第十三話 スタート四時間後
第十三話 スタート四時間後
『スタートから四時間が経ちました。現時点で、ゲーム参加者の内、三十九人が残っています。皆さん、頑張って下さい』
そんなアナウンスが流れたが、司達はそんなアナウンスが耳に入ってこないほどショックを受けていた。
妙なハイペースで飛び回るガーゴイルや、足音を隠そうともせずに走り回る騎士のせいで司達は北側区画に入るのに随分と時間がかかった。
その道中で騎士が乗る馬が普通の馬だったので、これはオーディンでは無いとわかったのだが、そんな情報はまったく役に立たない。
今、司達の目の前には同じ文芸部の少女の亡骸が横たわっていた。
いつもオドオドしていた、自分の体の半分くらいしか無かった少女の後ろに隠れていた、気弱な少女。
「あやめ……」
夢乃が言葉を絞り出したが、そこからそれ以上の言葉を続ける事が出来なかった。
こんな事を言うとなんだが、司はこの少女、浜あやめの事を「丸い奴」と言う以外に詳しくは知らない。確か「細い奴」といつも一緒にいたと思うし、このゲーム開始の時も二人で中央広場に残っていた気がする。
それが、北側区画の路地裏の血溜りに横たわったまま、動かなくなっていた。
開始から四時間。参加者の数もすでに四割を切っているので、こう言う事に出くわす可能性は十分にあった。
しかし、頭で分かっていても、目の前にソレが現れた時には思考が完全に停止してしまう。
「浜さんだけ?」
顔色は悪いが、神之助は夢乃や塔子に尋ねる。
「そうね、近くに愛がいないわね。上手く逃げられたのかも」
夢乃はそう言うが、塔子はそう思っていなかった様で、司の目には表情が険しく見える。
「でも、考えてみると文芸部が全員残っている可能性は少なかったんだよな」
司はあえて口に出す。
ゲームが始まる前に達哉が言っていた事を思い出した。
ゲームの参加者の一割は文芸部である。すでに六割が消えたと言う事は、同じ割合で減っていけば文芸部の生き残りは四、五人となる。
司達が四人、横山の元を離れたと言う文芸部が二人いた。
もしかすると生き残っている文芸部はそれが全てかもしれない、と言う覚悟は持っておくべきだった。無事を確認出来た時には喜ぶ事は出来るが、そうじゃない時には覚悟が無ければ耐えられない。
今、こうして本来考えていなければならなかった結果を突きつけられるだけで、司達は思考停止に陥っているのだから。
「でも、生き残っている人だってまだ四十人近くいるんだよ? その中に皆がいるかもしれないから、こうやって北側まで探しに来たんだよね?」
神之助の質問に、司は頷く。
文芸部の面々は、積極的と言う言葉とは無縁である。率先してゲームに参加していたのは塔子くらいで、後は流されるままと言う人物ばかりなので、隠れられるところがあれば、隠れて動こうとしないだろう。
そう考えると、意外と生き残っているメンバーも多いかもしれない。
それが司のすがっていた希望でもあった。
現実的に考えれば、余りにも儚い希望であった事を今更ながら思い知らされている。
「移動しよう。誰かいるかもしれない」
司がそう言うと、塔子、神之助、夢乃ですら文句を付けずに移動を始めた。
あやめが倒れていた通路を進んでいくと、少し道が拓け、大きな建物が見える。
北側区画に乱立するホテルの一つの様だが、司は足を止める。
言葉には言い表せないが、何か強烈に嫌な予感がしたのだ。
「どうしたの、凡」
「いや、あそこには近付きたくないんだ」
司にしては珍しい言い方だったので、特に神之助は疑問に思った。
「司くん、どうしたの?」
「言葉には出来ないんだが、嫌な予感がする」
司は足を止めたまま言う。
「虚無、どう? ガーゴイルとかは近くに飛んでないの?」
「それは無いですよ」
双眼鏡で空を見ながら言う。
少し前まで活発に飛び回っていたガーゴイルだったのだが、北西に飛び去ってからはしばらく見ていない。
「凡、ビビってるんじゃないの?」
「だったら神無月が先に行ってくれよ」
司がそう言うと、夢乃はやはり最後尾を譲ろうとはしない。
「司くんが近付きたくないと思うなら、そこには近付かなくてもいいんじゃないの?」
「私も仙堂君に賛成ですよ」
塔子も神之助と同じ様に言うが、だからといっていつまでもここにいるわけにはいかない。ガーゴイルが北西へ飛び去った事を考えると、司達は当然ながら北東を目指す事になる。そのための通路として、その建物の前を通り抜けるのが近い上に、細くしかも屋根のある道に入りやすい。
空からの目が無い内に移動した方が良い、と司は考えて移動を始めた。
もう少し余裕を持って冷静に考える事が出来れば、司は自身の感じた強烈な嫌な感じの正体を予測出来たはずだったが、この時はその余裕が無かった。
司を先頭に通路を進んでいく。
司は極力建物の方に目を向けずにいたし、塔子もこの時には空の警戒を最優先に行っていたので、ソレに最初に気付いたのは神之助だった。
「ヒィッ」
悲鳴を上げようとしたが、それは声にならず何か吐息の様な何かが喉から絞り出されていた。
