シャッターと熱と
某県、某市内の山の中にあるとある旅館。
澄みきった空気に満たされた部屋の窓から一望できるのは、向かい側にある一際大きな山。そこに向かうように、木々や建物が層を作るように並び立っているその景色は、まるでこちらを別世界へ来たような気分にさせてくれる。
——らしい。
「ただの山なんて見て何がいいんだかね」
ボヤきながらシャッターを切る。
たまーに聴こえてくる小鳥の囀りだとか、風がそよぐ音だとかをかき消すように、パシャパシャパシャパシャと、風情の無い音をひとしきり響かせた後、ふぅ、と白い息を吐く。
山の中は空気が済んでいて心地いいだとか言うけれど、実際はただ寒いだけだ。それも、普通に温度が低いというだけではなく、なんかこう、無駄なものが周囲に無いお陰でより身体に冷気が染み込んで来る……ような寒さだ。
今もタートルネックの上にパーカーを重ねて着ているけれど、それでもたまに身震いをする程度には肌寒い。
今はまだ秋少し前だぞ。
「はぁ……帰りたい」
切実に、そう思う。
もし叶うのであれば、早々にこの場所を後にして、愛しの我が家でスマホ片手に好きな動画を見て、好きなモノを食べて飲んでという至極の日々に戻りたいところだけれど、これは仕事だから、そういう訳にもいかない。
藤白 清香 25歳。フリーランスの風景写真家。
それが私だ。
見知った人間からは、どう考えても向いて無さそうなのに、どうして風景写真家なんてやっているのか?と、問われるけれど、正直私も分からない。
高校生の頃、何となくで始めたカメラ。その時に撮った一枚がたまたまコンテストに入賞して、そこから自分はカメラに向いているんじゃないかと思って色々なものを撮っているうちに、色んな所から仕事の依頼が来たり、あれよあれよという間に写真集が出ることになったりと、カメラの仕事が右肩上がりのまま気が付けば今になっていた。
まあただ、いつの頃からか、カメラを楽しいと思うようには無くなっていて、何かを撮ることに対する情熱なんて全くなくなってしまった訳だけど。
同業の中には、写真というのは感情が乗ってこそだ。自分の撮った写真に拘りが無い写真家はいずれ立ち行かなくなる。なんていう事を言う人がいる。
勿論、そういう人達を嗤うつもりなんてないし、きっと、それが健全な付き合い方なんだろうな、とも思うし、少し羨ましいなとも思う。
けれど、そんな事を考えているうちに旅館の外へと出て、カメラ片手に少し歩いた先の商店街へと足を運んでシャッターを切っているんだから、私も確かに一人の写真家なんだろうな。と思える。
舗装されたアスファルトの何度か修繕されたのだろうなと言うのが伺えるような、少し古めの木造建築が紅葉を背にずらりと並ぶ、現代らしさと、昔ながらの風情的なものが融合したような町並みをボーっと歩いて、たまに足を止めて、ボーっと歩いて、足を止めて。
無意識のうちに、デジタルカメラの中に何十、何百という写真が溜まっていく。
飴細工を売っているお店、お土産屋さん、工芸品の店、串焼きのお店、メンチカツのお店、中華まんのお店。気がついたら、周りには食べ歩きの出来るお店ばかりになっていて、そこからやってくる美味しそうな匂いにつられて、ぐぅぅ、と、不意にお腹の虫が鳴いた。
「そこのべっぴんさん! よかったら、一つどうだい?」
そこまで、大きな音はなっていなかったはずだけれど、なにかのセンサーが反応したのか、カウンターから顔を覗かせていたコロッケ屋の店主らしきおばちゃんがこちらを見てはにかんでいる。
お腹も空いているし、流石に直接声をかけて貰った所をスルーするのも気が引ける。
「……じゃあ、1つ、ください」
「毎度! じゃあ、250円ね」
「ありがとうございます」
「ちょうど揚げたてだから、気を付けてお食べね」
「ありがとうございます」
確かに、熱い。袋越しにも指に熱が伝わって来ているのが分かる。
けれど、それを分かっていても、熱とともに立ち上ってくる香ばしい匂いに、抗うことが出来なくて、思わずパクリと、コロッケに口をつけてしまう。
サクリと軽快な衣の食感。そして、次に口の中に広がる熱。熱い。口を開いて、中に空気を取り込みながら、少しずつ、口の中の熱を冷ましていくと、次第に、味が分かるようになっていって、なんとか、咀嚼できるようになる。
「……」
甘い。
スイーツ的な口の乾くような甘さでは無くて、デンプン由来の、落ち着いた甘さ……という表現で、いいんだろうか。
とにかく。甘い。
噛めば噛むほど、じゃがいもの甘さと、ひき肉の甘さが口の中に広がっていって、それが塩気や、肉の旨みのようなものを引き立たせているように感じる。
揚げ物を食べているという感じがするのに、へんに胃もたれをするような油感みたいなものは無くて、食べる手を止められない。一口、また一口と食べ進めて行くうちに、手元にはもう、コロッケのコの字も見当たらなくなっていた。
「美味しかったです」
「はっはっはっ! 良い食べっぷりだね。」
旅行に出て、その景色を楽しむというのは良く分からない。
分からないけど、こういうのは、好きだ。
やれ、牧場で売っている新鮮な牛乳を作ったソフトクリームだの。やれ港の食事処で食べられるをふんだんに使った海鮮丼だとか。何が変わるんだと擦れた気持ちで口にする度に、毎回唸らされてしまうのが、悔しいけれど、嬉しい。
やはり、人間は食には抗えないのだ。
それだけじゃない、私が今、ここで声を掛けて貰ったことで、このコロッケと出会えたように、その時、その場所でしか無い、一期一会の出会いも、好きだ。
「あの……良ければなんですけど、お店の写真。撮ってもいいですか? ちょっと、仕事で、ここら辺の写真を撮ってて」
「あら! そうなのー? それなら全然好きに撮ってちょうだい!」
「一緒に雑誌の記者も来てるので、後で連れてきますね。」
「もー!そういうことなら先に行ってちょうだいよー! いくらでもオマケしたのに!」
「いえいえ、まだ、雑誌に載るかは決まってませんから」
たわいも無い話に花を咲かせながら、『コロッケ』と書かれた大きな看板を掲げた、深い色をした木造の店を、レンズに収める。
角度を変えて、距離を変えて。
自分の指が今何度シャッターを切ったのかも、さっきまで感じていた肌寒さも忘れて、何枚も何枚も撮った写真。
「まー! やっぱりプロってすごいのねー!」
見せて見せてとせがまれるままに、そのうちの一枚を見て、店主のおばちゃんは、大袈裟だと言うほどに、大喜びしてくれる。
もしかしたら、写真を撮って貰ったということにただうれしくなっているだけかもしない。お世辞を言ってくれているのかもしれない。それでも、やっぱりこれだけ喜んでくれたなら、今この店を撮ったのが、私で良かったと、そう思える。
うん、そうだ。
私はきっと。
「あの……」
この笑顔のために、写真を撮っているんだろうな。
「もう一つコロッケ、頂いてもいいですか?」




