あこがれ~或る少女との約束~
登場人物
雪焔…魔軍と呼ばれる敵から第15師団地区を守る“防衛部隊長補佐”
唯花…第15師団地区の学校に通う少女。雪焔を慕う
豪角…“防衛部隊長”であり、雪焔の師。顔が熊のようで子供に怖がられる。
静焔…雪焔の父。軍のトップである“大軍団長”という地位に就く。抜刀術の達人
日が高く昇っている。
「そろそろみんなは昼食かな…」
背の低い草花が小さく揺れる小高い丘の上に立つ雪焔は、鼻腔をくすぐる美味なる匂いを感じ、その元にある建物群を見下ろす。
第15師団地区。ここには自軍を支える科学技術の工房が軒をそろえる。最重要防衛地区の一つであり、“防衛部隊長補佐”を任せられた雪焔の職責は大きく、重い。
「今日もどうか穏やかな一日に…」
思わず零しながら、雪焔は自分のもとに駆けてくる小さな影を視界の端に認める。
「せつえんさまぁ~~!」
相手も自分のことを認知したのか、距離が離れているにも関わらず大きく手を振りながら、無邪気さをまき散らして彼女は近づいてきた。
「あら、唯花。どうかした?」
唯花と呼ばれた齢7つ頃の少女は、駆けてきた勢いのまま雪焔の腰へ抱きつく。手入れされた長い髪を優しく撫でながら、雪焔のは優しく問いかけた。
「あのねー。お母さんが、せつえいさまにご飯を持っていけって…。いつも私たちを守ってくれて、ありがとうございます」
そう言って唯花は、綺麗に編み込まれた籠を雪焔の前に突き出す。その籠の奥にある少女の顔からは、感謝と何よりも憧憬の念が濃く表れている。
「ありがとう、うれしいわ。良ければ、あなたも一緒に食べる?」
「え?い、いいんですかぁ~!食べたいです!一緒に!」
じゃあ、準備するね、と言うと、雪焔は草原の上に布を広げ、一人分の食事スペースを作る。
「さぁ、どうぞ、座って唯花」
「あ、せつえんさまこそ、どうぞ」
「私はいいわ。このまま座るから」
「でも……」
遠慮なのか憧憬からくる敬意なのか、まったく座ろうとしない唯花と目線を合わせるように、雪焔は膝を折りながら語り掛ける。
「あなたがこれを持ってきてくれなかったら、私はあのいい匂いに絡みつかれながらお腹が空くのを我慢しなきゃいけなかった。だからこれは私からあなたへのお礼よ、それに―」
雪焔は少女の全身を一瞥する。
「こんなに綺麗な服を汚すなんてしたら、私、あなたのお母様に怒られてしまうわ」
そう言って見せた雪焔の微笑みは少女の緊張を溶かし、自然と彼女の顔にも笑みを浮かばせた。
ありがとうございます、と言って、唯花は誂えられた布の上に腰を下ろす。布の上からでも草花が柔らかく自分を受け止めてくれていることを感じる。この感覚に包まれていると、まるで争いなどないかのような錯覚さえしてしまう。穏やかでどこか清々しさを覚えている。隣で腰を下ろした雪焔も同じことを感じているのだろうか、と唯花はチラリと雪焔を横目で覗く。
綺麗だ、と思う。端正で凛とした顔立ち。それでいて刺々しさはなく、その目は優しさと愛情に溢れている。いつからだろうか、自分がこのお方に強く惹かれたのは。少しでも近づきたくて、髪を伸ばしてみた。でもまだ、軽やかであり艶めかしくも感じさせる、この光沢を伴った黒髪には遠く及ばない。強く、美しく、優しく。そんな雪焔を羨望ではなく憧れの目で見れている自分を、唯花は誇りに思う。
「ん?食べないの?どこか具合が悪い?」
「あ!い、いえっ!大丈夫です!!」
ぽーっと見惚れていた唯花は慌てて籠の中のおにぎりを両手に持ち頬張る。はっ!と、らいりょうふでふ…と繰り返しながら自分が無心に食いついていることに気づいた時には既に、雪焔がニコニコと自分を見つめていた。
「す、すみません!私、こんなにたくさん…」
「いいのいいの。私も十分食べたから。おいしかったね」
「はい!お母さんのお料理はなんでもおいしいです!」
「唯花も貴女のお母さんみたいに、料理上手で素敵な人になれるわね」
お母さんみたいに、と言われ唯花は少しだけ複雑そうな表情を見せた。何か悪いことを言ってしまったか…と雪焔は逡巡する。
「ごめんね。お母さんみたいに、って言っちゃマズかったかな…」
「い、いえ!そんなことはないです、ただ…」
そこでまた言い淀みそうになるが、唯花はキッと雪焔を見つめ、口を開く。