「神之助?」
「神ちゃん?」
前を歩く司は後ろを振り返り、後ろからついて来ていた夢乃は倒れる神之助の向いていた方を、釣られる様に見る。
「……!」
夢乃は喉が裂ける様な悲鳴を上げようとしたが、神之助と同じくソレは声にならず、掠れた息を吐いて倒れる。
「塔子さん、ちょっと手伝って下さい」
司は神之助に肩を貸すようにして立ち上がると、つい二人の意識を奪ったモノの正体を見ようとしてしまった。
ヒントはあったのだ。
ソレは司達の進行方向から完全に見えていなかったにしても、完全な死角になっていたわけでは無い。多少なりとも見る事は出来ていたのだ。
その建物の入口に『何か』があった。
最初に見た時には、正確に知る事は出来なかった。
入口を塞ぐように誰かが立っているだけだと思っていたが、ソレが何かわかった時、司も見えない手で心臓を鷲掴みにされた様な衝撃を受け、視界が白く染まりそうになった。
「志神君!」
ふらつく司に塔子が呼びかけ、その声が聞こえたので司は神之助や夢乃の様に意識を失わずに済んだ。
「行きましょう。塔子さん、北東方向に姿を隠します」
「はい」
塔子は建物の方を見ないようにして言う。
「神之助より神無月の方が重そうですね。代わりましょうか」
司はそう言うと、塔子は無理に苦笑いする。
「聞かれたら怒られますよ? セクハラだとかも込みで」
塔子はそう言うものの、塔子より身長も体重もある夢乃を運ぶのは困難であり、神之助であれば塔子とさほど変わらない体型なので、司が夢乃を、塔子が神之助を運ぶ事になった。
夢乃は性格が残念女王なので、いつもからかったり怒らせたりしていたが、ここまで近くで見る事が無かった。
近くで見ると、夢乃は文句なしの美少女である。今は意識を失っているので、あの無意味に高圧的な態度も無い。
何より驚く程薄着で、しかも女子高生離れしたグラマラスなスタイルである。
気を紛らわせるには、これほどのモノは無い。
「志神君?」
「ぅおいッス」
巨大と言っていい夢乃の胸をガン見していた司に、塔子が声をかけてきたので移動を始める。
夢乃の体は柔らかかったが、単純な重量で言うと結構重い。しかもその感触を楽しむだけの精神的な余裕も無ければ、すぐ隣りには塔子もいるという状況である。
しかも暑い。
一日で一番暑い時間帯ではなくなったが、それでも快晴の八月であれば午後四時を回ったからといって涼しくなる事はない。そんな中でムッチリ美少女とはいえピッタリ体をくっつけていれば、暑くて仕方がない。
夢乃が聞いたら本格的に怒るだろうが、不快ですらある。
この状況でさえなければ、考えてみれば司にとって夏休みの理想の一日に近い事は起きている。
こんな命懸けでさえなければ、良い思い出になったはずだった。
おそらく夢乃と体を密着させて、不快に感じる事など無かっただろう。塔子が近くにいなかったら、不快感をはらすために犯罪者になったかもしれないが。
想像を絶するプレッシャーの中、司と塔子は意識を失っている二人を運びながらその建物から離れ、屋根のある路地裏へと移動する。
出来る事ならせっかく北側区画に来たのだから、ホテルなりに入ってシャワーを浴びてベッドでゆっくり休みたいところだが、どこも鍵がかかって入る事が出来なかった。
春や秋などの過ごしやすい気候であっても、意識を失った人間二人を担いで命懸けの逃避行など、長時間出来るものではない。
司と塔子は何とかして細い路地に入って、意識を失った二人を建物の壁に寄りかからせて座らせる。
「志神君、ちょっと待って」
塔子はそう言うとポケットからハンカチを取り出すと、地面に広げる。
「神無月さんは、そこに座らせてあげて。白だと汚れも目立っちゃうから」
塔子に言われて、司は微苦笑しながらそこに夢乃を座らせる。
「こんな挑発的なカッコしてんのに、パンツは白なんだな」
「白じゃないと透けそうですから。って言うか志神君、こんな時にそんなチェックしてるの? 仙堂君じゃないけど、けっこう余裕があるのね」
塔子は無理にでも明るい声を出そうと、努力している。
チェックしている訳ではないが、夢乃のワンピースが短すぎるので目に入って来たのだ。決して捲ったりして確認している訳ではない。
今なら出来るかもしれないが、塔子の前ではさすがにやれない。
「余裕はまったく無いですよ。もう、絶望的です」
司は頭を抱えて、夢乃や神之助と同じ様に壁に寄りかかって座り込む。
「志神君、私は見ない様にしたんだけど、何があったのか良ければ教えてくれる?」
「死体が入口を塞いでたんです。飾り付けられて」
司はあえて最低限の情報だけを伝えたが、塔子はそれで十分通じたらしく、それ以上詳しく聞こうとはしなかった。
飾られていたのは複数の人数だったと思うが、その死体の一人は文芸部の『細い奴』だったと思う。
見るも無残な姿に変わっていたため、絶対とは言えない。
近くで殺されていた『丸い奴』の印象でそう思ったのかもしれないが、確認のため戻る度胸は無い。
思い出しただけで吐き気が襲ってくる。
(おかしくないか?)
