第三章 雨音と、洗われる心
その日、朝から空は重たかった。
私は蓮様から頂いたレースという飾りをハンカチに縫い付ける裁縫に取り掛かっていた。
あれから蓮様は私に色々贈り物を下さる。
珍しい果実を絞った飲み物や色とりどりのビー玉や、カラクリ箱や金平糖などなど…
外出のお土産やちょっとした時に何かと下さるので、嬉しさ半分戸惑い半分だ。
でも、どの品も私の為にと考えてくださっているようで、やはり嬉しい。
ふと手を止めて庭を見る。
狂い咲く庭の花たちが、何だか息をひそめているように見えた。
昼過ぎになると、ぽつり、ぽつりと雨が落ち始め、やがてしとしとと庭全体を包み込むような音に変わった。
花は雨が降るのがわかっていたのか。
花びらも葉も、濡れて色を深め、まるで別の庭のようだった。
私は縁側に座り、雨に打たれる花をぼんやりと眺めていた。
晴れの日の庭は生命力に溢れて輝いているが、雨の日は少し大人しい。
ふと気がつくと、廊下を軽い足音が近づいてきた。
「あー……やっぱ降ってきたか」
蓮様だった。 着物の裾を少し持ち上げ、縁側の柱にもたれて外を見ている。
「庭に出られないですね」
「うん。今日は花も休みだな」
その言い方が、雨で外遊びができない少年のように退屈そうで、可笑しくなった。
私は少し迷ってから、問いかけてみる。
「……雨は嫌いですか?」
蓮様は一瞬きょとんとした顔をして、それから首を振った。
「嫌いじゃないよ。好きでもないけどね」
そう言って、庭の雨を見つめる。
「雨は……洗われる感じがするんだ」
「洗われる、ですか?」
「うん、血とか……匂いとか……記憶とか?」
蓮様は言い終わってから、少し伺うように私を見た。
私は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……雨が上がった次の日って、世界が変わる気がしませんか?」
「え?」
「雨が何もかも洗い流してくれるから、雨上がりの日は昨日とは違う別の世界ですよ」
蓮様はしばらく何も言わず、雨音だけが静々と流れた。
「……そんなふうに考えたこと、なかったな」
ぽつりと呟く声は、いつもの砕けた調子ではなかった。
もしかしたら、これが素の声に近いのかもしれない。
「雨は何もかもが濡れて鬱陶しい。血で汚れた時は洗い流してくれるから少しはマシかなとは思ってたけどね」
「でも、花にとっては命の水ですよ」
私は庭を指差した。
雨に打たれて、花たちはどれも色を濃くし、静かに咲いている。
「……そうだな」
蓮様は小さく呟いた。
「花も、雨上がりには違う姿になる。花びらが散ったり打たれて萎れたり、耐えきれず折れたり」
「雨粒が陽を浴びた花はキラキラしてとても綺麗ですよ」
「モノは考えようだねぇ。小夜は前向きで羨ましいな」
「そうですか?私は雨上がりの日が天気だと、世界が輝いて見えます」
「本当に変わっているね」
蓮様はクスクス笑った。
しばらく、二人で並んで雨を眺めていた。
近すぎず、遠すぎず。
不思議と居心地のいい距離だった。
「ねえ、小夜」
「はい」
「……君はさ、怖くないの?」
「何がですか?」
「僕も。庭も、なにもかも」
私は少し考えてから、正直に答えた。
「最初お会いした時は正直言って怖かったです。だって蓮様、笑顔で血塗れの真っ白な軍服ですよ?怖くない方が嘘になります。でも…」
「?」
「お話ししていくうちに、蓮様はとても気さくで優しい方なんだなって思いました…だから怖くありません」
蓮様は驚いた顔をして、それから、ふっと笑った。
いつもの、にこにこした笑顔。
けれど、ほんの少しだけ違って見えた。
「小夜は僕にとって初めての言葉をたくさんくれるね」
「そうですか?私はそう感じただけです」
雨音が、少し強くなる。
「君はさ」
蓮様は、縁側の板に指先を置きながら言った。
「僕のこと、兵器じゃなくて、人だと思ってくれるんだね」
「蓮様は最初から人ですよ」
私にとっては当たり前の返答だったけれど、蓮様には違ったようで、一瞬だけ目を伏せた。
「ずるいなぁ」
「何がですか?」
「そんなこと言われたら、ちゃんと人として生きなきゃいけなくなるよ」
気のせいかもしれないが、蓮様の目元は少し潤み光っていた。
「どういう意味ですか?」
「僕は兵器だ。軍の指令でたくさんの命を刈り取ってきた。軍人はもちろん女子供まで命令されるがまま」
「…お役目ですもの」
「そうだね、そうなんだよ、そうなんだけど…このままだと僕は…」
「雨がたくさん降るといいですね」
「え…」
「その間はいろんな事を流し続けてくれます。何もかも流し終わったら後は乾くだけ。そうしたら新しい世界が待っていて、でも…」
私はそれ以上何も言えず、ただ雨に濡れる庭を見つめた。
雨は、静かに、確かに、すべてを包んでいた。 血も、匂いも、記憶も、蓮様の異能も全て、流れて消えてしまえばいいのに。
「蓮様、外に出ましょう」
「まだ雨止んでないよ」
蓮様は突然の提案に戸惑っている。
私はひと足先に庭に降りた。
雨が私をゆっくりと濡らしていく。
蓮様も迷いながら庭に降り、私の近くに来てくれた。
「雨上がりの次の日を、一緒に歩けるといいですね」
「小夜…うん、そうだね…」
2人で雨空を見上げる。
まだ雨は止む気配はない。
蓮様は異能であるが故に奪ってきた命の全てに許されたいのかもしれない。
それを、ずっと誰にも言えずに抱えてきたのだ。
私はそう思った。
きっと蓮様は、血や叫び声や記憶、そして奪い取ってきた命から逃れるように、笑顔という仮面を被り続けなければ命令に従う事ができなかったのだ。
暴走しそうな異能はきっと、蓮様が抗い続け、贖罪と悔恨の数だけ咲いた狂い咲きの花達。
なんて純粋で可哀想な人なんだろう。
雨に打たれたままの私たちは、触れないまま、同じ雨音を聞いていた。
蓮様の声に出さない悲鳴が、雨音に混じって聞こえてきた気がした。




