
「早っ! 鍵見つけたってよ、凡、虚無、あんた達、何やってんのよ!」
誰よりも役に立たない夢乃が、呆れた様に司に怒鳴ってくる。
「お前こそ何やってんだよ。って言うか鬼って撃退できるんだな」
真面目に鍵探しをしている塔子には申し訳ないが、司は夢乃と同類と言えるくらい役に立っていない。
誰よりも真面目に探している塔子と、司と夢乃の相手をするのに疲れたのか神之助も鍵を探しているというのに、司と夢乃は文句ばかり言っている。
主に夢乃が愚痴り、司が煽っているのだが。
「まだ始まって五分くらいだろ? 勝負強い奴っているんだな、大したもんだ。誰かと違って」
「本当にねえ。こっちにはいても役に立たない凡人の中の凡人と、いるんだかいないんだかも分からない奴じゃ勝負にならないわね、神ちゃん」
確かに気位ばかり高くて、文句ばっかり垂れてるJKも何も役に立たない。
「でも、参加者が少ないほど『鬼』が参加者の中に混ざってたら、難しくなるだろうね」
神之助が鍵を探して言う。
「どうして、神ちゃん?」
「馬鹿か、お前。お前、馬鹿なのか?」
「あ? 何よ馬鹿」
夢乃と司がにらみ合っているのを、神之助が止める。
「まあまあ、参加者が多いと隠れている鬼の情報はすぐに広まるけど、参加者が少ないと失格にされた目撃談が減るでしょ? 百人くらいなら、一度も目撃されないかもしれないね」
「いやーん、神ちゃんスゴーい」
夢乃がくねくねしている。
(やっぱりエロいな、この女)
「でも、都市伝説級の鬼だったら司くんの出番だね」
「何でだよ。どう考えたってミスキャストだろ? 梶山呼べよ」
「ううん。司くんがホントは凄いって、僕は知ってるから」
神之助が照れた様な顔で言う。
超可愛い。
これで男なのが残念の極みである。
「鍵、見つかりませんね」
「そうですね。塔子さん、喉渇いたりしません?」
「いえ? 私は大丈夫ですよ?」
塔子は首を傾げている。
彼女とは不思議なくらい噛み合わない。とはいえ、悪意は無いので嫌な気はしない。そこが夢乃と塔子の違いだろう。
「凡、私は喉が渇いたから買ってきて」
「金くれ。定価の五倍で買ってきてやろうじゃないか」
「馬鹿なの? 凡のくせに馬鹿じゃないの?」
二人で口論しているしているところ、アナウンスが入る。
『鍵が破損しました』
「マジで? 聞いたでしょ、凡。あんたが何もしていないから、九本しかない鍵が八本になったって事よ? この重要さが分かってる?」
「分かってるよ、うるせーな。そう思うんなら鍵探し手伝え」
司は夢乃に言うが、この時点で嫌な予感を感じていた。
ルールには書かれていないが、一本の鍵でクリア出来る人間の数は書かれていない。一本の鍵を持ったグループが扉を開けて脱出しようとした時、一本の鍵でクリア出来る人は一人ですと告げられた時、それはすんなり決まるものなのか。
それで争った結果、鍵が破損した。
それでツジツマは合いそうな気はするが、あくまでもツジツマを合わせようとして考えようとしているだけだという事は、自覚している。
しかし争いになった結果、鍵が破損する事などあるのだろうか。
クリア出来ない側になった者が、勝った者を勝者にしない為に鍵を破損させて無かった事にするとは思えない。
グループで参加しているとしたら、一人でも勝者が出た時点で全員がリタイアして豪華賞品を山分けすればいい。逆に残ったメンバーがさらに鍵を見つけて脱出出来れば、さらなる豪華賞品を手に入れられる可能性もある。
鍵を破損させる様な問題が起きるのか?
