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8.

 カリスティの熱が下がった次の日、御料地を見学する予定になっている。宮殿のための食糧を賄う場所への案内は、第一王子のアディ王子が買って出てくれた。王族なのでそんなに頻繁に訪れる場所でもなく、カリスティの付き添いとして王子自らの目で見てくるように、と国王に言われていたそうだ。


 御料地に入る前に、カリスティは祈りの型をとった。


「豊穣の神クァークスタ、我ら御身を踏みにじる者ならじ、小天地の自由を許したまえ」


 小さく唱えて、王子の後に続く。


 御料地は農林地や畜舎に限らず、そこで働く者の住居も含めるのでとにかく広い。宮殿から馬の引いた車両を使って三十分、畜舎付きの牧草地を通り過ぎ、果樹園と畑がそれぞれ左右にある。


「広い……」


 見渡す限りの牧草地に、カリスティは呆気にとられた。これに比べればウスワ国の王族が持つ牧場と農場なんて、家庭菜園の範囲に収まる。牛と鶏がせいぜいで、羊や豚なんて贅沢だった。他国に行ったときに見たことはあっても馬なんてウスワ国には一頭もいない。野生でも、飼育下でも。


 カリスティは堆肥の臭いにも抵抗を示さなかった。家畜独特の臭いも「この匂い好きよ。動物のぬくもりって感じがして」と笑っている。


 王子と姫が会話している間、外面を発揮しているセナカはキリッと顔を引き締めている。


「メスカンチェリーがあるわ!」


 果樹を目指して走るカリスティをセナカが追いかける。アディ王子が驚いて早足でついてきた。そう、王族ならば悠然と行動しなければならないというのに、この姫は。


 従業者を一人つかまえて、挨拶もそこそこに育て方について尋ねている。


「このくらいの大きさになるのは、どのくらいかかるのかしら?」


「だいたい四年でございます」


「四年でここまで。腐葉土を与えているけれど、ウスワ国では育ちがよくないみたい。土壌はどういった性質なのですか?」


「メスカ国では火山灰土がよく採れますので、基本はそちらと、肥料として腐葉土を混ぜ合わせて整えます」


「ああ……。では、土を作り直して植え替えたほうがいいのかしら」


「メスカンチェリーは強い植物ですので、多少土が変わっても大丈夫かと思われます。肥料を多く与えてみては?」


「一年に肥料を与える回数は? いつ?」


「冬が終わりそうなとき、夏の手前、秋のはじまりの三回です」


「それなら……」


 気になることは次から次へと口から飛び出す。アディ王子がちらちら見て次に行きたそうにしているが、我慢強く待っている。これ以上姫の裁量で従業員の業務の手を長時間止めさせたり、予定を後ろ倒しにしてはならない。


「カリスティさま、他の場所も見て回らなければならないのですよ」


 セナカに止められて、カリスティはハッと悩まし気にしていた表情を消して反省の色を見せる。


「ごめんなさいね。どうぞ、お仕事に戻ってください」


 質問に受け答えしていた一人が、口先だけでも姫を謝らせたことに顔を青くして、平身低頭していた。


「アディさまも、すみません」


「カリスティさまが農作にお詳しいので驚きました」


「わたしたちにとっては死活問題なので……」


 これにはセナカも肯定する。実りをくれる果樹は大切にしなければ。


 その後は動物小屋を順に巡っていった。


「ひよこ! かわいいわ」


 ぴよぴよと親鳥をついて回る手のひらほどしかない小鳥たちがかたまりになっている。

 そこから離れて鶏小屋の一角に、くちばしから足の爪まで真っ黒な鳥がいた。


「変わった姿のニワトリですね」


 王子と姫が頷きあっていると、世話役がニワトリを腕に乗せて近くに連れてきた。


「観賞用ですから」


 食用でないとは。観賞用の動物など飼う余裕のないウスワ国では考えられない。


「……食べないのですか?」


 じっとニワトリを見つめる姫の目は複雑なものを含んでいる。


「食べれなくはないでしょうが、美しさを競うのです」


 飼育係の腕から垂れる尻尾はしなやかで艶やかだった。無用の美を追求する、これも大国の余裕の成せること。


 畜舎を後は昼食の時間にさしかかっており、御料地にある食堂で新鮮な材料を使い調理された料理を王子と味わった。午後から王子は勉強の予定が組まれていたので、それに合わせて宮殿へ帰った。




