第二十二話 残り三時間三十五分
第二十二話 残り三時間三十五分
ガーゴイルは弾丸の様な早さで飛びかかってきたが、それは司を狙ったモノでは無く、その奥、司の存在に気付いた時に声を上げた参加者を狙ったものだった。
ガーゴイルからすれば、狙うべきは司であっても別の者であっても同じ参加者なのだから。
しかし、狙われた側やそれを見た側からすれば、司が鬼と協力している様に見えた事だろう。しかし、この際それに構っていられない。
司は詩織の手を引くと、エスカレーターの方へ向かう。
ガーゴイルは声を上げた男を蹴り飛ばし、反動をつけて方向転換して司の方へ向かってくる。
「くそっ、誘われたのか」
司は詩織を背後に庇うと、刀を抜く。
つくづくこの刀が本物で無い事が悔やまれる。
対人用の武器として考えるなら模造刀で十分すぎるのだが、人ではない何かと戦う時には、見た目は刀に見えても実質的には細長い棒でしかない。これなら金属バットの方が数倍強いのだが、言っても始まらない。
ガーゴイルは勢いに任せてくるかと思ったが、空中で停止して様子を伺っている。
四階で飛び込んできた所を不意打ちしたのが効いているのか、随分と警戒されている。
実は凄く有難い。
司は勢いで刀を構えはしたが、直接この化物と戦っても勝てる気がしない。背後に庇う詩織を見捨ててでも逃げ出したいという、誘惑に駆られている。
詩織を置いて、司一人であればここからエスカレーターの所へいくのは、そう難しい事では無いように思える。元々あかの他人であり、数時間前に会ったばかりの少女に命懸けで守ってやる義理も義務もない。
それより、神之助や塔子の安全を確保した方が良い。
頭では分かっているのだが、最初からならともかく助けに来た手前、今更やっぱり見捨てるとなっては後味が悪すぎる。
だとすると、最後までカッコつけるしかない。
司の思考はある意味単純ではあるが、こうやってガーゴイルの動きが止まっている事は、他の参加者にとってはやはり奇妙に映る。
「志神さん」
「大丈夫、多分」
泣き出しそうな詩織に、司は曖昧に答える。
今なら他の参加者がガーゴイルの背後から奇襲出来そうなモノだが、それもない。おそらく司がガーゴイルと相談している様に見えるのだろう。
対峙している司は、ガーゴイルを睨んで様子を見る。
近くで見ると、ガーゴイルのダメージは目に見えて大きい。
右手は既に破壊されて垂れ下がっているが、右目も損傷しているのが見て取れる。黒い眼球から、青とも緑ともつかない色の、粘着性の強そうな液体が溢れて濁らせている。
窓ガラスを突き破って飛び込んできた時か、司の不意打ちか、横山との戦闘か、三階を飛び回ったせいかは分からないが、翼にもガラスの破片が無数に突き刺さっている。
それでも苦もなく動き回れるのは、痛みを感じないせいだろう。
ガーゴイルには右側に死角が出来ている。そこを利用すれば、模造刀しか持っていない男子高校生の司でも撃退出来るかもしれない。
無理矢理にでもそう考えて、司は恐怖に潰れそうな自分を奮い立たせる。
ガーゴイルは人間では無いので、瞬きもしない。飽きる事も無く司の出方を待っている。
すぐに襲ってこないのは有難かったが、十分に落ち着いた後にも動きが無いのは、それはそれで辛い。
模造刀であっても、武器を持って人型の何かとの戦闘行為など、それなりに勢いに任せないと出来ないものである。
自分の命がかかっているとなったら、それこそ通常では考えられない様なテンションの高さを要求されるが、にらみ合いが続いてしまうと高めた戦意が急激に冷めていくのが分かる。
戦意が冷めると筋肉は萎縮し、考え方もネガティブな方に入り込んでいく。
やっぱり、詩織を助けに来たのが最大の失敗だったのではないか、と。夢乃の言う通り、達哉まで込みの五人でさっさとクリアしてしまった方が良かったのではないか。そのチャンスを、司は自ら棒に振ったのではないか。
ガーゴイルを睨みながらでも、そんな事まで考え出してしまう。
もう、いっその事、どっか行ってくれないかな。横山連れて飛んでいけばいいのに。
だが、司より消耗戦に耐えられなかった者がいた。
情けない悲鳴を上げて、エスカレーターに向かって走る参加者がいたのだ。
ガーゴイルはその方向を見る。
それは司に死角である右目を晒す行動であり、司はその瞬間に動いていた。
もう行動は決めている。この状況で、ガーゴイルから詩織を守りながら逃げる事など出来ない。
それを可能にする、たった一つの方法。
ここでガーゴイルを撃退する事。
ガーゴイルが見た目通りの生物であれば、その行動を支配しているのは脳であり、さらに首を通って全身へ命令を送る。