「私は、せつえんさまみたいに、綺麗で強くなりたいです。私は、せつえんさまみたいに刀を扱うことはできないけれど…。でも、弓になら自信があるんですっ!私も、この場所を守りたいです」
突然の告白に、雪焔は少し驚くが、自分の働きがこうして認められたことも嬉しく、誇らしく思う。
「そう。ありがとう。それじゃあ、まずはもっともっとお勉強しないとね!」
「うぅ…がんばります…」
どうやら、勉強は好きではないらしい、と目をそらし肩を落とす少女に、雪焔は苦笑いを浮かべる。
「あ!そろそろ午後の学校が始まるので、せつえんさま、私は失礼いたします」
「そう、行ってらっしゃい」
行ってきます、と手を振りながら唯花は駆け足で戻っていった。その影が見えなくなる場で、雪焔は手を振り続ける。
「―さてと。もう出てきてもよろしいですよ」
雪焔がそう投げかけると、さっきまで草原に伏して隠れていたものが立ち上がり、巨大な影を落とす。
「まったく。別に隠れないで堂々と出てきたらいいじゃありませんか」
「いやぁ~。でも俺が出ていくと子供は皆泣き出しちまうからなぁ…」
体についた草花をぱっぱと払いながら、熊のような顎鬚と体躯の“防衛部隊長”豪角が近づいてくる。
「きっと話し方の問題ですよ。軍以外の人前だと急に『のじゃ』とか『誠か!』とか話し方変えるんですから…。あれ、偉そうでとっつきにくさ満点です」
「むうぅ。しかし、ああでもしないと素行の悪いやつだと誤解されちまうからなぁ。いっそこの顎鬚を剃っちまえば…」
「それだけは、ダメです!」
豪角の言を遮るように、雪焔が発する。
「その顎鬚を剃るなんてダメです。カッコいいのに」
「そ、そうか…。じゃあ、今後も学校とか、子供の世話はお前の担当でよろしくな」
「それは、喜んで。でも、ご自身でも子供に泣かれない努力をしてくださいね!」
一応、俺は上官でお前の師なんだが…と豪角は考えるが、雪焔に気圧されて何度も頷くことしかできなかった。
その夜。日付が変わったことを確認し、雪焔は見張り場から宿舎へ戻っていた。
窓の外に見える工房にはまだ煌々と明かりが点いている。日中は魔軍の襲撃があればここにいる職人やその家族は何をおいてもまず避難をすることになる。だからこそ、時間がかかったり、集中が必要な細かい作業はこの時間にきてようやく本格化する。
「彼らもみな、私たちと肩を並べて戦ってくれているのだな…」
砲撃部隊の最新兵器と言われる“川蝉”の噂は別部隊の雪焔まで届いている。唯花が成長した頃には、もっと改良と量産が進んでいることだろう。最近では、魔軍が使う“魔崩”を切り裂く刃なんていうのも研究されているらしく、この地の重要度は日に日に増していくばかりだ…。
守らなければならない。この場所も、子供たちも、すべて。自分が手にした力で、自分の刃が届く限り…。
明日は市中の見回りか…、つぶやきながら雪焔は床についた。
「あ!せつえんさまだぁ~!」
その姿を認めるなり、唯花は駆け寄り、抱きついてきた。
「こらこら!今はお勉強の時間ですよ!戻りなさい」
女教員に引きずられて、渋々といった様子で唯花は席に着く。彼女ほどではないにしても、15名ほどいる子供たちは一様に、雪焔のことが気にかかるようでチラチラと見られていることが伝わってきた。
雪焔が訪れているのはこの地区の教育機関だ。軍の科学的な中枢を担うこの場所には、当然教養がある者が多く、その者たちの中で交代にこうして子供たちの教育をしている。
授業が終わると、子供らは一目散に雪焔の元へと駆け寄ってきた。
もみくちゃにされながらも、彼女は膝を落とし、子供たちと同じ目線で会話をする。
「いつも来てくれてありがとうございます」
そういってきたのはこの学校の校長である初老の女性であった。
「この子たちも、雪焔様にお会いできるのを楽しみにしているのですよ。一緒に何をして遊ぼうか、なんてしょっちゅう話しています」
「それは、とても光栄なことです。この子たちが未来のこの世界を支えてくれる。私はしっかり守ってみせますよ」
自分を見つめる輝く瞳の奥に、この子たちに託す未来を想像しながら雪焔は自分に言い聞かせるように言を返した。
「なーなー雪ねーちゃん。あっちで俺たちとあそぼうぜー」
「むー。瑠斗くんズルい!せつえんさまは私たちとコッチで遊ぶの!」
あーだこーだと取り合いが始まってしまった…と雪焔は苦笑いを浮かべる。ふと校長をみると、いつものこと、とでも言いたげに穏やかに笑いながらこの状況を見ていた。