 宮殿に戻って、姫は「やっぱりメスカンチェリーが気になるわ」とおっしゃった。


 なのでリーニを通して、宰相マリカにお伺いを立てた。技術者を呼んで話を聞けないか、姫が出向くのでもいい、と言ったらマリカが出向してきた。


「メスカンチェリーの何をお知りになりたいのですか」


 質問を整理してまとめてから専門家に訊いてくれるのだろうか。


「栽培方法を専門の方にお聞きしたいのです。ウスワ国では、環境の違いのせいか成長が遅いようで」


「近所の島国ではそこまで大きく違うということもありませんでしょう」


「育てている方から、肥料に火山灰を混ぜていると聞きました。我が国では火山灰を使用してはいません。簡単に手に入りませんし」


 そもそも火山がない。メスカでは活火山が定期的に噴火して地層が重なるが、ウスワでは永続的に、廉価で確保できない。購入するにも資金がなかった。


「できるだけ、こちらの環境に近づけた方がよいのではと心配しています。枯らせたりなどしたくないですし」


「それでしたら、検疫を通すために当時メスカンチェリーについて調べた資料が残っておりますので」


 後ろを振り返る。壁際にはリーニが控えていた。


「リーニ、ソロモネに言って資料を持って来させてくれないか。八年前の夏を探せと伝えてくれ」


 はい、とリーニが出ていく。


「ウスワ国でのメスカンチェリーの育ちはどのような状態ですか」


「全体的に小さくて、実をつけないのです」


 実をつけるまで何年もかかるのか、実のできにくい観賞用の木かと思えば、メスカで育つ木を見てそうではないことが判明した。


「元が低木ですから大きくはなりません。受粉はいかように?」


「訪花昆虫がいるので、干渉してません」


「こちらでは人の手で人工授粉をしてます」


「なるほど……ではそうしてみます」


 ここまでやりとりができているのなら、マリカがいれば資料は必要がないような気がしてきた。彼の自国の植物とはいえ、菜園家でもないのにこんなに詳しく話せるものか。


 他にも天候のせいか、酸性度はどのくらいが理想なのか、収穫した規格外の果実の有益な活用法などなど話し合った。


「では剪定のしすぎという可能性も……」


「ありえなくはないかと」


「ソロモネが参りました」


 扉越しにくぐもった声が聞こえる。


「マリカさま、ご指定の資料をお持ちしました」


 男性は二十代前半と思われる。いかにも書類整理が得意そうで、すっきりした体躯をしていた。これがマリカの部下。


「そちらがメスカンチェリーの? 見せてくださいますか?」


 カリスティが手を出すとソロモネが困惑していた。身分を考えれば、資料を受け渡しは彼の上司であるマリカに一度渡して、宰相から姫に渡すのが正しい順序である。ソロモネから宰相、宰相からセナカ、セナカから姫へ、でもよい。カリスティは母国にいるときのように振る舞い、他国の臣下との距離を間違えてしまっていた。


 うっすらカリスティの性格を理解してきているのか、マリカは動じずに、ソロモネから姫に直接渡すよう指示した。ありがとう、とカリスティがにっこりすると青年は恐縮しながらすぐさま三歩下がった。


「ではこれで……」


「ああ、待て」


 上司の静止に「はい」とソロモネが待機体制に入った。


「姫殿下、他に必要なものはありますか」


「いいえ。お手間を取らせました。ありがとうございます。資料を読ませていただきます。質問がありましたらまた後日にご連絡差し上げますが、よろしいでしょうか?」


「承知いたしました。ーーソロモネ、戻るぞ」


 彼らと入れ替わりに、リーニがお茶を持って戻ってきた。


「宰相さま、戻ってしまわれましたのね」


「せっかくだからお茶はリーニがいただいて。わたしがこの資料読み終わるまでそれを飲んで待っていてくれますか?」


「かしこまりました」


 カリスティはお茶を飲みながら、さっそく目次から目を通している。


 当該樹木の育て方についての注意事項が書かれていた。寒さにも暑さにも強く、栽培は特段難しいわけではないが、世話がまったく要らないというわけでもない。


 好む環境、最適な土壌、気をつけるべき病気と害虫などなど。


 資料を読み込んで、カリスティは母国に手紙を書いた。来年は実をつけることを期待して。
















 部下のソロモネとともに退出して、足早にマリカは自分の執務室へ向かう。


 姫が留学に来ると聞いて、変に身構えて偏見を持っていたのはマリカのほうだった。ケララニ国王からの寵愛目的だとか年齢からして結婚相手探しだとかは全くの見当違いで、国王と姫を極力会わせないようにマリカが出張るまでもなかった。差別的な態度を取ることはしてこなかったが、もっと親切にしていてもよかった。


 ほとんどマリカと二人きりになっても色目とはなんぞやという空気だったし、終始純粋な公的の質問しか振ってこない。御料地の見学でも気軽に実務を担う従業員へ具体的な疑問をぶつけていたとのことだし、姫君は生半可な遊びの気分でやってきたわけではない。知識を吸収し、自国に役立てようと毎日勉強していた。先入観で姫を見ていた自分を反省する。


 姫は腰が低くて感謝も謝罪も簡単に口にするけれども、母国を守るための矜持は、誰よりも姫らしい。


 小さくため息をついて、体から力を抜いた。



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