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第四章 桜並木と、触れない手



 雨が上がった翌朝、庭は別の世界になっていた。

 花も葉も、昨夜の雨を抱いたまま光っている。

 空気は澄んでいて、土と草の匂いがいつもより濃い。

 私は縁側に座り、乾ききらない板の冷たさを指先で確かめていた。

 昨夜、庭に降りた足の感触が、まだ身体に残っている気がする。


(雨上がりの次の日を、一緒に歩けるといいですね)


 あの時の蓮様の「うん」という声。

 呟きのようにも聞こえたが、どことなく重そうな返事だった。

 針仕事の続きをしようと、膝の上のハンカチに目を落とす。

 蓮様にもらったレースを縫い付けている途中で、糸が少しだけ絡まっていた。

 ほどこうと指を動かしていると、廊下の方から軽い足音がした。


「あ、おはよ」


 蓮様だった。

 相変わらずふんわりとした白髪に、赤い瞳。

 にこにことした笑顔で、でも今日は少しだけ眠そうだ。


「おはようございます、蓮様」


 挨拶をすると、蓮様は私の手元を覗き込んだ。


「それ、昨日の……レース?」

「はい。頂いたのを、ハンカチに縫い付けてみようと思って」

「へぇ。器用だね」


 そんなふうに言われると、少しだけ照れてしまう。

 私は視線を落として糸を引いた。


「……ねえ、小夜」

「はい」

「昨日さ、庭に出たでしょ」


 言い方は軽いのに、目はどこか真剣だった。


「もしかして、危なかったですか?」


 狂い咲きの庭は、私が知らされていないだけで足を踏み入れたら何か危険があるのかも知れない。


「んーそうじゃなくてね」


 蓮様は昨日のように縁側の柱に肩を預けた。


「昨日、君が庭に降りて僕を誘ってくれただろう?」

「あ、雨の中ごめんなさい…もしかして風邪をお召しになられたり」

「そうじゃなくて…あ、小夜は風邪引いてない?熱は大丈夫?」

「私は元気です。昔から風邪ひとつ引いたことがありません。雑草のように強いですよ」

「あはは、やっぱり小夜は面白いねぇ」


 蓮様は、にこにこしている。

 今日の蓮様はとても機嫌が良さそうだ。


「昨日、雨上がりの次の日に一緒に歩こうって言ってくれただろ」

「あ…はい」


 私は昨日の事を思い出し、恥ずかしくなって手元のレースに目をやった。


「今日、歩かない?」

「え?」

「昨日言ってたじゃん。雨上がりの次の日を、一緒にって」


 胸の奥が、ふわっと熱くなる。

 嬉しい。

 あれは単純に言葉通りの意味では無いと、蓮様はわかっているはず。

 それなのに…


「今日は雨上がりの晴天です。きっと世界は輝いています。私の言った言葉が本当かどうか確かめにいきましょう」


 私がそう答えると、蓮様はにこにこと笑った。


「少ししか時間無いけど、小夜に昨日の言葉を証明してもらおうかな」

「私の言う事を疑ってたのですか?」

「少しね」


 クスクスと蓮様は笑う。


 私は、針を刺したレースと布を膝の上に置き、横にある裁縫箱を開けて大切に仕舞った。


「では行きましょう」

「よし」


 蓮様は、子どもみたいに頷いた。




◇ ◇ ◇




 離れの外に出ると、空が思ったより高かった。

 本邸の影は遠く、ここだけが世界から切り取られたみたいに静かだ。

 庭は昨日よりも華やかに見えた。

 雨を吸い、濡れている花たちは昨日よりも色濃く咲いているように見えた。

 蓮様は先に立って、庭の小道をゆっくり歩き始めた。

 私は少しだけ距離を取りながら、その背中を追う。


「ホントだ。花が何だかいつもより綺麗に見えるかも」

「花たちが生き生きしていますね…あ、ネコノヒゲも元気そうですよ」


 私は元は猫だったと言うネコノヒゲを指差した。

 昨日は若干萎れていた気がするネコノヒゲは、白い花を鈴なりに咲かせ、花弁は太陽に向かって伸びていた。

 

