37.
新たなウスワの守護神ニブタールとの再会を果たした後、カリスティとマリカは周辺の調査を再開した。
マリカの脳内で湖の埋め立て計画が進行してないかと心配にはなったが、繋がれた手は意地でも離されなかったので、彼の機嫌は最悪ではなさそう。
小城へ戻って食堂に飲み物でももらいに行こうかと言ったらマリカも同意してくれた。
宿に戻ると、女性がにこりとして待っていた。
「失礼いたします。湯浴みの準備ができましたので、いつなりとおっしゃってください。本日はナッショレリーの実と花を使用しております」
「ナッショレリー!」
水分の多い果肉はしゃりしゃりとした食感で爽やかな甘さがあり、花びらも淡い色で可愛らしい。手のひらの大きさをした実の形は茄子のような楕円形で、果汁は湯に落とせば白乳色に染まる。
清貧を心がけてきたカリスティには、贅沢な品だ。目の色を変えたカリスティに、マリカはやわらかく笑う。
「行ってくるといい。夕飯の前に会おう」
「いいの? じゃああとで!」
その間マリカは何をして過ごすかなどと考えることもなく返事をした。
しかし夕飯まで三時間あまり、そこまで長風呂なんてーー
してしまった。いや、実質湯に浸かっていたのは二時間ほどで、その後の肌をいたわる化粧水だとか乳液クリームなども選ぶのが楽しくて、試したりマッサージなんかも勧められたりしてたら想定時間を超過していた。表現するのに最高以上の言葉がないのが惜しまれる。
薄く化粧を整えて風呂場をあとにしても、室内にマリカはいなかった。彼の分の荷物は整理されたのか、見える範囲にない。
たったいま帰ってきた、というふうにマリカは扉を開けた。しかもカリスティ同様に着替えている。
「どこにいたの?」
「従者用の部屋で少し作業を」
「……まさか、今日のことまとめてたの?」
そもそもがウスワ再興計画の一貫で、宿泊の実体験をする企画だった。ある意味仕事だという考えはカリスティから抜け落ちてしまっていたというのに、さすがマリカというべきか。
「ごめんなさい、わたし……あとでやるわ」
「構わない。カリスティが風呂を楽しめたようでよかった」
身をかがめて、カリスティに触れない程度に首筋へと顔を近づける。
「よい香りがする」
いまの一瞬でマリカからもまた、違う香油の香りがした。
思わずおでこに手を当てた。熱い。風呂で温まったものとはまた別の理由で。
ノックの音にビクッとした。
開けると、女性が立っていた。
「お食事のご用意をしてもよろしいですか? バルコニーで夕日を眺めながらがおすすめですわ」
バルコニーのテーブルに、前菜からデザートまでが並べられた。料理が揃えば、再びマリカとカリスティは二人きりにされる。
前菜もスープもデザートも、全て乗っているので好きな順に手をつけられた。
サラダは色鮮やかでその鮮度はドレッシングなどいらないほどだった。
メインの肉料理に合わせて、茶、緑、オレンジと三種類のソースが用意されている。少しずつ試したら、それぞれはグレイビーソースと、すり下ろした野菜と果汁を混ぜたもの、そして辛味の効いたペーストだった。
「このオレンジのソース、とても美味しいわ」
「ああ」
勧めればマリカもソースを肉につけて、口に含む。身震いしたのはその直後。ほとんど丸呑みした。ナプキンを口に押し当てて、激しく咳き込む。
「どうしたの?」
テーブルにうつ伏せるようにゴホゴホと呼吸困難に陥っている背を撫でる。震える片腕がカリスティの腰に回って、縋るように抱きしめる。
「か、らっ、……ぐっ、……」
引き続きカリスティはマリカを撫でる。
「美味しい辛味だったけれど……そこまで?」
ピリッとはしたものの、劇薬ではない。
「強いスパイスなど、も、……か、身体に合わ……」
「無理に話さなくていいわ」
そっぽを向いていたマリカがナプキンから顔を離し、目が合った。鼻先と目尻が赤い。生理的な涙でまつげが濡れて束を作っている。
ーーな、……!?
美形の儚げな破壊力にカリスティは動揺した。心に張った覚えもない硝子を打ち砕かれるような暴力性だった。
「ご、ごめんなさい」
とっさに謝って、少しでも彼が楽になるように背を優しく叩いた。泣き顔を晒した羞恥をごまかすためか、マリカはさらにカリスティとくっつこうとしてくる。マリカの膝に腰を下ろすことになった。心臓に悪いから顔が見れなくなるのはいいが、なぜ彼の膝の上に乗せられているのか。
マリカがグラスから水を飲むのに、カリスティは密着した体で感じる。喉仏が、耳のすぐ近くだから。
黙っていると危ない雰囲気になりそう。
「他に苦手なもの、教えて」
「……弱味を握ろうというのか。意地がお悪い」
語尾にけほ、とついた。
「そういうんじゃないわ」
「不甲斐なさが極まるのでお断りする」
「……あなたも人なんだな、って実感したのよ。苦手なものがあるならわたしも気をつけてあげられるでしょう。教えて欲しかったのだけれど、言いたくないならそれでいいわ」
すり、とあごを肩の上で寄せられて、答えをひとつもらった。
「甘えること、が、苦手だ……」
まだ声は出しづらそうだ。それとも、話す内容のせいか。
「そ、そう……?」
現在進行形で、甘えてるようだけれど。彼の膝の上でべったりされている。
「早くから陛下の側近を務めたが、宮殿では争いばかり。陛下も当時は敵が多かった。リーニも守らなければならないし、隙を見せたら終わり」
それは、日常会話も人付き合いも綱渡りだっただろう。守るもののほうが多く、甘やかされるという経験が極端に少なかったのかもしれない。
カリスティの腰を抱く腕が締まったり緩んだりしている。話そうか、話すまいか迷うように。
「私、は、親が誰なのかもわからない。そこらへんの黴より汚い野良の餓鬼だった。陛下に拾われるまで」
野良犬みたいな言い方に眉を下げる。
では、刺激の強い香辛料を体が受け付けないというのも、ある種の防衛反応なのかもしれない。悪辣な環境で手に入る腐乱の味は刺激物だっただろうから。
「リーニとは道端で共に育った」
彼らは見た目からして血縁とは思えなかったけれども、兄妹としての絆は強そうだった。
「私は、みなが言うような完璧な人間などではない」
確かにこうして苦手なものもあるし、それをちょっぴりかわいいと思ってしまった。
「マリカ。あなたは育ちが道端でも、最悪の環境から努力で知恵と強さを身につけてのし上がり、大切な人からの信頼も勝ち取った人だわ」
言葉を並べながら、そうかーーとしっくりきた。
姫ではなくなったことで、カリスティは気後れしている。仕事もできて、周囲からも頼られて、戦闘もお手のもの。宰相さえ勤め上げた彼に。すべてを超越するマリカの隣に立つことに引け目を感じていた。もともと劣等感を持っていたから、カリスティが平民となればなおさら彼は別世界の人だった。
彼からは肯定も否定もなく、ひたすら抱きしめられる。
「カリスティ……」
耳にかかるのは、体の芯にジンとくるなんとも舌たるい響きだった。
ずっとこうしていられたらいいのに。この腕の中にいる間は、夢を見ていられる。




