一皿の肉は欲を満たすか
「あれは怪異だったのだろうか」
男はそう前置きをしてから、その身に起きた出来事を語り始めた。
男は村から村へと物を売り渡る行商人だった。
その日の行程しだいでは野宿することもあり得る。
出来事に遭遇したその日は、小雨が降り続いていた。
幸いな事にその時の荷物は少なく野宿も出来ないことはなかったが、一晩中雨にさらされるのは避けたかった。
「さて、どうしたものか」
困り果てて、それでも歩みを続けた。
行商で幾度となく通った道。
その為、今居る近くに民家などが無い事は知識として知っていた。
「止みそうもないしな」
そう言って空を見上げる。厚い雲は全く薄まる気配はなかった。
黒い雲から視線を下ろした時、不意に建物の屋根が見えた。
改めて見てみると、今居る街道から細い脇道に入った所だろうか、木々の向こうに質素な屋根と煙突から昇る煙が見えた。
「なんと言う偶然か。これは助かった」
男は街道を外れ、細い脇道に入って行った。
このような場所に脇道が有った記憶はないし、その先の家についても同じだった。
だが、いくら何度となく通った道とは言え、前回が一年ほど前。自分が知らない脇道や家が増えていてもおかしくないだろう。
屋根があれば、雨露を防げる。
それに煙が上がっていると言うことは、誰か人が居るのであろう。
暖をとらせてもらう事も、暖かい食事にありつく事も出来るかもしれない。
その家は脇道に入ってすぐに現れた。
決して立派な造りとは言えないが、それでも家には違いなかった。
入り口の扉を叩き、用件を伝えた。
「すみません、旅の者です。できましたら一晩の宿をお貸しいただけないでしょうか」
家の奥からゆっくりと足音が玄関に近づいて来る。
そして扉が開けられ、そこには一人の老人が立っていた。
「おや、若いの。こんな天気の日に難儀な事だ。
ささ、お上がんなさい」
「ありがとうございます。感謝します」
礼をして、家の中に入れてもらう。
久方ぶりに全身を襲う雨粒から開放された。
「丁度晩飯を作っていた所で、火が着いております。近くで暖まりなさい」
「ご丁寧にありがとうございます」
言われるままに向かった台所には、確かに火が着いており部屋が幾分か暖まっていた。
火にかけられた鍋からは、何かの煮物だろうか美味しそうな匂いが漂ってきていた。
「どうです、折角だし晩飯も馳走しましょう。今日は珍しく獲物が捕れたんで、鍋で煮込んでいたんです。
みてくれこそ酷い物ですが、味はきっと気に入っていただけると思いますよ」
老人は鍋から煮えた肉をとり出し、皿によそい男に渡してきた。
ぶつ切りにされたその肉は老人が言うほど、悪い見た目をしているわけではなかった。
「ありがたく頂戴いたします。因みにこれは何の肉ですか」
「森に罠を張っておくと、いろんな物が引っ掛かるもんです。鳥から四足から。
今日もそんな獲物の一つです」
「へぇ。なるほど」
相槌もそこそこに、肉を口に運ぶ。行商の旅で色々な肉を食べてきたが、その肉はそのどれとも違った。
男は妙にその肉を美味しく感じた。
無性でほおばり続けたが、老人が笑顔を見てきている事に気が付いて、手を止めた。
「宿だけではなく、こんなに美味しい料理までいただいてしまい、すみません。
お代を先に払っておきます。おいくらほどですか」
老人は笑いながら答えた。
「いやいや、お代は結構。その肉がお前さんの舌に合って良かった。
旨いと感じる物は自分が不足している物、なんて話も有る。お前さんの不足が満たされるならそれで良い。
ああ、そうだ。ではお代の代わりに話を聞かせてくれんかね。儂はずっと此処に住んでるから他の場所に行った事が無くてな。見た所、お前さんは色々な所を歩き渡っているのだろう」
「その様な事であれば、お安い御用です。では、そうですね、」
老人に促され、男は道中で経験したり耳にしたりした色々な出来事を話しながら、食事をいただいた。
老人はその話を遮る事なく、適度に相槌を打ちながら聞いた。
老人の前によそわれた肉には手を付けようともしなかった。
どれ程の話をしただろう。気が付けば男の皿に有った肉は食べきって無くなっていた。
男は色々な話をしながら気が付いた事が有った。この老人はこと欲にまみれた話になると、眉をひそめる。
だが、商人が見聞きした話で欲が絡まない話の方が珍しい。
一つの話が終わった後、老人が口を挟んだ。
「儂は此処にずっと居る。するとお前さんの様な若い者があの街道を往来するのが目に入る。
在るものは意気揚々と駆け足で、在るものは下を向き重い足取りで何とか前に進む。
何の為か、理由は色々有るにしても、行き着く先は欲だ。
欲が有るから、ああして一喜一憂する。
儂は森の動物達をよく見る。あいつらは今日のお前さんの様に、雨をしのげその日の食にありつければだいたい満足する。
お若いの、それだけでは足らんかね」
男は空になった皿に目を落とし、少し考えて答えた。
「私は商人である為、人々の中でも欲深い事を生業にしています。ですから私にも欲が有ります。
もっと富を集めたい。集めた富で都市の一等地に自分の店を持ち、人を雇って大きく商いをしたい。
人である以上多かれ少なかれ、そんなものだと思っています」
「ふむ。だが、その先は底無し沼ではないかね。より多く、より上に、と。
お前さんだって富を集めて、店を持って、人を雇って、その後はどうする。更に富を求めるのだろう」