人体であれば、硬い頭蓋骨より細く不安定な首こそが最大の急所と言う事を、司は知っていた。
せめて保健体育だけは真面目に勉強していて良かったと思う。もちろんこんな知識ではなく、そう遠くない将来を妄想している時に必要であろう知識を得るための勉強だったのだが、まったく違うところが想定外のところで役に立った。
司は鋭く刀を振って、ガーゴイルの首を狙う。
しかし、ガーゴイルは折れた腕を上げて司の刀を防ぐ。
もし人間であれば激痛で動けないところだが、生物であっても痛みを感じていないガーゴイルにとっては問題にならないらしい。
その時、二階から絶叫が聞こえてきた。
それを合図にしたかのように、司とガーゴイルの激しい戦闘が始まった。
そう、この悲鳴が必要だった。
達哉は二階に隠れていた参加者を見つけ、ナイフを見せつけて悲鳴を上げさせた。
常識で考えれば、悲鳴を上げさせず一人ずつ仕留めていくのが理想的と思うかもしれないが、鬼として状況を考えた時、それは現実的ではない。
恐怖から逃れるために隠れ、耳と目を塞いで嵐を過ぎるのを待つ連中を一人ずつ見つけるという、鬼に不利なかくれんぼをしていたら時間がいくらあっても足りはしない。
であれば、向こうから出てきてもらった方が良い。
レンガの家からおびき出す方法は幾つかあるが、向こうから出てこさせるにはもう安全と思わせるか、そこが安全ではないと思わせる事。
元々恐怖から逃げ、震えている臆病者であればさらなる恐怖を与えてやれば、耐えられなくなるのは予想できた。
実際に断末魔が響いてから、それに連鎖するように二人が慌てて逃げ出した。
一人はさらに奥に、もう一人は達哉が上がってきた階段を目指している。
おそらく奥に逃げた先にも階段かエスカレーターでもあるのだろう。浅はか過ぎて、達哉は思わず笑ってしまう。
一階には騎士の馬がいるし、階段を上がって来る槍を持つ騎士もいる。三階にはガーゴイルもいる。すでにこの建物は封鎖されていると言う事も分からない連中なのだ。
実際に奥へ逃げた一人は、階段から足を踏み外しでもしたのか悲鳴と共に転げ落ちる音が聞こえたし、階段へ逃げた方も短い悲鳴を最後に声は途切れ、重い足音が聞こえる。
騎士の槍に貫かれたのだろうが、もう確認するまでもない。
それより問題があるとすれば、二階に隠れていると思っていた司達が現れなかった事である。
これだけ騒ぎを起こせば姿を表すと思ったのだが、物音一つ立てない所をみるとすでに三階に行っているのかもしれない。
まあ、俺は俺の仕事をこなしますか。
恐怖に震え、涙を流す無様な参加者の男に、達哉は笑顔でナイフを突き立てた。
塔子以外の三人は口を手で抑え、つられて出そうになった悲鳴を抑えていた。
先に塔子が三人に合図して、声を抑えさせていたのだが、誰も声を上げず物音も立てなかったのは幾つかの偶然によるものであった。
もし塔子が隠れている者を探す時どうするか、というのを考えていた時の予測の一つが達哉の行動に極めて近いものだったので、先に三人に合図出来たのだ。
しかし、今の悲鳴は尋常なものではなかったのを考えると、塔子はここに隠れていた参加者の全てを見殺しにした事になる。
胸が痛むし、これからずっと悪夢にうなされる事になるだろうが、それでも塔子は動かなかった。
塔子はこの状況でも、冷静さを失っていない。
だからこそ彼女は、自分に助けられる限界が分かっていた。
本当に、志神君って凄い。この状況でほかの人を助けに行けるなんて。
塔子は口には出さなかったが、夢乃の意見に賛成だった。いくら不幸な境遇であるとはいえ、命の危険がある中であかの他人と言える人物を司は助けに行ったのだ。
ただの理想かもしれない。現実の見えてない、無謀な行動かもしれない。
それでも、それが司の原動力なのだ。
だったら、それを全力でバックアップする事が、塔子に出来る事の全てと言える。
狙うべきは、どう考えても六体目の鬼、ナイフの男の正体で間違い無い文芸部男子の一人である、鈎先達哉。
コレを排除するのが、塔子に出来る最大限のバックアップである。
素手でナイフとは戦えない。刃物に対して有効な武器は飛び道具だが、ここにそれほど有効な飛び道具は無い。
「塔子さん」
神之助が塔子の方に来る。
夢乃は不安そうだが、玲奈を一人で残すような事はせずに一緒にいる。
「何が起きてるんですか?」
「何が起きているかはわかりませんけど、鈎先君はもう私達の知っている鈎先君じゃない事だけは分かりました」
飛び道具の件も、神之助が協力してくれれば上手くいくんじゃないか?
