あなたの虜
「バンドやりたいって言ったって……」
思わぬ願いに恵はたじろぎつつ、ゆっくりと言葉を選んで問う。
「あー、その、麻由香はなんか楽器やったことあンのか?」
その問いに麻由香は少し頬を染める。
「うん、一応あるよ」
なぜ頬を染めるのかと疑問に思いながら恵はさらに聞く。
「何やってた?」
「……キャラじゃないって笑わない?」
「それ言い始めたらキリないぞ。学校での俺なんてクソ陰キャで通してンだからバンドやってるキャラじゃないだろ」
「確かに。ならいっか」
「おい!」
「恵から振ってきたんじゃん!」
「ハハッ! 冗談だって」
イタズラを仕返しした子供のように笑う恵と、頬を膨らませる麻由香。だがすぐに麻由香も吹き出し、くすくすと笑う。
ひとしきり二人で笑い合うと、麻由香はサッパリした様子で言う。
「実はね、バイオリンやってたの」
「あー、なるほど。そういうことか」
それは確かに派手な見た目の麻由香からは想像がつかない。だが短時間だけとは言え一緒に過ごしているとそんなに意外に思えなかった。
良くも悪くも回転の速い頭脳と、品のある所作。気配りもできる様子からして育ちがいいのはなんとなく分かる。そういう恵まれた家庭の人間ならばバイオリンを習っていたと言われても納得する。
でも人は見た目の印象に引きずられやすい。
今までは意外だのなんだのと散々言われてきたのだろう。想像に難くないし、そう言われた麻由香が言った方の人間を貶めないように立ち回る性格なのはなんとなく想像がついた。
そこまで考えたところで恵はどう話を続けるか悩んだ。
麻由香の言った言葉をあっさりと信じたように返してもいいのだが、それだと薄っぺらい気がした。ならば、と恵は麻由香に握られている手をやんわりと外させて、彼女の手のひらをひっくり返して見る。しかし街灯の心許ない光だと判然としない。目視を諦めた恵は、麻由香の左手の指先に触れる。すると弦楽器経験者特有の、何度も皮が剥けて硬くなった皮膚をしていた。
こうなるのは長く練習してきた者だけだ。腕前までは判断がつかないが、少なくとも長年の経験者であることは明白だ。
恵は目線を上げると、麻由香の目をじっと見つめて言う。
「いい手だ」
何かもっと気の利いたことを言いたかったが、うまい言葉が浮かばなかった。もうちょっといいこと言えよ、と思ったが、麻由香には十分伝わったらしい。こぼれ落ちそうな程目を見開いたあと、すぐに「ありがとう」と心底うれしそうにほほ笑んだ。
ホッとした恵は色々と聞いてみることにした。
「いつからやってたんだ?」
「三歳。物心つく頃にはもう始めてたよ」
「ガチじゃん! でもやってた、ってことはもう辞めたのか?」
「うん、まあ、色々あって。でも教室に通ってないってだけで、楽器は手放してないよ」
「へぇ。じゃあ弾こうと思えばいつでも弾けるのか」
「理論上はね。でも家じゃ練習できないから……」
「あー普通はそうか」
「普通って、恵は違うの?」
「俺ン家は防音室があるんだよ。しかも結構厳重な。だからいつでも好きなだけ弾き放題だし、なんだったらそこで打ち込みも作ってるぞ」
「え! すご! もしかしてお金持ち?」
「世間的にはそうかもな。いいことばっかじゃねぇけど」
「そうなの?」
「まあ、色々あンだよ」
「そうね、色々あるわよね。でもいいなぁ。防音室。あるってことはいつ弾いても親に怒られないんでしょ?」
「どっちかと言うと親が家にいる時間が少ないから怒られるも何も、って感じだな」
「なるほどね。でも邪魔されないのはいいことじゃない」
「そうか?」
「そうよ」
そう言うと麻由香は恵に触れられていた手をやんわりと外し、ベンチから立ち上がる。その背中にはどことなく寂しさが滲んでいた。が、すぐにその空気を払拭するように振り返った麻由香は、あっけらかんと言う。