あぁ、そうか。と雪焔は改めて目の前の少年少女に目をやる。
こうして好きに言い合えるのもこの子らがお互いを信頼している証なのだ。唯花も、よく自分の元へやってくるが、こうして多くの友人に囲まれ、幸せに日々を過ごしているのだ、と雪焔は再認識する。
「せつえんさまは、何して遊びたい?」
不意な唯花の問いに対し、雪焔が口を開きかけた―。
「緊急!緊急!!魔軍が攻めてきた!魔軍が攻めてきた!避難を!今すぐに避難を!!」
突如として地区の全域にもたらされた凶報。
一瞬にしてこの場にも緊張が走る。最初に声を上げたのは校長の女性であった。
「皆さん!落ち着いて。いつも通りに避難をしましょう。西の防災拠点まで向かいます。慌てず、騒がず、迅速に、ね。何も恐れないで、練習通りに」
先ほどまであれほど姦しかった子供らが、皆一様に押し黙り、話を聞いている。
「雪焔様。どうか、私たちをお守りください…」
触れるまで気が付かなかったが、雪焔の手を取った彼女の手は少し震えていた。何も恐れないで、とはよく言ったものだ。自分だって感じる恐怖は一入だというのに…。
強い人だな、と雪焔は子供を救うために己を殺す目の前の女性を見る。そして、その手を誰にも見せぬためかのように優しく両手で包み込んだ。
「皆さんのことは、私が必ず、お守りします」
そう言って雪焔は学び舎を飛び出す。直前、ふと目が合った唯花へ、彼女はいつも通りの優しい笑みを向けた。
「―多いな」
青く続く北方の空の一部を黒く塗りつぶすほどの魔軍の群れが、まるで一匹の巨大なカラスのように見える。
北の大森林より来る白い甲冑。しかし、その中身は人ではない。無数の管が犇めき、血の一滴も通わぬ不可思議な存在だ。
数は…、ざっと1500。地区防衛の数300は数的には圧倒的に不利に思えるが、先頭に立つ豪角の表情には若干の余裕があった。
くるり、と彼は振り返り、後ろにいる防衛軍へ向けて発する。
「皆の者よいか!ここは我らが同胞が住まう地。同胞の宝は己が宝と思え!家族・友人・技術。何一つ、魔軍なんぞに奪われてはならんぞ!」
おぉー!と歓声が沸き起こる。補佐として豪角の側に立つ雪焔もまた、自身が高揚しているのを感じた。
「敵の数は1500!対して我々は300!しかし、それがなんだというのか。我々は実力アリと認められてここにいる。一騎当千の猛者ばかりだ。臆するな!弱気になるな!立ち続けろ!!よいか!!!」
一際大きな歓声がこだまする中、豪角と雪焔は再び敵と対峙する。先ほどまで一つの生物として見えていた大群は、今や一体一体が判別できるほどに接近してきていた。豪角は歓声を背に受けながら、黒の金属に覆われた巨大な棍棒の先を滅ぼすべき人ならざる者たちへと向ける。
「皆の者!―行くぞぉぉぉぉぉぉ!」
豪角に追随するように、彼らは勢いよく高台を駆け下りる。
高速で魔軍へと迫る豪角の目に、煌めく光がいくつも入り込んでくる。
そして放たれた“魔崩”の雨が、まっすぐに向かう豪角らへ無慈悲に降り注いだ。
火、水、雷、土、風…。多種多様な属性を帯びた砲撃は、部隊を灼き、押しつぶし、切り刻まんと圧倒的な質量で向かってくる。
「ちっ。何度戦っても慣れねぇなぁ、あいつらの戦い方ってには!」
悪態をつきながら、迫りくる凶器の雨を掻い潜り、豪角は魔軍の一体へ肉薄すると、構えた棍を左から右へ横薙ぎに振るう。
ズガンッと鈍い音が響き、魔軍の装甲は上下に分断された。続けて上段から降り下ろされた一撃は、奥にいた一帯を両断する。
勢いをそのままに、空中で回転した豪角は、遠心力を上乗せした剛腕の一撃でもって、4体の魔軍を一息に葬った。
「―相変わらず凄まじい動きね、我が師匠は…」
豪角の獅子奮迅の活躍を横目で見やりながら、雪焔は己が前に立ちはだかる軍勢に目を向ける。
「6…7体ね。これくらいなら問題ないわ」
己が磨き上げ、今なお師匠にズタボロにされながら磨き続ける剣。その刃は豪角ほどの剛腕さはなく、父、静焔の技巧に対しては足元にも及ばない。
ないものばかりだ、と思う。これから拾うものもあれば、ずっとないままのものもきっとある。剛腕な剣など、たぶん自分は手に入れられない…。
しかし、逆に自分だけが持ちえた、豪角や静焔よりも秀でたものもまたたしかに存在する―!