「それは、そうですね。ですが、その未来に届こうとする欲が、今日の私を突き動かしている事も事実です」
老人は男の回答を聞いて、一つ唸ってから言葉を続けた。
「前にお前さんでは足元にも及ばない程の欲深い奴が一人、森に入った事が有った。
そ奴は見かけた獲物を見境なく射止めようとした。結局、腕前の方がついて来てなかったので、その矢のほとんどが空を切ったが。
だが、それ以降森の動物達が怯えきってしまってな。
誰かの欲が誰かを害する事が有る。お前さんはそれでも欲を求めるか」
「・・・詭弁かもしれませんが、誰も害する事無く達成できる欲も有るはずです。
先ほどの例はあまりに自分勝手な人のようでしたが、決してそのような人ばかりでは無いはずです」
「では、お前さんは現状で満足する事無く、欲を求め続けると」
「ええ」
「際限なくか」
「ええ。際限なく」
「・・・」
「・・・」
二人の会話が止まる。先ほどまでは全く耳に入ってこなかった屋根を叩く雨音が、二人を包む。
詰め寄るように聞いてきていた老人が、男の返答を聞いて一瞬の間の後、破顔した。
「いや、すまない。儂にはとんと解らぬ事だったもんでな。少々聞きすぎてしまった。
食べ終わったようだし、老人の質問はこれぐらいにして、寝室にご案内しよう」
老人はそういうと立ち上がり、歩き出した。
男はついていく事にした。
通された寝室もまた、質素ではあるがその役割を十分に全うできる寝具が置かれていた。
「商人であるお前さんは、明日の朝も早いのだろう。ゆっくりと休んでいくと良い」
「何から何までありがとうございます。
では、また明日の朝に」
「ああ」
そう言って、寝室の扉が閉められた。
雨の中をさんざん歩き、正体は今だ不明ながらも十分な量の肉を食べ、目の前には寝具がある。
男はふらふらと吸い寄せられるように寝具に近づき、倒れるように寝転がり瞼を閉じた。
意識を手放すまでは一瞬だった。
気が付くと、寝付く瞬間まで続いていた雨が屋根を叩く音が止んでいた。
それどころかその屋根すら無くなって、開いた目に飛び込んできたのは木々の隙間から微かに覗く青空だった。
驚いて飛び起き、辺りを見渡す。
そこには寝具はおろか家すら無かった。
男は木にもたれ掛かって寝ていた。
ふと、気がつく。
回りの木々の葉や地面は昨夜の雨で濡れている。しかし男の衣服と寝ていた場所だけは、まるで雨に当たっていなかったかのように乾いていた。
男は起き上がると、何故か気分が晴れやかであることに気が付いた。
今まで心に積っていた澱が全て無くなったような爽快感が、男を包んでいた。
男は荷物を確認して、歩き出した。
その足取りは軽かった。
「これで済めば、ただの不思議な話で済んだんだけどね」
男はため息を付きながら、その後に起こった自らの変化を語った。
「その後で気が付いたんだが、なんと言うか、俺の中から欲が無くなってしまった。
商人をやる以上、欲は不可欠だ。
安値で買い、高値で売る。
その為には嘘とまでは行かなくても、交渉を有利に進めなきゃならない。
そう解っているはずなのに、相手の言い分を疑うことすら忘れて信用し、結果、高値で買って安値で売ってる。
随分と損な取引ばかりをしている。
そのうち、俺の手元から富は消えてなくなってしまうだろうな」
酒のつまみに男の奇妙な話を聞いていた友人が口を開いた。
「確かに最近のお前の行動は理解できない事が多かった。だが、今の話が本当だとしたら、それもしっくり来る。
あれじゃないか、お前はその老人に欲を奪われたんじゃないのか」
「そうだとしても何の為に」
「そんな事解るか。欲に興味がない老人が、それを知るために集めてるのかもしれないし、それこそお前みたいな次の獲物を誘き寄せる餌にするのかもな」
餌と言う言葉に不意にあの正体不明の肉の存在を思い出した。
友人は酒を一口飲んでから、言葉を続けた。
「お前の話を聞いていて、一つ思い出した事がある。お前がその老人に出会った場所の近くの村に、一つの信仰が残ってる。
よくある森の神を崇めるやつさ。
その森の神が出てくる神話の一つに似たような話が有った。
細かいところは忘れたがだいたいの所だけだったら覚えてる。
ある強欲な一人の村人が日々の糧のため以上の量の動物を殺した。それに怒った森の神がその村人をこらしめた。
お前が出会ったのはその森の神かもしれないな」
老人の笑顔を思い出す。
あの老人、あれは何だったのだろうか。
「あと友人として厳しい事を言うが、今のお前が商人を続けても他の奴等に良いように利用されて、最後は騙されてどん底に落ちるだけだ。
被害の少ない今のうちに商人から手を引いて、地元に戻って土を耕す事にせいを出した方が絶対に良いぞ」
「だが、俺にも夢が、」
自分でも状況は良くない事は理解しているが、それでも食い下がった。
「店を持つってやつか、だが、今のお前じゃ一生働き続けてもそんなのは叶えられないさ」
「あ、ああ」
男は友人の言葉に打ちのめされたわけでは無かった。
「夢が有る」と言っておきながら、友人に言われるまで自分の店を持つと言う夢の事を忘れていた。
更には、自分の中でその夢が非常にどうでも良い、執着する価値も無い夢に思えてしまった。
そんな自分に気がついて、うなだれた。
「まあ今日ぐらいは奢ってやるよ」
そう言って、友人は男の空になっていた杯に酒を注いだ。
口に含んだ酒の味は、あの時食べた肉の味には遠く及ばなかった。