「で? 実際どう? 私は合格?」
「合格? 何に?」
「バンド! 私が未経験者じゃないって分かったンなら入れてくれるよね?」
「あー……そんな話だったな」
「ひどい! 忘れてたの?」
「そうじゃないけど、いやでもなぁ……」
「だめ?」
「うーん。だめじゃないけど……」
「何か理由があるの?」
「まああるっちゃあるけど」
「私がいや?」
「そんなこと言ってないだろ。ただ……はぁ。まあ、先に言っておいた方がいいか」
恵は盛大なため息をもらすと、気だるげにベンチから立ち上がる。
「別に俺だって初めから一人でやってた訳じゃないさ。楽器だって麻由香と違って小学校高学年くらいからしかやってないし、全部の楽器をある程度弾けるようにするのは手間は手間だからさ。中学ンときは何人かと組んでバンドやってたんだよ。でも集めたはいいけどやる気にばらつきがあったり、やりたい方向性が違ったりでケンカが絶えなくてさ。面倒くせぇ! つって解散して、それからは一人で打ち込みと一緒に演奏してンだよ。だから麻由香がいやなんじゃなくて、俺が誰かとバンド組みたくないってだけ」
ここまで言えば納得するだろう、と恵は麻由香を見つめる。だが予想に反し、麻由香の意思はまったく折れていなかった。
「つまりやる気があって恵の目指すところを一緒に向ける人ならいいってことでしょ?」
「理論上はそうだけど」
「なら任せて! 私ならずっと楽器やってきたから恵の手を煩わせることもないし、それに……」
「それに?」
急に口ごもった麻由香はそのまま顔を下に向け、もじもじと両手をすり合わせる。らしくない姿に戸惑っていると、麻由香は意を決したのか、真っ赤な顔を上げて言う。
「私なら恵の音楽の理解者になれるわ! だって今日の演奏、本当に素敵だった。クラシックばかり聞いてきたのもあるかもしれないけど、それでも唯一無二の最高の音楽だったことは分かるわ。もちろん、今のままでも恵の素晴らしさは表現できているわ。けどね、思っちゃったの。手に入れたい、この世界に一緒に飛び込みたい、って。だからどんな形でもいい! 恵と一緒にバンドやらせてほしい!」
一気にまくし立てた麻由香は腰を直角に曲げて頭を下げると、右手だけ恵に差し出す。まるでプロポーズでもしているかのような勢いに恵はたじろぐ。
「お、おお……そんなに気に入ってくれてるとは思わなかった」
「気に入るなんて次元じゃないわ。あなたの――シガレット&デビルの虜なの」
「そんなにか」
「ええ。このことを話すために恵の喫煙写真も撮ったの。受け入れてくれれば消すわ」
「ああそういや写真撮られてたンだっけ」
「脅す形になってごめんなさい。なんとか恵の懐に入りたくて。でもそれだけ本気なの! だからお願い、どんな扱いでも受け止めるから、私を恵のそばに置いて!」
まさかこんな風に思われていたなんて思っていなかった恵は、どうすればいいのか分からず返答に窮する。どうするのが最適解なのだろうか、と考えながら麻由香を見ると、差し出されている右手が震えているのに気付く。
その瞬間、恵の心は決まった。
「よし。分かった」
「へ? あ!」
恵の一人納得したようにつぶやいたのを聞いた麻由香がビクッと体を震わせ、一瞬右手を引く。が、すかさず恵の右手が麻由香の右手を捕える。恵に握られていることに気付いた麻由香は顔を上げ、恵を見つめる。その目には強い意志が宿っていて、手違いなどではなく、恵の意志で麻由香を受け入れてくれたのが分かった。
「恵……! ありがとう!」
麻由香は目を潤ませ、恵に抱きついた。恵は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに麻由香を受け止め彼女の背中に手を回す。
街灯の灯りが祝福するように煌々と二人を照らした。