鞘から刀身を抜き、雪焔は7体の魔軍へ正面から突っ込み―通り過ぎて振り向きもせず先へ進む。
全力で戦場を駆ける雪焔の耳へ先ほど対峙した7体が真っ二つに切られて崩れ落ちる音が聞こえてくる頃には、新たに8体の群れへ雪焔は飛び込んでいく。
―雪焔の目は他者とは少しだけ違っている。
長年の訓練の成果で花開いた天賦の才。彼女は「刃の道」と「刃の目」を視認するに至った。
対峙する敵の機微まで瞬時に読み取り、続く行動を連続的に見通す「刃の道」によって回避と攻勢を使い分け、生物、無生物とに関わらずあらゆる物体が持つ「刃の目」を見ることで『どこにどの角度で刃を通せば切れるか』を雪焔は視る。
もちろん、手にした情報をもとに体を操り、刃を振るうためには血の滲む鍛錬が必要だが。
8体の敵も処理した雪焔はおおよそ優勢に展開している戦場を見渡す。
防衛部隊の被害は今のところ0名。どの隊員も一度に3体程度であれば無難に立ち回れているようだ。
何とか持ちこたえられそう…とわずかに弛緩した精神に、再びの凶報がもたらされる。
「伝令!敵別働部隊100体を確認!場所は地区西部!地区西部に敵別働部隊100体を確認!!」
雪焔の脳裏に、無邪気に笑う子供たちと初老の女性の顔が浮かぶ。そして、両手でおにぎりを頬張る少女―。
「唯花!!」
「待ちやがれ、雪焔んんんんん!」
反射的に体を翻し駆けだした雪焔。その背に豪角の怒号が響く。
「何を待てというのですか!?子供たちが危険な状況なんです!行かせてください!!」
土ぼこりで所々が白くくすんでいる黒鎧を纏いながら目の前に立つ豪角に、雪焔は感情のままに叫ぶ。
「勝手に単独行動をすることは許さん!人員を準備するからもう少しここで耐えていろ」
「人員など必要ありません。私は今、向かわなければいけないのです」
そういうや否や、雪焔は豪角のもとへ突撃し、彼の捕獲の姿勢を掻い潜って駆けだしていった。
「くそっ、刃の道はこういうところが厄介だな」
忌々し気に雪焔の背を見送りながら豪角は叫ぶ。
「必ず援軍を遣るから、無茶はするなよぉ!」
背に届いた師からの気遣いに、雪焔は振り返らず刀を掲げて応えてみせた。
西部には、伝令の通り100に迫る軍勢が攻め込んできていた。一部足が速いものが先行してきているようだが、本隊とはまだ距離がある。
間に合ってほしい…どうか何事も無きように…。子供たちが避難する場所へ、雪焔は悲痛とも見てとれる表情を浮かべながら駆けていく。
目の前に立ちふさがる6体を、限界ぎりぎりまで速度を上げている中で彼女はすべて一刀に沈めた。
駆けること四半刻。ようやく雪焔の目に避難所が見えた。
中の様子はまだわからない…。しかし、まだ魔軍が攻め入っている様子はなかった。
そのまま、避難所に飛び込む。日の光が入らずろうそくがチラつく暗い空間に15人の子供たちと校長含め何人かの教師らが身を寄せ合って座っていた。
「みんな!ケガはない!?」
皆が顔を上げた。そして、自分の身を案じてくれる雪焔を見ると安堵したかのようにほとんどの子供たちがわんわんと泣き出した。
「みんな、大丈夫よ。落ち着いて。この場所にも魔軍が迫っている。急いで別の場所へ避難しなおさないといけない」
そう言って雪焔は校長を見る。自分が何をすべきか、そして、あなたは何をすべきかを確かめるような目線だ。
「分かりました。みんな、ここは雪焔様が守ってくださるから、私たちは移動をします。訓練通り、慌てず、騒がず、迅速に、ね。では、行きましょう」
子供たちと教員らが出口へ向かおうと立ち上がる。ふと見ると、唯花は涙一つ流さずじっと雪焔を見ているのが目に入った。
「唯花。怖くない?」
「うん!全然!せつえんさまが来てくれるって信じてたから」
なんて光栄なことだろう、と雪焔はまた優しい微笑みでその信頼に応えた。
その直後。雪焔の後ろの壁が激しい音とともに崩れ落ちる。
そこから差し込む日の光を背負い、3体の魔軍がこちらを狙っているのがかろうじて見えた。
―くそっ。目が明るさに慣れていない!
