友達
ベンチに座ってからのKは餌付けされて懐柔された猫のようによく話した。
芥川の作品全般の面白さはもちろん、自身のアーティスト名にまでしている『煙草と悪魔』のどこが素晴らしいのかまでつぶさに語る。麻由香も詳しくないと言っていたものの、一般的な書店に並んでいるような作品は網羅していたため、Kの熱量程ではないが会話にはついていって的確な相槌を打っている。
あまりの話しやすさにKは驚きつつも、同世代でこんなにも話が合う相手に出会ったことがなかったため、興奮のままに話し続ける。
時間も忘れて話し込んでいたら不意に麻由香が聞く。
「そういえば高畑さんはどうして音楽を始めたの?」
「なんだよ急に」
思ってもみなかった質問にKが戸惑っていると、麻由香が少し申し訳なさそうに上目遣いで見つめてくる。
「ごめんね、急に。でもそんなに好きなら小説を書いてそうなのに、なんで音楽にしたんだろうって気になっちゃって」
「そういうことか」
言われると確かに、とKはうなずく。が、すぐに照れ臭そうに首の後ろを掻きながら言う。
「実は書いてみたことはあるんだ。ただなんか性に合わないというか、なかなか完成させられなくてさ。多分理想が高過ぎたんだろうな。しっくり来なくてさ。ただ言葉を紡ぐのはやってみたかったから、ちょうど音楽も好きだったし曲作ってみたんだ。そしたら思った以上に楽しくて。そっからハマって作りまくって――今に至るって感じだな」
「へぇ。それで作れちゃうんだから高畑さんってすごいのね」
「別に作るだけならそんなに難しくないぞ」
「そうなの?」
「ああ。けどそこからイイ曲……まぁいわゆる売れたり人気が出る曲を作るのは相当難しい」
「それは――そうよね。皆が皆売れて人気な訳じゃない。つまり人気の出づらい曲も一定数あるものね」
うんうんと深くうなずく麻由香。その拍子に耳にかかっていた髪がはらりと肩にかかる。
明らかにカラーリングしているのが分かる茶髪と、ゆるく巻かれた長い髪。カラーリングをしている美容師の腕がいいのか、若さゆえなのか痛んでいる髪はほとんど見当たらない。メイクも丹念に仕上げているのか、ムラのないファンデーションと街灯を弾いてきらめくアイシャドウは彼女の顔を美しく彩っている。
パッと見は派手であまり勉学に興味はなさそうな麻由香。だが奥底にある教養の深さは目を見張るものがある。
小説に対しての理解度もそうだが、音楽の世界についても理解が早い。話題を無理やり切り替えてしまうところはあるが、いつの間にか気にならなくなってしまう。それ程に麻由香の知性を感じられる会話はKを楽しませた。
「高畑さん?」
呼ばれて意識を揺り戻す。見ると麻由香が心配そうにこちらをじっと見つめていた。
「大丈夫? ぼーっとしてたみたいだけど、疲れちゃった?」
「ああ、すまん、ちょっと考え事していた。……てかさ、その『高畑さん』ってのやめてくれよ。苗字で呼ばれるのあんまり好きじゃないんだ」
そう言うとKは少し視線を自分の手元に移す。
うそは言っていない。が、完全な本音でもない。
苗字で呼ばれるのは自分があの父親の子であることを実感してしまうから嫌いではある。これは本当だ。しかし今はそれ以上に麻由香と距離を縮めたいと思っていた。
Kは友達と呼べる人間がほとんどいなかったが、それでも距離を縮める方法として定番なのが名前を呼び合うことだと知っていた。だからこそ麻由香も自分のことを名前で呼ばせてきたのだろう。ならば自分もそれに応えたい。そう思って下の名前で呼ぶように誘導しようと思った。
Kは麻由香に視線を戻す。
裏の真意までは恥ずかしいからバレたくない。だが嫌がられたらそれはそれで恥ずかしい。麻由香はどういう反応を示すだろうかと思って様子を伺うと、戸惑ってはいるようだったが嫌悪感は一切見られなかった。
「そうなの? じゃあ……恵ちゃん?」
おずおずと名を呼ぶ麻由香。だが恵はまずいものを食べたときのように口をひん曲げて拒絶を示す。
「え、ごめん、間違えちゃった?」
おろおろとする麻由香。だが恵は軽く手を横に振って否定する。
「いや、間違っちゃいないけど、ちゃんづけされるくらいなら苗字の方がいい」
「あ、そうなんだ。じゃあ……恵」
ほっとした表情で麻由香は恵に右手を差し出す。
「これで私たち友達だよね?」
案外古風というか、生真面目なんだな、と恵は思いながら、差し出された右手を握り返す。すると麻由香は今までで一番の笑顔を見せて左手も使って恵の手を包み込む。
「うれしい! でね、早速友達としてひとつお願いがあるんだけど、聞いてもらえる?」
友達という、これまでの恵の人生ではあまり馴染みのなかった関係性にドギマギしながら恵は返す。
「まあ、俺がやれる範囲でなら聞くけど……お願いって?」
恵が言うと、麻由香は無邪気な笑顔のまま願いを口にする。
「私ね、恵と一緒にバンドやりたい!」




