一人のファン
「いやーやっぱ痺れるねえシガレット&デビルの音楽は。マユちゃんもそう思うでしょ?」
興奮した様子で隣にいる少女に話しかける中年の男。だがマユと呼ばれた少女は心ここにあらずと言った様子で男に返事をしない。
「マユちゃん?」
男がマユの目の前で手をひらひらと振る。するとマユはやっと男の存在を思い出したかのように返事をする。
「あ、ごめんなさい、パパ。ぼうっとしちゃってた」
謝罪ののち、マユは慌てたように付け加える。
「彼女の演奏、とてもすごかったわ。うまく言えないけれど……衝撃的だった。びっくりし過ぎてパパが呼んでくれてたのに気付かなかったの。ごめんなさい」
心の底から申し訳なさそうにするマユ。その姿はさながら捨てられまいと懸命に尻尾を振る子犬のよう。憐憫の情を煽るようなその姿は見る人が見れば〝演技〟というのが丸分かりだが、日頃若い世代に触れることのない男にその演技を見抜くことはできない。
「いいんだよマユちゃん。それよりも僕は君が彼女の音楽をイイと感じてくれたことの方がうれしいんだ」
男の言葉の方にうその気配はない。その様子にマユは少し面食らったが、すぐに作り物のように完璧なほほ笑みを見せながら男に聞く。
「パパもうれしいならよかった。それじゃあ演奏も終わったことだし、今日の目的を果たしに行く?」
「ああ! そうだった、今日は、今日こそは彼女に演奏が素晴らしかったと伝えに……でもでもこんなおじさんに話しかけられても困るよね?」
「困らせないために同世代の私を連れてきたんでしょう?」
「そうなんだけど、ああ、でもいざ話しかけると思ったら……ちょっとトイレ行ってくるね!」
男は腹をさすりながらトイレに駆け込んでいく。マユは苦笑を飲み込みながら笑顔で男を見送る。その直後、先程までステージに立っていた少女が外に出ていくのが視界の端に映った。マユは迷うことなく彼女を追っていった。
「すごいんだね、高畑さん。私、感動しちゃった」
ライブハウスの外にあった喫煙所にいた彼女に声をかけると、彼女は煙たそうに煙草を持った手を振る。
「誰だか知らねぇけど、ライブハウスにいるときには本名で呼ぶんじゃねぇよ」
「なんで?」
「本名だと身バレしやすいだろ。ここではKって呼べ。てかアンタ誰?」
「誰、って、私たちクラスメイトでしょう?」
「クラスメイト? この世で一番信用ならない関係性だな。たまたま同じ年代に生まれて、たまたま同じ学校に入学して、たまたま同じクラスに割り当てられただで知り合いぶられるような薄い関係のやつにプライベートな時間を邪魔されたら困る」
取り付く島もない。だがマユはそれでも諦めない。
「確かに。意図的に知り合った訳ではない私たちは共通の趣味で知り合った友人たちよりは圧倒的に希薄な関係ね。でも近しい環境で生活をしているということは相手の弱点もつかみやすいのよ」
「と言うと?」
パシャッ。
Kがそう言い終わる間もなくシャッター音が鳴る。まさに煙草を咥えたそのタイミングで。
「どういうつもりだ?」
マユの意図が分からなかったKは彼女をきつくにらみつける。するとマユは軽くスマホを振りながら当然のような口振りで言う。
「どうもこうも、私たちは顔と名前と所属している学校を知っているだけの存在な訳だけど、そうなると必然的に年齢も知っていることになる。間違いないわよね?」
「……脅してるつもりか?」
「まさか! 私はただあなたとお友達になりたいだけ。でも偶然手に入れてしまったあなたにとって危険なこの画像、うっかり同級生や先生に見られてしまっても……私はただ目の前で実際に起こった出来事の画像を持っていただけ。そこから先どうなるか想像することはできても、対処してあげることはできないかな」
つらつらと話すマユと呆気に取られるK。そこでKは思い出す。マユが普段クラスを取り仕切っているカースト上位に位置する人物であることを。
慣れた様子から察するに、もしかしたら普段から今回のような手段でクラスメイトたちの弱みを握っているのでは? という疑念がKの中で頭をもたげた。だがそんなことは自分に関係ない。それよりも〝弱みを握られた〟という現状をどう打開するかの方が問題だ。Kはマユに問う。
「お友達になりたいって、具体的にどうすりゃいいんだ?」
「それは――」
マユが答えようとしたその瞬間、マユと一緒にライブを聞いていた中年の男が喫煙所に現れた。
「あ、いたいたマユちゃん! って、Kさん⁈ な、な、なんでここに?」
男はKとマユが一緒にいると思わなかったのか、うろたえた様子でどもる。
何度かマユとKを交互に見やるが、やがて意を決したように赤面しながらおずおずとKに話しかける。
「あ、あの、僕……いや、私はあなたの……ええっと」
だがまともに話せていない。次第に男の額から大量の汗が流れ始め、それを見たマユはため息を押し殺しながら助け舟を出す。
「実はね、パパはずっと前からシガレット&デビルのファンなの。ただKさんは若い女性でしょ? だから男一人で声をかけたら怖がらせると思って、私と一緒にKさんと話しかけようと考えたの。だから緊張していても許してほしいな」
マユがそう言うと、男は迷える子羊のような目でKを見る。Kもその姿に気が抜けたのか、煙草の火を消すと男とマユを見比べながら言う。
「あー、まあ、別に……純粋に音楽を気に入ってくれてるって言うンならそんなの気にしなくていいし、うれしいよ。……ありがとな」
その言葉を聞いた途端、男は緊張の糸が解けたのか、怒涛の勢いでシガレット&デビルがいかに素晴らしいか話し始める。男の熱量に圧倒されたKは目を丸くしながらただ相槌を打つしかない様子で、見ていてなんとも言えない空気感になっている。
マユは二人に気付かれないようにそっと息を吐き出すと、深く息を吸い込んでからKの手首をつかむ。
「行こッ!」
「はぁ⁈」
「えッ!」
マユは驚くKに構わず彼女を連れて走り去る。
Kはマユに腕を引かれながら喫煙所の方を見やる。遠のいていく男の顔はぼんやりとしていて表情は判然としない。まるで煙草の煙に包まれたようなその姿からは男がどういう感情で二人の少女を見送っているかは分からない。
その姿がKにはどこか不気味なものに思えたが、どうしてそう感じたのか分析する間もなく男の姿は見えなくなって景色と同化していく。
Kはもう男の姿を探すことはせず、マユの方を振り返って彼女がどこに行こうとしているのかだけを考えることにした。