白飛びする世界の中、自分に向けられて放たれる火と雷、2本の魔崩の矢をかろうじていなし、3体の魔軍を両断する。
…おかしい。と雪焔に疑問が浮かぶ。
…切ったのは3体。最初に現れたときも3体だ。間違いない。ここまで思考し、雪焔は背中が冷たくなっていくのを感じる。
…あと一つ、魔崩が飛んでいなかったか?
そうだ。と雪焔は疑問の答えにたどり着く。敵は3体。しかし、自分が対処した攻撃は2体分。あと一つはどこへ行った?
切り裂いた敵が地面にぶつかるまでの刹那の思考。しかし、その答えは背から聞こえる恐怖によって示された。
「唯花ちゃん!唯花ちゃん!!しっかりして、ねぇ!!」
誰かが、唯花を呼ぶ声がする。
何が起きているんだ。振り向かなければ。振り向かなければ…。
振り向けば、そこにあるのは確実な惨劇。悲惨な惨状。しかし、受け止めるべき現実だ。
ゆっくりと雪焔は振り向く。
まず目に飛び込んできたのは何かを囲むように立つ教員と子供たち。
そして彼らの足元の合間を縫うように、血液が自分の元まで伸びてくる。今もまだ伸び続けている…。まるで、自分に助けを乞うかのように。
あ、あ、あ、、、
僅かに人だかりが割れ、中心にあるものを確認できた。
唯花が倒れている。たくさんの血を出して、そうしてピクリとも動かない彼女は―右目が貫かれていた。
―自分が何を話しているのかわからない…。
喉が、焼けるように痛む。
触れている感覚は鮮明だ。腕の中では軽い…とても軽い少女の体が力なく横たわっている。
生温かい血液のドロッとした感触が、弱まっていく少女の拍動とともに掌いっぱいに伝わってくる。
視界の鮮明さは自分を呪い殺したくなるほどで、少女が貫かれた右目の惨状が否も応もなく脳へ絶え間なく送り付けられる。
―どうしてこんなことになっている。
目の前の現実を、分析できない。
ぐちゃぐちゃの思考の中、雪焔はようやく自分が救護班!救護班!!と叫び続けているのが分かった。
どうやら教員の誰かが救護班を連れてきてくれたらしい。頑なに少女を抱きしめ続ける雪焔の腕から無理やり引きはがす形で、彼らは少女―唯花の応急処置を始めた。
「雪焔さま…だいじょうぶ?」
14人の子供たちの一人が呼びかけてくる。
「あ、ああ…だいじょうぶ、だよ…」
笑顔が作れない。心配させるべきではない。自分がしっかりしなければならない。この子たちを守りたい。泣いてほしくない…。なのに、精神の動揺は全くおさまってはくれない。
自分の荒い息遣いがだんだんと大きく聞こえてくる。
教員に連れられ、子供たちと処置を終えたらしい救護班はこの場所を出ていくのを、雪焔は捨て去りたくなる意識の端でとらえた。
「―様。―雪焔様!」
急に視界が右に揺れ、遠のいた意識が戻る。どうやら左の頬を張られたらしいということを、遅れて感じ取った痛みで理解した。
「雪焔様!しっかりしてください!!」
誰もいないはず、みんな自分を残して出て行ったはずだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
校長が一人、雪焔をまっすぐに見つめて立っていた。
「あぁ、校長先生。私は、取り返しのつかないことを…」
「何のことを言っているんだい。まだ何も終わっちゃいないだろう!」
かろうじて絞り出した雪焔の言をかき消すかのような校長の言葉が響く。
「雪焔様。あなたはよくやってくれている。あなたがいなければ、今頃私たちはここで蜂の巣にされていただろうさ」
「でも、私は結局―」
口を挟もうとする雪焔を、校長は手を前に出して制す。いいからお聞き、と校長は言を続ける。
「いいかい。唯花のことであなたがひどく傷ついているのはわかるよ。でもね。唯花だってまだ死んじゃいない。私たちだって誰一人欠けちゃいない」
雪焔の肩をつかみ、目を合わせて彼女は語る。
「まだ、未来はつながってる。今は皆泣いているけど、明日笑えるように必死で生き延びようとしている」
肩をつかむその手に力が入る。自分も目の前で起きた悲しみに押しつぶされないよう、必死で、食いしばって今こうしているのだと伝わる。
「目の前の笑顔を守ることはもちろん大事さ。けどね。あの子らが生きる未来を笑顔でいっぱいにしてやるために、今は私らが必死で乗り越えなきゃいけない時だよ」
本当は、齢15の女の子に言うことではないのかもしれない、背負わせるべきではないかもしれない。
「だから、お願いだよ、雪焔様―」
