プロローグ
コツ、コツ、コツ…
湿った空気の中、革靴の音が響き渡る。
月に一度の首輪の調整のため、この日だけは地上の人間がここ「オーガの檻」の中に入ってくる。
このチャンスを逃す手はない。
外は土砂降りの雨が降っている。足跡は泥に消え、臭いは雨が消してくれるだろう。
コツ、コツ、コツ…
首輪には爆弾がついている。無理にはずせばゼロ距離で爆発し、俺の息の根を止めるだろう。防護障壁を張る暇なく木っ端微塵だ。まぁ魔法が使えない俺には張れないが。
例え首輪を外せたとしても、地上に出るには頑丈な閉鎖魔法と門番に守られた「門」を通過しなければならない。
コツ、コツ、コツ…
門番を倒せたとしても、魔法の素養のない俺には、「門」は突破できない。俺一人ではここから逃げる手段はない。
だからこそ今日を待った。
首輪の調整は一ヶ月に一度、二人ずつ行われる。毎回同じ人間ではなく、微妙にずれる。
そう、今日はあのクリスと首輪の調整日が一緒なのだ。
コツ、コツ、コツ…
足音が俺の部屋の部屋の前で止まり、ノックと共に俺の部屋の戸が開く。自由と不自由が共存する滑稽な部屋。
いつもの様に首輪の調整師が部屋に入ってくる。
脇には屈強な兵士と体の自由を奪う呪をかける魔術師がそばに控えている。
(あと三十秒… )
首輪を取る前に体の自由を奪う呪をかけられる。
体感ではあるが、身体能力は10分の1以下になっていると思う。
(あと二十秒… )
呪が効いたことが確認されると、兵士達が俺に槍を突きつけ、調整師の手で首輪がはずされる。新しい首輪つけられるまで、約二十秒しかない。
(あと十秒… )
俺は首輪を再びつけられる瞬間、調整師に対し口を開いた。
「俺は自由だ」
その瞬間、けたたましい爆音と共に、俺のちょうど真上の部屋が爆発した。
俺は爆発に気を取られている兵士の槍をひったくると、そのままてこの原理で兵士を、もう片方の兵士に向かって投げ飛ばした。
そして、それとほぼ同時に魔法使いの首を、槍で掻き切った。辺りにはシャワーのように鮮血が降り注ぐ。
兵士達が体勢を立て直すより前に二回目の爆発音が鳴る。逃亡の合図だ。
俺は地上10メートルの自室の窓からガラスを破り、外へ飛び出した。
自由落下に身を任せると、地面への激突より先に、浮遊感が俺の身を包んだ。
「ドンピシャのタイミングだね」
そこには金髪の少年がいた。クリス・カーマイン。凶悪な魔術師だ。
「…本当にこの呪は解けるんだろうな」
「大丈夫、この程度の呪なら、かけ直せるほど分析済みだよ。それより武器は持ってきたんだろうね?」
俺は二本の剣を見せる。ガラスをぶち破る時、同時に引っつかんできたものだ。
クリスはそれを見ると納得したように俺の呪を解いた。体のダルさが嘘のように無くなっていく。
「急ごう。追っ手が集まる前に門を突破しなくちゃ! 」
俺とクリスは、門に向かって走った。途中の追っ手はクリスが魔法で眠らせた。
門の前に着くと、そこには警備兵が10人しかいなかった。クリスが5人魔法で吹き飛ばすと同時に、残りの五人の首を俺が切り飛ばす。
「解除まで何分かかる? 」
「5分あれば充分だよ」
「5分か... 最高に刺激的な5分になりそうだ」
周りには追っ手の兵士が数百人集結しつつあった。中には魔獣を連れているものもあった。
「ケルベロスに三つ目のオーガ、それにバイソンレオ…至れり尽くせりだな…」
俺はそう呟くと、数百人の前に躍り出た。
俺は二本の剣を持ち、数百人の間を縫うように走った。一対多数の戦いは立ち止まってはいけない。常に動き回り、的を絞らせず、同士討ちを誘う。
俺が通るたびに、鮮血が飛び散る。
聞こえるのは兵士どもの断末魔と魔獣のうめき声。俺にかすり傷一つ追わせられない。
「門を突破させるな! 門の前にいる魔術師を狙え! 」
どうやら標的はクリスになったらしい。このままではまずい。俺は足を止め魔獣の攻撃を受ける。魔獣のつめが体に食い込む。
「ぐっ!!」
思った以上に効いたため、思わず声が出る。兵士達はここぞとばかりに標的を俺に戻し、一気に畳み掛ける。俺は致命傷を避けつつも全てこれを受ける。
(まだか! クリス! )
何度かの攻撃を受け、意識が朦朧としかけた時、クリスの声が聞こえた。
「セージ! 解けたよ! 」
その声を聞くと、俺は最後の力を振りしぼり、周りの兵士達を叩き切り、門に向かって走った。
後ろからは何百という矢が放たれる。それを無視し、背中に刺さるのをいとわず門に突っ込んだ。時空がよじれ、胃が浮くような浮遊感を味わうと、そこには月が輝く荒野が広がっていた。
「…やった…やったんだ…俺は自由だ! 」
俺は喜びのあまり、立ち止まって、うわごとのように呟いた。
「なにやってるんだい!? すぐに兵士が追いついてくる! 逃げるよ! 」
クリスに促され、我に返ると、俺はクリスと共に走り出した。
「自由だ! 冒険者になれるんだ! 」
俺は、喜びを抑えきれず、叫んだ。頭上には満天の月が明るく佇んでいた。