司はルールを改めて見る。
「どうしたの、司くん?」
「ひょっとするとこの」
司が神之助に言いかけた時、中央広場の方で轟音が響く。
「きゃあ!」
と悲鳴をあげたのは神之助である。
「先を越されたぞ、神無月。お前もビビッてんだろ?」
「はあ? 凡とかと一緒にしないでくれる? あんたこそ、超ビビってたでしょ。飛び上がってたわよ」
「ふざけんな。塔子さん、大丈夫ですよ。ビビッてないッスから」
「ホントですか? 私、超ビビってますけど」
あっさり認める塔子は、実に愛らしい。
「神ちゃん、凡が見てきてくれるから心配いらないわよ」
(しまった。聞こえる様に言ったのは失敗した。本当は超ビビってる)
残念ながら、今から本心は言えない司である。
まして塔子が見ているのであればなおの事、やっぱり怖いですとは言いづらい。
渋々ではあるが、司は中央広場に戻る。
気になったので後ろを振り返ると、驚く程近くに塔子がついて来ていて、その後ろに神之助と夢乃もついて来ている。
なんだかんだ言って、最後尾の夢乃が一番ビビってる様だ。
西側区画から中央広場の大通りに出た時、阿鼻叫喚の地獄の様な絶叫が響いていた。
これはどう考えても鍵探しがメインの宝探し脱出ゲームで聞く声では無い。
悲鳴と轟音、そして何かが倒壊する音まで聞こえてきた時には、司の足は止まっていた。それを冷やかす夢乃の声も無い。
「こ、これは一旦逃げた方が良くない?」
「神ちゃんの言う通りよ。ここは一旦引きましょう」
神之助の言葉に、夢乃が賛成する。
まったくその通り。ここは逃げの一手である。
逃げの一手である事は間違いないのだが、心配なのは中央広場に残っていた、ゲームに対して乗り気じゃ無かったメンバーの事である。
たしか二人くらい残っていたはずだ。クラスは違うし、文芸部でしか接点が無いので名前も知らない。司にとって名前を知る必要のある女子部員は、塔子一人である。
せめて安否だけでも確認しておくべきではないか。
それがどんな結果であれ、良心の呵責は少なくなる。
この時の司が、そこまで本気で考えていた訳では無い。
残暑の暑さに脳が働かなかったのか、それとも神懸かり的な勘の良さが働いたのかは分からないが、目の前の惨劇を見てもそこまで驚かなかった。
中央広場では、巨大と言って良い仁王の様な像が、同程度の大きさのハンマーを振りかぶって電波塔を倒し、さらに近くの参加者に襲撃している。
あのハンマーで殴られたら、当然人としての原形を留める事など無い。
中央広場には日常生活を送る上ではまず見かけることのない赤黒いペンキをぶちまけた跡や、人の部位の一部が転がっている。
(これは何だ? 今は何が起きてるんだ?)
司は棒立ちで現状を見ていた。
巨人はまだコチラに背を向けている。中央広場から逃げ場の無い東側へ逃げた参加者を追っているので、コチラには気付いていない。
「し、し、志神くん」
震える声で司のシャツの裾をつまむ塔子のお蔭で、司は我に返る。
「逃げましょう、ここは危険です」
まるで他人事の様に第三者視点で俯瞰出来ているが、それはただの現実逃避の可能性が高い。むしろ精神崩壊する前に、塔子に繋ぎとめてもらったと言う方が正しい。
後ろを振り返った時、司の様に神之助も夢乃も呆然と立ち竦んでいる。
このメンバーの中で、塔子が最初に我に返ったと言う事だろう。
「逃げるぞ、神之助! ここは危ない!」
我に返り、現実が急激に襲ってきたので、司は生存本能の赴くままに神之助と夢乃に言う。
とにかく、司は塔子の手を引いて走っていた。
冷静に考えれば、あの質量を誇る仁王の様な像、達哉が言うにはトールと言うらしい像が走って追ってくればその足音の響き具合で分かりそうなモノである。
だが、それは冷静になった後の事である。
気付いた時には、司達は西側区画でも小さい売店の様な建物の中に入り込んでいた。
「ななななな、何が起きてんだ神之助。どう言う事だよ」
「僕にも分からないよ。司くん、どう言う事?」
「俺にも分からないよ」
司は強引に上げたシャッターを降ろしながら、首を振る。
「塔子さん、分かりますか?」
「何が何だか、です。何が起きてるんですか?」
塔子も顔色が悪くなっている。
何かが起きている事はわかる。
それがこの『ラグナロック』の本質である事も、まったく理解出来ていないはずなのだが、何故か頭の中に入ってくる。
急速に情報が司の中で整理されていく。