しかし、この子は―雪焔は強いから、きっとこれも糧に変えてくれる。彼女の口調が、力強いものから、最後は優しく希うものへと変わる。
「唯花が目を覚ました時のため、友人を、家族を、この地区を、そして何よりあなた自身を―守ってくれないかい?」
あぁ、やはりこの人は強い、と雪焔は目の前で涙一つ流さずに立つ女性を見つめる。
この人は、私たちで乗り越える、と言った。横に立って一緒に守ろうと言ってくれた。ものがよく見えるとか、よく切れるとか、そんなことはどうでもいいのだ。
魔軍を前にして自分が丸腰であっても、後ろに守るものがあるのなら、きっとこの人は仁王立ちで退かぬだろう。つい今まで、現実を投げ出そうとしていた自分とは雲泥の差だ。
「雪焔様。あなたはまだ立てる。戦う力もある。その溢れんばかりの優しさを、どうか自分の枷にしないで」
優しさの枷…。思えば雪焔は任務だから、役目だから、という理由で行動したことはなかった。目の前の人の、目の前の苦しみを取り除こうとやってきた。
―何と言う甘い、超がつくほどのお人好しだ、と雪焔は自虐する。自分の前でだけ笑顔ならば問題がないと。そのために心血を注ぐと。
苦しみを分かち合い、共に乗り越えようなんて考えたこともなかった。自分は守る者。皆は守られる者だと…。なんて浅はかなのだろう…。
ガラッと天井が軋む。見上げると巨大な屋根の一部が二人の頭上目掛けて落ちてくる。
キンッという甲高い音が部屋に反響した。咄嗟に頭を隠していた校長がの両脇に石の塊が恐ろしい音とともに落下する。
両断するために頭上に振り上げた刀を鞘に戻し、雪焔は校長と向き合う。
「ありがとう。校長先生。私、目が覚めました。皆のこと、守ります。だからいっしょに、この危機を乗り越えてください」
光が戻り、その奥に揺らめく決意の火を宿す瞳を見て、校長は柔らかく微笑み、深々と頭を下げた。
「ええ。雪焔様。我々をどうかお守りください」
「あのー。校長先生」
ばつが悪そうに、雪焔は呼びかける。
「その…。雪焔様っていうのは、やめていただけないかなぁと」
「それはどうして…」
「私は、あなたから大切なことをたくさん教わり、たくさん気付かされました。私にとってあなたは心の師です。様などとつけられたくはありません。雪焔で構いませんので…」
この申し出に、校長は驚いて目を丸くしたが、意を察したのち柔らかな表情で答える。
「わかりました。雪焔。気を付けて、行ってらっしゃい。みんなで待ってますね。」
「はい!行って参ります」
そう言い残すと、雪焔は陽光が差し込む壁の穴から光の向こうへと駆けだしていった。
雪焔の前方には、およそ100体の魔軍の群れ。
雪焔の後方には、無骨だが美しい街並みとそこに暮らす人々の“宝の山”。
その狭間に立つ彼女は、己の職責の重さを再認識していた。
(教員らは子供たちを守っている。救護班は唯花や、傷ついた人たちを治療している。皆、必死なんだ。自分の役割の中で、必死に未来をつないでいる…)
では、自分の役割はなんだ。
“防衛部隊長補佐”としての未来のつなぎ方は…。
刀身を鞘に納めたまま、雪焔は身をかがめ、構える。
体の回転に合わせて、抜刀された刀身はまるで、目に見えぬ何かを断ち切るかのように空を裂いた。
「正直、今まではバカにしてたけど…」
わが父に比べ、全く洗練されていない己の抜刀を見ながら、
「今は少しだけ、肩書に縛られる気持ちも理解できるよ…父上」
雪焔は今度は本来の己の構えを取る。
刀身を下げ、脱力から始まる彼女の剣は、その意識の大半を脚へ持っていく。
最高速で敵陣へ突撃し、「刃の道」で見極め「刃の目」で切る。
高速で優雅とさえ称される雪焔の剣はまた一つ、高みへと昇った。
「第15師団地区“防衛部隊長補佐”雪焔。この任、今、完璧に果たしてご覧に入れましょう…!」
1VS100の防戦に、しかし、一切の迷いなく彼女は戦場へと駆けるていく―。
「――ん…」
雪焔が目覚めたのは清潔に囲まれた寝台の上だった。
上半身だけ起こす。なぜ自分がここにいるのか、朧げな記憶の断片が浮かんでくる。
60体…いや、70体ほど切り伏せたところで力尽きた。
倒れそうなところを支えられて…そのとき詰めてきた10体が一瞬で真っ二つになって…。
そのあとから記憶がない。おそらく気を失ったのだと思う。
地区のみんなはどうなったのだろうか。私を助けてくれた顎鬚隊長はどこに―。
