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第五章 穏やかな日々と、ひび割れる音



 あの日から、蓮様は以前よりもよく笑うようになった。

 にこにことした、あの仮面のような笑顔ではなく、少し照れたような、幼い表情の混じる笑顔だ。

 私に贈り物をくださる回数も増えた。

 小さな硝子瓶に入った香油や、小さな花の細工が施された銀の簪、軍の売店で見つけたらしい絵葉書、季節外れの干し果実、可愛らしい包み紙にくるまれた砂糖菓子。


「これ、小夜が好きそうだったから」


 そんな理由で渡される度に、胸の奥が温かくなる。 私はそれらを大切に部屋に並べ、ひとつひとつ眺めながら眠りにつくのが習慣になった。


 穏やかな日々だった。

 静かで、あたたかくて。

 まるでこの離れでの優しい世界がこのままずっと続くのだとさえ思っていた。



◇ ◇ ◇



 ある日の午後、私は庭の花を眺めていた。

 狂い咲きの庭は、相変わらず季節を無視して色とりどりの花を咲かせている。

 けれど最近は、その光景が美しいだけではなく、どこか刺々しい花も混じって見えるようになっていた。


(どうしたのかしら?最近庭に咲く花の種類が変わってきている…妙に暗く刺々しい花ばかり)


 その時、庭の奥から、ふっと強い風が吹いた。

 花びらが一斉に揺れ、空気がひずむような、嫌な感覚が走った。


「……あ」


 思わず声が漏れる。

 次の瞬間、庭の一角で、季節外れの花が一斉に咲き広がった。

 何も生えていない地面からブワッと茎が伸び、つぼみが破れ、枝が伸び、まるで何かに押し出されるように。


(……これは…蓮様に何か?)


 蓮様の異能が、制御を離れかけている。

 私は、急いで離れの中へ戻った。

 胸がざわざわと落ち着かない。

 しばらくして、廊下の奥から足音が聞こえた。

 少し乱れた足取りの蓮様だ。


「あ、小夜」


 白い軍服を着た蓮様が現れた。

 相変わらず血塗れで笑っている。

 けれど、その笑顔はどこか引きつっていた。


「どうしたのそんなに慌てて」

「あの、庭の花が…蓮様に何かあったのかと」


 答えると、蓮様は小さく肩をすくめた。


「ああ…そっか」


 まるで失敗した遊びの話でもするような口調。

 でも、赤い瞳の奥は、揺れていた。


「ごめんね。庭にいたの?怖かった?」


 私は首を振った。


「怖くは……ありません。ただ……」

「ただ?」

「咲く花がぜんぶ刺々しくて…蓮様が心配で」


 その言葉を口にした瞬間、蓮様の笑顔が、ほんの一瞬だけ消えた。

 しかしすぐにまたにこにことした顔に戻る。

 けれど、それは先日庭や散歩の時に見せてくれていた笑顔とは違っていた。


「気のせいだよ。僕は平気」


 あの狂い咲く瞬間を見た今では、その言葉が偽りに聞こえた。


「……最近、少し無理をされていませんか?」


 私は、勇気を出して聞いた。


「軍のお仕事も……増えているのではありませんか。今日だって朝から出動されて」


 蓮様は、少しだけ視線を逸らした。


「まぁ、ちょっとね。忙しい時期なんだ」


 あまりに軽い言い方で、逆に現実味がなかった。


「でも小夜には関係ないことだから安心して」


 そう言われた瞬間、ああ、やはり蓮様は嘘をついていると思った。


「……関係ない、なんて言わないでください」


 思っていたよりも、強い声が出た。

 蓮様は、少し驚いた顔をした。


「私は、蓮様の妻です。妻が夫の心配をするのは当然です」


 蓮様は、しばらく黙って私を見ていた。

 その赤い瞳に、迷いと、ほんのわずかな安堵が混じっているのが分かった。


「僕はねぇ……最近ちょっと変なんだよ」


 ぽつりと、蓮様が言った。


「変…?何がですか?」

「出動命令が出て、力を使うでしょう?そうしたら僕はたくさんの命を刈り取る。今までは平気だったよ。僕は異能だ、人じゃないって思ってたから」

「そんな…」

「でもね、小夜と一緒に暮らすようになってから、僕が小夜を大事に思うように、相手にも同じような人がいるかも知れないって最近思うようになってね」


蓮様は俯いた。


「小夜、僕は君に惹かれている。君と過ごす日々が何よりも美しくて楽しい、けれど」


 蓮様が私を見下ろした。

 眉根を寄せ、苦悩した表情。


「僕は、君と一緒にいるといつか壊れそうだよ。君のことを大事にすればする程に、僕は誰かの大事な人の命を、まるで植物のように刈り取っているんだ。こんな酷い事ってないよ」


 蓮様は苦しんでいる。

 蓮様が大切にされればされるほど、奪った人たちの事を思う板挟みに。

 

「眠れない日が増えてさ。目を閉じると、花が咲く音がする」

「花が……?」

「うん。ばきって、裂けるみたいな音。僕の中から何かが溢れ出して、それで咲いている」


 もう、感情のコントロールが出来ない位、蓮様の心は壊れ始めているのか。


 庭の方で、また、花がざわめいた。 風もないのに、花達が一斉に揺れている。


(……少しずつ)


 穏やかな日々は、確実に壊れ始めている。

 私は思った。

 蓮様が耐えられないのならば、私にできることはただ一つ。


 蓮様とずっと一緒にいるだけだ。

 そこがどんな場所でも。




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