塔子は神之助におおよその説明をする。
面倒な事になったモンだ。
横山は階段を上がってくる騎士を見て、苦笑いする。
二階から飛び出してきた参加者の少女は、階段を上がってきていた騎士を見て悲鳴を上げて動きを止めたが、その瞬間に騎士の槍に胸を差し貫かれていた。
一撃で即死した少女は、無造作に一階に投げ捨てられる。
ここで手に入れたエアーガンは、ただのエアーガンにしては威力があり過ぎるのだが、それでも騎士の鎧を打ち抜けるほどでは無い。
仕方が無いか。
横山は自前のハンドガンを騎士に向ける。
通常のルートで手に入れた訳では無い粗悪品ではあるが、それでも本物の銃である。人間であれば簡単に撃ち殺す事が出来ても、騎士の鎧を貫くには離れたところからでは無理かもしれない。
鋼の全身鎧の騎士は、金属音を立てながら槍を持って階段を上がってくる。
動作は遅い。これなら充分引きつけてからで大丈夫か。
横山はハンドガンを両手で構え、ゆっくり上がってくる騎士に向ける。
このハンドガンは入手してすぐに数発撃ったが、見た目の割に反動が異常に強いのでワンハンドアクションには向いていない。正確に打ち込むには、両手でしっかりと構えていないと振り回される。
もったいないと思う反面、結局このイベントの終わりには捨てていかないといけない、使い捨てのモノである。鬼を撃破するための武器なので、本来の使い方と言えた。
狙いたいのは頭だが、的の大きな体の中心を狙う。
立て続けに三発。
銃声は建物内に響き、騎士を階段の下へ叩き落とす。
しかし、それは横山にとって不必要な出費でもあった。
騎士を倒すことが、ではない。この秘密兵器を晒してしまったら、それにすがられてしまう。銃弾が有限である以上、頼られても応えられない。
もう、一人で行動した方が良いか。
横山としては、ここで身軽になるのも悪くない。
鬼である騎士を倒し、ガーゴイルをここで足止めしている。残るはナイフの男と巨人の二体。騎士のような鎧を持たない鬼であれば、銃弾で排除出来るはずだ。
銃にはまだ十発近く残っているので、問題は無い。
ここに参加者を残して行くメリットも、ガーゴイルを足止めできるという一点においても大きい。
もう少し楽しめると思っていたのだが、状況がそれを許さなくなってきた。
一つ思うところがあるとすれば、司達が手に入れた鍵を入手しておいた方が良いと思う事だが、ここは諦めるしかない。
横山はそう割り切って階段を降りる。
反対側のエスカレーターにはたっぷり洗剤やワックスを撒いているので、毒ガスこそ発生していないが、あの階段を降りる事は特殊な技術でも無い限り不可能である。
実際落ちた人間もそれなりにいたみたいだし、階段から落ちるだけでもダメージが大きいのに、エスカレーターは階段以上にダメージを受ける。一階二階は天井がかなり高いので、下手をすれば二階から落ちるだけでも命に関わりかねない。
三階からなら、言うまでもない。
それを知っていたからこそ、横山は三階に司を追う事をせずにこの階段を確保していたのだ。
こちらに逃げてこさせないように。自分から袋小路へ逃げていくように誘導していた。
それも必要無くなった。というより、それより優先する事が出来たと言うべきだ。
二階も気にはなるが、横山は一階へ降りる。
体に穴が空いた騎士が大の字になって倒れている横を、横山は通っていく。
横山がもっと警戒していれば、結果は違っていたのだ。
人型であっても人ではない騎士が、本当に死んだのかを確かめるためのごく簡単な方法はあったのに、横山はそこに気付かなかった。
横山が騎士に近付いた時、上半身を起こした騎士の槍が横山の左肩を貫いた。
そう、鬼が撃破されたアナウンスが無かったのは、まだ騎士は撃破されていないためだという簡単な事を、横山は見落としていたのだ。
二階のエスカレーターから落ちた太った女性、西宮初音は頭部を強打して意識が朦朧としていた。
彼女はもう、正常な判断を放棄し、呪いの思考に囚われていた。
自分がここで殺されるのなら、皆死ねばいい。
その呪いの思考を、今なら一手で全てを叶える事ができる。
ヘビースモーカーの初音は、ポケットからライターを取り出す。
彼女が最期に見たのは、同じように階段から落ちて悶える参加者と、ライターの炎。
それが引火性の強い洗剤の上に移り、青い炎が広がっていく中、大きな馬がこちらに走ってくるところだった。




