7.
目の当たりにする威厳に欠ける神を、マリカは侮っている。確かに色ボケはしているけれども、紛うことなき神だ。
セナカは呟く。
「二十年前」
夏に台風が集中することがあった。
翌月、台風が一度に大量発生して、島々を蹂躙してさまざまなものをもぎ取っていった。建物、実り、経済、過去と未来に、大切ないのちも。周辺諸国にも損害はあった。拡大するばかりの土地なので、メスカ国への被害は他国よりも軽く終わった。
ウスワ国王妃、カリスティの母は避難途中に台風に絡め取られて亡くなった。後日崖側の海に浮かんでいた遺体があまりに惨いと幼いカリスティは葬式でも対面することは許されなかった。
あれは、天災だと思われている。
悲劇は神に歌を捧ぐことを取りやめて翌日に起こった。
伝統芸能ではあったが、後継者が絶えたことから廃止された。その月に、海は荒れ狂った。
マリカは事件に思い当たったが、それが? と首を傾げる。
「大規模ではあったが、自然災害だろう?」
「神が起こしたもので、人が抗えないものとして言うのならそうでしょう」
「……偶然だ」
「実害がありました。影舞神楽を再開したら災害は消えました」
完全にとは言えないけれども、激減した。
「二十年前であれば、姫殿下は十そこそこだっただろう」
「八つです」
「……その歳でウィドラシャン神の相手を?」
嫌悪も露わに、セナカはマリカを睨む。そんな鬼畜非道を許せるものか。
「カリスティさまが十五になられた月からです」
引退した前任者に頼んで影舞を奉納してもらったが、女神は宿らずウィドラシャン神は怒りを加速させた。引退した女性は結婚していたため、神をお慰めできる巫女の条件から外れていたのだ。なんとか適応する女性を探して踊らせたが、ウィドラシャン神はやはりご不満のご様子。
神の怒りを自然災害という形で体に刻まれた少女たちは怯えて、一般から志願者を募るも集まらなかった。過去の記録には巫女は代々王家の血筋から就任していた。処女では飽き足らず、王家の血が濃いほうがウィドラシャン神の好みであるようだった。血が薄いと女神がうまく体に馴染めず、数分も保たない。
現状を打破しようと幼い姫は自ら手を挙げて、神楽を学んだ。神のご機嫌をとりごますり宥めしてそれでも七年間、ウスワ国は小刻みに災害に見舞われ国の復興は長引いていた。
王城は縮小して現在も元の規模まで改築修繕が追いついていない。
当時、王城の使用人の子だったセナカは姫の近衛になるように鍛えられ、芸事を習った。
女神となり男神の腕に縛られる幼馴染の姿を、己を殺しながら眺めるしかない。女神が取り憑いている間なにがあるのか本人に教えるよりも、あれは根本からして姫とは違う存在なのだと折り合いをつけて、セナカは傍観することを選んだ。
姫の一番の親友であるのはセナカ。
姫と最も長い時間をともにするのはセナカ。
セナカこそが姫の理解者であることを願い、すべてを捧げ尽くすと決めた。
「もうすぐ星も消えます」
空は細かい光を振り落として、太陽に縋り付く。
夜が明ければ、逢瀬の終わりだ。
横抱きにされたカリスティが、ウィドラシャンによって砂浜側へと運ばれる。セナカが恭しく姫の体を受け止める。ウィドラシャンは閉じた目の上あたりに唇を落とし、海底へ沈んでいった。
女神の抜けたカリスティを抱えながら、馬を宮殿へと進める。腕の中の体が熱い。人の身でありながら女神を降ろすのは負担がかかる。代々の巫女と同様、神楽の翌日にはカリスティは決まって熱を出す。
こうなったらあらゆる薬を煎じても効かない。氷で冷やしても熱は下がらないので、時間の経過を待つしかできない。
「姫ともども、休ませていただきます」
マリカは部屋の前まで着いてきたが、それで振り切った。
体はベッドに沈み切っていた。縛られているように不自由だ。
昼になっても下がらない熱を持ち越して、カリスティは目を覚ました。呆然とシーツを手に握る。
「セナカ、いるの?」
返事はなく、しんとカリスティの呼吸だけが聞こえる。ベッドを抜ければ裸足に床の冷えが心地よい。部屋の外に出ているのかと扉を開けると、見張りの兵士がいた。
「姫殿下、お加減は」
「…………?」
王城に仕える彼らの鎧はこんなものだったかしら。どうしてか違うように見える、という疑問に答えを出そうとしても、額も首も熱っぽくてうまく思考が働かない。
「カリスティさま」
廊下を歩いてきたセナカは、一瞬で姫の戸惑いの原因に気づいた。
「ここ、メスカ国だよ」
混乱しているのはウスワ国だと勘違いしているから。頭の中の霧が晴れた感覚がした。セナカが見張りに「任せてください」と言えば彼は持ち場に戻って正面を向いた。
「……留学中だったわね」
「そう。神楽は問題なかった」
カリスティは目を閉じた。
「よかった」
セナカに寄りかかりながら、ベッドに逆戻りした。
近くでよく見ると、セナカは土の汚れをかぶっている。こうして腕まくりをするのは、訓練するときだ。カリスティが部屋で大人しく寝ているだけなら暇だったから体を動かしてきたのだろう。
「外にいたの?」
「ごめん。すぐ汚れを落としてくるよ。カリスティさまはもうひと眠りして」
「うん……」
夕方にようやく調子を取り戻したカリスティは夕食を食べて、リーニと翌日以降の予定について話し合った。
投稿初日なので物語冒頭+キリのいいところまで投稿しました。
明日からは投稿は基本一日一話にする予定です。