脳が働きを拒否して、何もかもがどうでも良いと思いたくなっていた司だが、妙に冷めた部分が声をかけてくる。
(あの二人、『丸い奴』と『細い奴』で何故あれぼどの差がついたんだ?)
「志神君、ごめんなさい。大丈夫?」
自分が余計な事を聞いたせいで司が精神的に参っていると思ったのか、塔子は申し訳なさそうにしている。
「ちょっと考えてたんです。塔子さん、さすがにアレを見てくださいとは言いませんけど、ちょっと一緒に考えてもらえませんか?」
「何をですか?」
塔子は首を傾げている。
おそらく今の段階でこのパーク内の人間で、塔子は極めて冷静な判断の出来る一人だと司は思っていた。
「路地裏に文芸部の『丸い奴』が殺されてたでしょ? 多分、さっきの建物に飾り付けられてたのは『細い奴』だったと思うんです」
「君島さん? でも浜さんがあそこにいた事を考えると無いとは言えないんですね」
塔子は表情を曇らせる。
いつも二人で行動していた片方がいたのなら、もう片方も近くにいるかもとは思っていた。せめて無事に逃げていてくれれば、とも思ってはいたのだが。
「あの丸い方、浜は殺されて路地裏に放置されていたのに対して、細い方、君島は殺された後に死体を飾り付けられている事に、違和感があるんです」
「そう言われると、あの地下入口で殺されてた人達も放置されてましたね。死体をどこかに運んだり、死体で地下に……」
塔子は軽く腕を組んで考え込む。
こういうポーズを取ると、塔子も意外と胸が大きいのが分かる。
別に塔子がこの場で自分のスタイルの良さを強調しているとは思えないが、司は自分の精神安定の為に塔子を見て癒される事にしていた。
「志神君、ちょっと前に売店で鬼から隠れた時の事を思い出して」
「出来れば思い出したくないですけど、それが?」
「ガーゴイルにしても騎士にしても、『出てきたところ』を狙おうとしていませんでしたか? 逆に考えると、襲われるのは『出てきたところ』である可能性は無いですか?」
「それはつまり、出入口に死体のある建物には入れる可能性があるって事ですか?」
司が尋ねると、塔子は自信無さそうではあるがそれでも頷く。
「悲鳴すら上げられないほどショックな死体を入口に用意するっていう事は、そこには入って欲しくない、近づけたくないと思っての事じゃないんですか?」
塔子の仮説に、司は頷く。
その可能性は極めて高いが、その効果も同様に極めて高い。
それを確かめるためにあの死体をもう一度見ないといけないとなったら、夢乃や神之助だけでなく、司でさえ絶叫するかもしれない。
(気にするのはそれだけか? 何か見落としてないか?)
塔子の仮説に頷きながら、頭の中の冷めた声がまだ警戒している。
「その他、何かありませんか? 見落としているところとか」
「見落とし、ですか」
塔子と司は考え込む。
「俺達が見た死体って、ゲーム開始直後の中央広場、地下施設入口、さっきの浜と君島だけど、何か違いがありませんか?」
「違いって、君島さんだけは志神君は『飾り付けられてた』って表現してるくらい?」
「それです、塔子さん」
司は塔子に言う。
「どれです?」
「これまで鬼は手を加える様な事はしてないですよね? ガーゴイル、トール、ナイトの三体の鬼は殺した参加者を飾れる様な無いでしょう?」
「ガーゴイルは武器を持ってないし、トールはハンマー、ナイトは槍を持ってましたよね? 確かに細かい作業とかには向かないかもしれません」
「たぶん、『ナイフの男』は参加者を失格にするより参加者に恐怖を与える事が、その役割なのかもしれません」
それによって、行動に制限をかける役割。
参加者を失格にする事が目的ではなく、選択肢を減らしていく為の存在。
仮にそれが正しかったとしても、今の司達にはどうする事も出来なかった。




