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22.


 マリカの機転で、見張りに怪しまれることは回避したけれど。


 足下など見えていないかのように、伸びている人間を踏みつけながらマリカはベッドへとやってきた。確かに足の踏み場はないし、ちょっとだけいい気味だと思わないでもない。でも、道徳としては褒められない。


 前日までとはマリカを見る目の色の変わったーーというか、彼に善悪の評価をつけあぐねて迷っているカリスティと目線を合わせるように足を曲げた。


 どうして? と脳内でつぶやく。


「私は特技が多いのですよ」


 なぜ声真似ができるなどと質問してはいないが、そう答えてくれた。カリスティの知る、宰相マリカの声で。特技とは、戦闘も含まれていそうだ。その他、居場所の探知能力とか、船舶侵入技術とかも。



 ゆっくりと、彼がどうしたいのかカリスティにも予測できる遅さで目の前に手を伸ばしてきた。掴むのは、こちらのタイミングに任せてマリカは待つ。


「ここにいて、むざむざ襲われるおつもりで?」


 ぐっと唇を引き結んで、首をふるふるとした。カリスティのほうから手を重ねれば、力強く握り込まれる。その温もりに、言いようのなかった不安と心がときほぐれた。胸板に頭がぶつかるまで引き寄せられる。ぐっしょりと濡れていた。泳いでやってきたのか。腹いせで頭がいっぱいのシャマスが、カリスティを迎えに来ましたと言う彼を正面から入れるわけがなかった。


 片腕はカリスティの膝の下へ、また片腕は背中に回る。追い詰められた恐怖からカリスティの足腰が使い物にならないことなどお見通しのようだった。


 セナカよりもっと筋肉質でがっしりしていて、抱き上げられたときの目線が高い。男の人ってこういうものかしら?


 ベランダでは潮風が湿気を含んで、激しさを増している。


 嵐になりそうだ。空には、月がない。女神ニーティアはお待ちかねだろう。神降ろしをはじめなければ、男神ウィドラシャンは海を荒らす。苛つきの兆候は出始めている。


「それはそうと、カリスティ殿下は泳げますか?」


 泳ぎ方を知っているか、かつ身体はいま泳げる状態にあるのか、という意味だろう。


 はい、とカリスティは答える。他に避難方法は思いつかない。


「息を深く吸って」


 胸を張るようにして、肺を膨らませる。


 カリスティを抱きしめたまま、マリカは海に飛び込んだ。


 光を閉じ込めた泡が体を包み込む。じっとしていれば、海水により体は勝手に押し上げられた。


 波は高くなりつつあり、カリスティをボロ布のようにもみくちゃに扱う。マリカの後を追い、なるべく逆らわないようにゆるやかに浜を目指した。いくら歩き方より泳ぎ方を先に学んだ海の民だとて、荒れた波に飛び込むことは無謀だ。


 打ち上げられるようにして浜に両手をつく。波が戻っていく勢いに下半身がもっていかれそうだ。ようやく酸素を好きなだけ吸える。隣にはマリカが座っていた。


「マリカさま、……ありがとうございました」


 這いつくばる姿勢のまま助けてもらった礼を告げると、梨色の目が細められた。


「こちらこそ。妹が世話になりました」


 妹とは誰のことを言っているのか。これまでマリカの親類だと紹介された試しなどなかった。考えるにしてもとりあえず膝を立てようとしたら、波が覆い被さってくる。波自体に意思があるように引っ張られて後ろに倒れそうになったところを、マリカの腕一本で支えられた。


 またありがとうと言おうとして、前面からぶわっとぬくもりに包まれる。


「カリスティさま!」


 この声、遠慮のないこの抱き心地は、セナカだ。


「申し訳ございません! すみません!! ごめんなさい!!!」


「セナカ……」


 姫の護衛としての謝罪。友人としての謝罪。家族としての謝罪。セナカの後悔は深い。しかしシャマスの前で、護衛に下がれと命じたのはカリスティだ。自己責任だったから構わないのに。


「いいえ、わたしがあなたを手放したから」


 隙間から、頭を下げるリーニの姿も見えた。彼女も逃げおおせていたならもう気掛かりはない。


 雷が背後でひときわ眩しく光る。


 手で掬い上げたように、港にある船が浮いた。空中で上下がひっくり返る。ポロポロ抜けたパンくずに似た粒は、ーー人間か。シャマスの船は直下する。


 くじらが空から落ちてきたみたい。


 地響きとも聞き間違える雷音が伝わってきた。


「ウィドラシャン神が……!」


 カリスティは立ち上がる。


「漂流物の回収が厄介ですね。……いや、いいか」


 どこか呑気にマリカは別方向へ心配の意識を伸ばしていた。


 これだけ遠いのに、悲鳴にイシケリの怒号が混ざっていた気がする。船の近くで人命救助にあたっているらしい。


「セナカ、注連縄(しめなわ)は?! 太鼓も!」


「あるけど、カリスティさま、……できるの?」


 監禁されている間の精神的疲労は凄まじく、加えて激しい波間を遠泳して、体力も使い切った。なけなしの根性で自力で立ち上がれてもふらついているくらいだ。これから何時間も集中する気力など爪の先ほどもない。このまま倒れ込んでしまいたい。セナカに背負って運んでほしい。


「やるわ」


 情けない本音は奥の方へ押し込めて、震える体を叱咤して背筋を伸ばした。



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