ダメだ、とぼんやりとする思考をまとめられず、もう一度寝台へ寝ころんだ。
ぷに―っと、何か冷たいものが頬に押し当てられる感覚で雪焔は再び目を覚ました。
目を開けてみても、どうやら横向きで寝ている自分の後ろから押されているようで、その主犯が分からない。
どういう状況だ…?と訝しく思いながら、ゆっくりと体を反対へ回す。
そこには、用途は不明だが細い棒状で金属製の医療器具を持つ少年が立っていた。たしか、学校にいた子たちの一人…。
雪焔と目が合うと、初めこそ、その少年は驚いた様子でじっと彼女を見つめていたが、徐々に嬉しいやら泣きそうやらよくわからない顔をしながら、部屋を飛び出していった。
次に聞こえてきたのは廊下の奥で「雪焔様が目を覚ましたぁぁぁ!」という大声と、それからドタドタと近づいてくる無数の足音だ。
なんだなんだと戸惑っている間に、雪焔の病室はたくさんの子供で埋め尽くされる。
「雪焔様ぁ~。目が覚めてよかったぁ~」
一人の子供が雪焔へ飛びついた。他の子らも口々によかったよかったと言ってくれている。
「あの、私はどのくらい眠っていたのでしょうか…」
奥でこの様子をにこにこと見ている校長へ、雪焔は問いかける。
「4日かねぇ。あんなことがあったんだ。心身ともに疲労のピークって感じだったんだろう。この子ら、雪焔が目を覚ますまで代わる代わる様子を見に来てたんだよ。まぁ、その器具はよくわからんけど…」
棒状の器具を見ながら校長はクスクスと笑う。ほんの悪戯のつもりだったのかもしれないが、子供のすることは無邪気で怖い…。
それでも、みんなが自分のことでこんなに喜んでくれるなんて、という喜びの中、一つの気がかりを校長へ尋ねる。
「あの…唯花は、どうしていますか」
場の空気が凍るのを感じた。子供たちの顔も暗くなっている。
「まぁ、生きてはいるよ。危なかったみたいだけどね」
生きてはいる、ということに雪焔は安堵するが、この場の雰囲気は彼女にそれ以上の不安を煽った。
「生きてはいる…だけど、良くないんですか?」
「まぁ、立てるようになったら会ってやってくれるかい。大丈夫。唯花はあなたを恨んでやしない。あの子もあなたのこと心配していたからね…」
校長の言葉を信じて、早く回復して会いに行こう、と雪焔は決意した。
それから3日が立ち、雪焔は今、とある病室の扉の前に校長と二人で立っている。
『唯花』と書かれた名札がかけられた病室の中からは、母親と子供らしい二人の会話が断続的に聞こえてくる。
「どうしたんだい。早くお入りよ」
「い、いや…。やっぱりちょっと緊張してしまって…」
急かすように背中をぐいぐいと押してくる校長とあと一歩が全く出ない雪焔。
このやり取りだけでどれほどここにいることか、と校長は雪焔には見えないように呆れ顔を出す。
「まったく、情けない子だねぇ。もういいや。行って来な!」
そう言うや否や、校長はガララッと病室の扉を開けた。
ノックもなく突然扉が開けられ、唯花と母親が驚いた表情で雪焔を見る。
やってくれたな校長先生…と自分の背後に隠れる彼女に目線だけで恨み節を送ると、腹を括って雪焔は病室へと足を踏み入れた。
「あ!せつえんさま~。もう元気になったの?」
前と変わらない…ように見える唯花の様子に、雪焔は少したどたどしく頷く。
「うん。元気だよ、唯花も元気かな?」
明るい口調で話せた気がするが、自信はなかった。
唯花の顔の右半分は包帯が巻かれている。その包帯の下、右目があるはずの場所には痛々しく大きな眼帯がつけられているのだろう。
「わたし?とっても元気!もうすこしで退院できるんだって!そうしたらまたみんなと遊べるんだぁ」
そう言って手を叩いてはしゃいで見せる唯花の様子を見て、雪焔は僅かながら違和感を抱いた。
「あの…お母様。もしよろしければ、唯花と二人で、お話しさせてはいただけませんか」
ふと湧いた願望を、雪焔はそのまま口に出す。きっと、この申し出は間違っていないはずだ。
「え、えぇ…。それがいいと思います。校長先生も、一緒に出ましょう」
あいよ、といいながら、校長も母親と一緒に出て行った。唯花の様子に、母親も違和感を抱いていた、ということなのだろう。
バタン、と扉が閉まったことを確認し、雪焔は寝台の脇にある椅子へ腰を下ろした。
「ねぇ、唯花…」
ニコニコとした顔を自分へ向けてくる少女に、一瞬のためらいを覚えながらも問いかける。
「あなた、―何を無理しているの?」
