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21.

 リーニは水中に沈んだが、海底まで届くほどではない。海面に着水するまでに酸素は取り込めた。沈み込みを利用して、できるだけ遠くまで距離を伸ばして泳ぐ。


 思いがけないことに、カリスティはリーニの腕を振り払った。切り捨てたのではなく、リーニを巻き込んでしまわないように、庇った。カリスティは、シャマスの狙いがリーニだと知っていたから。それでも一国の姫が、たかが侍女のために犠牲になどなってはいけない。

 

 浜辺に上がり、街で馬を見つけて強引に借りた。「請求は宮殿まで」と奪うようにして鞍もない馬を走らせる。


 港から離れた場所に、一軍は潜んでいた。宰相マリカはセナカと立ち話をしていた。座ってなどいられない、と難しい顔のまま。


「兄さん!」


 馬から落ちる勢いに任せて滑り込むように、リーニは兄の前に倒れ込む。裾からバタバタと水滴が飛んだ。セナカが膝をつき、リーニの体を起こす。マリカはリーニの肩に手を置いて、震える唇を読もうとしていた。


「カリスティ殿下を……お願いします。あの方は、あたしを逃してくださったの! シャマスの、船から」


 兄の目が見開かれたのは一瞬、すぐに状況を飲み込んだ。


「イシケリ! お前は正面から行け!」


()ッ!」


 二、三個指示を飛ばし、あらかじめマリカのために用意してあった馬に乗り上げた。


「待って、セナカも……!」


「来てくださるのなら、イシケリとともに表から撹乱を」


 馬の背に乗るセナカに、リーニは声をかけた。


「あたしは神楽の準備をしておりますわ」


 彼女はカリスティの失踪の騒ぎで今日がいつなのか失念していたようで、空を凝視した。


「頼みます」


 セナカはイシケリを追いかけた。















 シャマスはカリスティとともに男を七人置いていった。そもそもが広いとは言えなかった部屋がほんとうに狭い。汗臭くて、不潔そうで、ちゃんとした客室のはずがカビの生えた物置部屋にさえ思えてくる。


「オレが先だろ」


「いや、俺だね。お前らは先週街に行ってきたじゃねぇか」


「おれだって一ヶ月は船に籠りきりだぜ。殿下は尻を追いかけるだけでオレらのために女を呼ぶことはしちゃくれねぇ」


 カリスティの優先権を巡って仲間割れが始まった。


 醜い口論は白熱し、誰かが手を出せば拳が返ってくる。こうなっては最後の一人になるまで、もう収集はつかない。優勢と劣勢が入れ替わり立ち替わりの大乱闘だった。


 殴られた者が、ベッドの上のカリスティの足先に倒れ込んでくる。鼻血だか吐血だかのついた手がカリスティの足首をガッと掴む。


「き……きゃあああああああああ!!」


 悲鳴は男たちの間を駆け抜けた。


「抜け駆けすんな!」


 すぐさま鉄拳が男を襲ってきて、足首から手は外れた。カリスティは膝を曲げて抱き込み、くるぶしを摩る。


 カリスティは捕えられてしまったけれど、少なくともリーニは助かった。こんなものを見せなくて済んでよかった。それは救いだ。


「……セナカ……。……カ……」


 いつもそばにいる幼馴染が守っていてくれた。

 彼女のおかげで、こんな、スポーツでもない無秩序の醜い争いなんて見たことがなかった。長期の海上生活というものは、ここまで人を飢えさせるものなのだろうか。男の自制心なんて、ミジンコよりちっぽけに違いない。


 隙間を縫って逃げようにも、あんなに大柄たちが暴れていては巻き添えを食らう。それにいまは激闘を繰り広げてはいるが、カリスティを逃すまいと協力された方が厄介だ。最後に残ったひとりをどうにかできないか考えるほうがまし。部屋を見ても急拵えで武器になりそうなものはない。シーツを縄のように丸めて縛るか。

 男たちの関心がこちらにないことを確認して、シーツを剥がしていく。


 ちらりと見たところ、争奪戦に負けた者が四人、床で動かない。濁声(だみごえ)が途絶えた。立っていた残りの三人が、一斉にくずおれる。


 共倒れ? と目を凝らす。


 ふぅ、と息をついて決着後の中央にいる男は、他とは毛色が違っていた。


 この人、は。濡れて水滴を落とす黒髪は乾けば暗青灰色(スティール・ブルー)となるだろう。明るい梨色(ピアー・グリーン)の瞳が、カリスティを捉えた。


 どう、やってここに?


 宰相マリカは額に張り付く髪を横に撫でつけた。

 トントン、とドアが叩かれる。


「やっと静かになりやがった。終わったら次の組が待ってっからな、言えよ」


 ドア越しの発言に、カリスティが体を震わせる。

 マリカは喉仏に指を当てて、向こうへ叫んだ。


「テメーらに順番は回ってこねぇよ、失せろ!」


 こんなの、マリカじゃない。喉を別人と取り替えたかのようなしゃがれ方、下品な口調はカリスティを奪い合っていた男のうちのひとりがしていた。床にいる、どれとは指差せないけれど。


 女を回せと要求した男はカッカッと笑い声を上げる。


「おま、そりゃ溜まりすぎだろがよ。女ァ壊すんじゃねぇぞ。素人女らしいからな」

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