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母の遺品

作者: スイミー
掲載日:2026/04/17

 去年の7月、65歳の母が脳梗塞で他界した。


 母が亡くなった後、せっかくなので空き部屋となったこのマンションの部屋に引っ越してきたのだが、遺品には極力手をつけないようにしていた。


 売却できそうな家具や不要な生活用品一つ一つに母との思い出が宿っていてそれらを手放してしまうと、天国にいる母との繋がりが途切れてしまうような気がしたから。


 とはいえ、いつまでも部屋のスペースを無駄に占領している品々をそのままにしておくわけにもいかず、母の死から1年たった今、そろそろ遺品整理をしようかと重い腰を上げて今に至っているのだが。


 古びた箪笥や姿見、生前長いこと使われた衣服などを手に取り、私は目頭が熱くなってしまうばかりで手が進まない。

 貧乏な母子家庭だったせいで母が欲しかったであろう最新家電や流行りの服なんか買える余裕もなく、いつまでも古い物を長く使い続けていたのを鮮明に覚えている。


 それでも母は不平不満を漏らすことなく、そして私に不憫な思いはさせないようにと夜は遅くまで働き帰ってからは家事をせっせと行い、毎日の食事は貧しかったものの、当時学生だった私が欲しがった服や携帯電話、音楽プレイヤーなど、周りの友達が持っているような物はちゃんと買い与えてくれていた。

 そればかりか、周囲の友達がみんな大学進学すると言ったら、私にも大学進学の道を与えてくれたのだ。


 自分に使えるお金も時間もろくになかったはずなのに、母は自身の不満をほとんど表に出すことなくいつだって娘の私に笑顔を向けてくれていた。

 私が生まれて物心つく前に父は浮気して家を出て行ったらしいが、父がいない寂しさを感じさせないくらい母はいつも前向きで優しく、手本のような人間だった。


 遺品を手に取るたびに当時の温かな記憶が蘇り、遺品整理の手が止まってしまう。

 どれも捨てられないものばかりだなと独り言を呟きながら作業を進めていくと、”母の子育て日記”と表紙に書かれた一冊の日記帳が見つかった。


 他人の日記を勝手に読んでしまっていいのだろうか。

 故人とはいえ人の心の中を覗くような行為なんて道理に反している。

 …………いや、覗き行為を躊躇する理由は本当にそれだけだろうか。


 道義的な話だけではない、異物が喉の奥に引っかかるような違和感を覚えたが、特に気にせずにそのまま日記帳の一ページ目を捲った。


 ●●年××日

 今日は愛すべき我が娘、夏美の誕生。

 私の人生の中で最も幸福な日だ!


 ●●年××日

 自分の子供ではないから認知しないと夫が言い出した。

 それどころか、どこの誰とも知らない男と浮気したのだから損害賠償請求してやるとも吐き捨てて家を出ていきやがった。

 子種が誰のものであろうが妻が生んだ子供を育てるのが夫の務めだろうが。

 ムカつく。


 ●●年××日

 すぐに離婚を言い渡され、家を追い出されてしまった。

 浮気のことを実家に告げ口されたせいで実家にも帰れない。

 不倫していた会社の上司は逃げるように会社を辞めて逃げてしまった。

 早く住む場所を探さないと。

 1Kのボロアパートを見つけてすぐに引っ越し。

 狭いし汚いしガキはすぐ泣いてうるさいし、マジで最悪。


 ●●年××日

 金がない。とにかく金がない。

 今日の夕飯は食パンとバナナのみ。

 しょんぼりする夏美の顔を見てるとつい苛々してしまう。

 誰のせいでこんな状況になったと思ってんのよ。

 それでも、苛立つ心を嚙み殺して笑顔を作ると、夏美も諦めたように小さく笑みを返して食事を始めた。

 コイツが成長して大人になったら年老いた私の世話をしてもらうのだ。

 だからこの娘に嫌われてはいけない。笑顔笑顔。我慢我慢。

 この娘の成長が楽しみだ。


 ●●年××日

 あと一年で高校を卒業。

 ようやく夏美が働き出して私が楽をさせてもらえるんだと思うと、涙が込み上げてくる。

 今まで途方もない労力と金と時間をコイツに注いできたんだ。

 当然のリターンをこれから要求させてもらうわよ。


 ●●年××日

 大学に行きたいだって??

 死ね!!!!!!!!


 ●●年××日

 他のママさんに進路に関する話を聞いてみると、他の子もみんな大学進学を希望しているらしい。

 ウチだけ大学に行かせないとなると、ウチが他より劣っていると周囲に思われてしまう。

 周囲に見下されるだけは絶対に嫌だ。

 これまで夏美に色んなものを買い与えてきたのも、周囲から貧困家庭で劣っていると思われたくなかったからだ。

 まぁ、大学に進学させて良い就職先に入ってもらえれば、私もその分楽をさせてもらえるかもしれないわね。

 …………あと4年、辛抱してやろうじゃないか。

 それまで育てた分、夏美にガッツリ取り立ててやればいいのだ。

 本当に、本当にこの娘の成長を楽しみに待つとしよう。


 日記帳をそこまで読み終え、続きは読まずに静かに閉じた。


「ママーー!夜ご飯まだーー??」


 娘の秋穂が扉からひょっこりと顔だけ出して私に尋ねてくる。


「冷蔵庫にバナナと食パン入っているでしょう。食パンは適当にチンして勝手に食べていなさい」


「ここ一週間ずっと食パンとバナナばっかり。もう飽きたー!」


 秋穂の発言に心の中で軽く舌打ちをする……が、表には出さずいつも通りの笑顔を張りつける。


「ごめんね秋穂。ウチは母子家庭で貧乏だから。今月は家計が厳しいの。次のお給料日まで我慢してね」


 まだ5歳の秋穂は納得できないといった様子で拗ねていたが、これ以上何か言っても仕方のない事だと理解してくれたのか、小さく笑みを浮かべて


「うん、分かった。先に食べてるね」


 大人しくリビングに戻っていった。


 ……………………この娘の成長が楽しみだ。

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