「………ねえ、小夜」

「はい」

「僕の力が花を咲かせるものだけだったら良かったのにね。そうだったなら誰の命も…」

「蓮様…」


 蓮様は空を見上げながらゆっくりと歩く。

 誰に言ったでも無いその言葉に、私は返す言葉を持っていなかった。


 しばらく無言のまま2人でゆっくりと歩く。

 庭の端を抜けると、屋敷の外へ続く小道があった。 離れの裏手の、塀沿いの道。

 そこを少し行くと、桜の木が並ぶ場所がある。

 私は息を呑んだ。

 桜並木。

 まだ満開には少し早い。

 それでも枝先には淡い花がちらほらと揺れていて、陽を受けて白く光っている。


(……きれい)


 蓮様は、桜並木の入口で立ち止まった。

 赤い瞳が、穏やかに桜並木を眺めている。


「……まだ満開では無いけど…きれいだね」

「はい」


 私は頷いた。

 蓮様は、ほんの少しだけ私の方に手を伸ばしかけて――

 途中で止めた。


 指先が宙に浮いたまま、震えている。


「……ごめん、どうかしてるね僕」


 ぽつりと、蓮様が言った。


「え……?」


 声が小さく震えたのを、自分でも分かった。


「今、小夜の手を握ろうとしてた」


 蓮様は自重するように、哀しそうに笑っていた。


「小夜に触れちゃダメなのにね」

「え…」

「きっと僕は君を求めていると思う。だから今の僕が君に触れるときっと…吸い取ってしまう」


 そう言って、蓮様は自分の手をぎゅっと握りしめた。

 私は、言葉が出なかった。

 蓮様はきっと、当たり前のように命に触れられない自分の異能を、とても悲しんでいる。


 蓮様は私に触れたいと思ってくださる。

 嬉しい。

 売られるように嫁いだ私の夫は白い鬼などではない。

 とても繊細で、悲しいくらいに優しいひと。


「……いつか私が」

 

 蓮様は、のろりと私を見た。


「私が先立つ時が来たら、その時は」

「うん」

「手を握るだけじゃなく、思い切り抱きしめてください」

「……うん」


 蓮様はとても悲しそうに笑っている。


「約束ですよ?おばあちゃんになっていても絶対ですよ?」

「小夜がおばあちゃんになったら、きっと可愛いおばあちゃんなんだろうねぇ」


 クスクスと蓮様は無邪気に笑う。

 私は今自分が言った言葉を振り返り、なんで破廉恥な、恥ずかしい事を言ったのかと、顔が熱くなるのを感じた。


「僕が死んだ時は、あの庭に埋めてほしいなぁ」


 空を見上げる蓮様の目は優しい。

 本心であの狂い咲きの庭で眠りたいと思っているのだろう。


「はい、約束です」

「………そろそろ書類仕事をやらないと」


 蓮様は来た道へと戻る。


「蓮様」

「なぁに?」


 私の言葉に反応してふりかえった蓮様の頭に、桜の花びらが一枚、風に揺れて落ちた。

 まだ春になりきらない桜の、早すぎる花びら。

 まだ薄い色をした花びらは、満開になるともっと強い色になる。


「桜が満開になったら、また連れてきて下さいますか?」


 蓮様は今までで見た中で、1番素敵な笑顔で頷いて下さった。


 帰るよ、と蓮様は私に声をかけて、桜並木に背を向けゆっくりと歩き出した。

 私はその後ろを追いながら、いつか満開になった桜並木で、羽織と着流しを着た蓮様が、祝福されるように桜吹雪を浴びる姿を想像した。


 白に桜、きっととても綺麗。




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