あまりに急速なので、司は気持ち悪くなり座り込む。
「司くん、大丈夫?」
「ああ、わりぃけど、あんま大丈夫じゃない。超怖い。どうしようもない。救急車呼んでくれ」
司は頭を抱えて、神之助に応える。
そんな状態でも、司が望まないにもかかわらず、頭の中の情報は整理されていく。
考えるべきは、ありとあらゆる事。そんな中でも最優先にされるのは、生きて帰る事である。
ゲームの勝利では無く、生きて帰る事。
まずは鍵の入手。これには情報も無く、塔子がやっていた通り地道に探す必要がある。その一方、鍵を入手してもゴールへ行かなければクリアにはならない。
ルールでは出口は三ヶ所。場所は明記されていないが、南側区画の出入口が大本命であるが、ここにはまず近付けない。
あの動く石像、雷神トールが中央広場に陣取っている限り、隠れ場所の無い南側区画には近付けない。
ゲームをクリアする事を考える場合には、それは正しい考え方であるが、あくまでもそれはクリアを考える場合であり、生き残る為の手段を選ばない方法では無い。
ならば生き残る為に打つべき、非情の一手とは何か。
ゲームを台無しにしてしまう事。
例えば東側区画に鬼を集めて、東側区画の壁を破壊して、関係者が篭ると思われる区画さえも地獄に引きずり落とす。
いくらなんでも鬼を制御する手段くらい用意しているだろう。
無茶だ。
もし制御出来る方法があるとすれば、そもそも東側区画に鬼を集める事が不可能だ。
「司くん、でもこの売店を選んだ事がすでに凄いよね?」
頭を抱えたままの司を心配しながらも、神之助が言う。
「神ちゃん、凡に気を使わなくても良いのよ?」
「夢乃さんは気付かないんですか? 司くんがどれくらい凄い事をしたのか」
神之助が夢乃の方を見て言う。
「この売店だけ、シャッターが手で上げられて、しかもその奥のドアに鍵がかかってなかったんですよ? 偶然だったとしても、それを一回で引き当てる『何か』を司くんは持ってるんですよ」
「超たまたまだ、そんなモン」
うなだれたまま、司は神之助に言う。
神之助とは小学生の頃からの付き合いではあるが、時々こうやって司の事を過大評価する事がある。
確かに、運は良い方だと司自身思っているのだが、本当に運が良い奴という者がいれば、最初からこんな馬鹿げた事態に巻き込まれていない。
「鬼があんなのだとすれば、さすがに足音くらいすると思うから、ここでこれからどうするか考えないと」
神之助が言うと、塔子も夢乃も頷く。
うなだれているが、そうでなければ司もそれには頷いていた。
「こういう場合、この隠れる場所に選んだところには、何か役立つアイテムがあるはずだ。例えばショットガンとか、グレネードとかマグナムとか」
「あんた、馬鹿なんでしょ?」
「って言うか、司くん、意外と余裕あるね」
司の発言に、夢乃と神之助がそう言う。
「武器、ですか」
一人、塔子だけが真面目に考えている。
「虚無、普通に考えて日本にそんな銃火器無いから。そもそも、あっても使い方とかわからないでしょ! あんた達、本当に馬鹿なの?」
「相手が石像なら、銃火器はあまり効果がありませんよ?」
顔色は良くないが意外に冷静な塔子は、夢乃にそんな事を言う。
「でも、たとえば洗剤とかワックスとかで転ばせる事が出来れば、相手が本当に石像だったら致命的なダメージになりそうですけど」
「それだ! さすが塔子さん!」
司は手放しで褒める。
頭の中で溢れかえっていた情報の渦も何処かに飛んでいった様だ。
「でも、何処にそんなモノがあるのよ」
夢乃が店の中を見ていう。
司達が隠れた売店は、遊園地区画に入る前に飲み物や食べ物を補充するための様な店で、当然ながら洗剤やワックスの類は扱っていない。
「この際、バナナの皮でも良いんだけどな」
「それもキツいよ、司くん」
「とにかく、この際使えれば何でもいい。ここに何か使えるモノは無いか探してみよう」
「代金はどうするの?」
神之助が首を傾げる。
「そこはその、何とか上手く言い訳しよう。大丈夫、いざとなったら神無月が何とかしてくれるはずだから」
「はあ? 何言ってんのよ! 自分で何とかしなさいよ、凡のくせに!」
「それは後で考えましょう」
塔子が司と夢乃の間に割って入る。
「ま、とにかく、代金の事は後からだ。今はとにかくここから出る事を最優先にしよう」
司の言葉に、夢乃はまだ不満げではあったが、今度は口を挟まなかった。