ニコニコとした表情を貼り付けたまま、少女の顔は凍ったように見えた。
長い沈黙が続く中で唯花は雪焔から視線を外し、目の前に置かれた机と、その上にある湯呑み茶碗を残った左目でじっと見ている。
雪焔は、この沈黙を唯花と一緒に待つことにした。
多分、この子は話したくないのではない。この沈黙は、必死に言葉を探しているんだ。だから、私は唯花の言葉を待つ。唯花と並んで壁を乗り越えるために。
「…お茶碗がね……」
ぽつりと唯花が話し出した。
「お茶碗がね、うまく取れないの。指の先で滑っちゃったり、奥に押し込んで落としちゃったり。ずっとできてたのにね…」
齢7つの少女が直面する重すぎる現実に、しかし雪焔は無言で耳を傾ける。まだ、続きがあるはずだから、と。
「それにね。右側が見えなくなっちゃったから、よく何かにぶつかっちゃうんだ。この前廊下を歩いてたらお医者さんの台にぶつかちゃって注射とか全部落としちゃった…」
えへへ…と笑うその表情は、とても7歳には見えない、深い諦観の念を含む笑顔だった。
「羨ましい…」
ふと、唯花が独り言のようにつぶやく。
「みんなと同じことができなくなちゃった。半分見えなくなっちゃった。お母さんのお手伝いもできない。せつえんさまにお弁当を届けるのだって、危ないって言われた…。もう、何もできなくなっちゃった」
わなわなと、布団を掴む手が震えている。大の大人でさえ辛い現実だ。それをこの子は、必死に受け止めようとして、身に降りかかった事実を一つ一つ確かめているんだ…。
でも、今はそれのせいで自分の存在そのものに疑問がついてしまっているのかもしれない。
気づけば雪焔は唯花に顔を近づけ、抱きしめていた。少女の息遣いが右の耳に入り込んでくる。
この子は、本当に強い子だと思う。おそらく泣き崩れたい気持ちをぐっとこらえて、必死で自分にできることを探したのだろう。できない、できない…その連続で。目が覚めてからここまで、そればかり突きつけられて。
それでも、必死で、必死で…。
「…泣いていいよ」
雪焔は耳元で優しく囁く。
そう、何もかも止めて、ただひたすらに泣くことがあってもよいのだ。泣くことにも飽きて、ちょっとだけ顔を上げた先に見える未来。それが少しだけ明るく見えていればいいのだ。
―その未来は、私が必ず作って見せる。
首筋を伝う温かな感覚と腕の中の小さな震えを、雪焔は決して忘れまい、と誓った。
ひとしきり泣いたあと、目の周りと鼻の頭を赤くしながら、唯花は不機嫌そうに雪焔を見る。
「むー。泣かないって自分で決めてたのに!」
「ごめん。ごめんね」
何とか機嫌を直してもらおうと、雪焔は全力で謝り倒している。
「私はもう、せつえんさまみたいにはなれないのかな…。髪の毛は短く切られちゃったし、こんな顔じゃあ、綺麗なんて言ってもらえないだろうし…。いつかこの場所を守りたいって思ってたけど、もう弓も使えなくなっちゃった…」
少女の表情がまた暗いものへと変わる。
「前はさ。せつえんさまみたいになるぞって頑張ってた自分が結構好きだったんだ。でも、今はそんな自分もいなくなっちゃった。いいなーって思うだけの自分しか、今はいなくなっちゃったよ…」
寂しそうに語る少女を雪焔はまっすぐに見つめる。
自分が伝えたいことを、ゆっくりと目の前の少女に語り掛ける。
「唯花…。私は、あなたを守り切ることができなかった。それで、あなたは世界の半分が見えなくなってしまった…。本当にごめんなさい」
雪焔の謝罪を、唯花は静かに、受け入れるかのように聞いている。
でも―、と雪焔は続けた。
「私はあなたに約束する。片目を失い見える世界が半分になったあなたが、今よりもずっと笑える未来のため、私はこの世界を幾億倍もの希望で溢れるものにしてみせる。あなたがこの先、悲しむことがないように、私、本気で頑張るわ」
自分の手を握りながら語り掛けてくる雪焔は心から本気で自分に語り掛けている。握りしめた手から伝わってくる熱い感覚だけで、自分の気持ちが前向きにさせられていくのを唯花は感じていた。
「だから、唯花。羨ましさに閉じこもらないで。私じゃなくてもいい。なりたい自分を追い求めて。あなたは強い子だもの、きっとそれが見つかるはずだよ、だから―」
言葉を詰まらせながら、目の周りを赤くさせながら―
「強く、強く生きてね、唯花」
目の前にいる自分の“あこがれ”は、自分のために一筋の涙を流してくれた。
拙作「異界大戦」の1エピソードです。




