11.
マリカはカリスティの後ろに居場所を決めた。
気を失ったセナカの治療後、リーニからもともとの予定を聞かれて、カリスティは図書室に行きたかったと伝える。
とばっちりを食らった形で、マリカはカリスティの側につくことになった。すべてはイシケリが元凶である。あの常に銅鑼を鳴らしているようにやかましいうすら馬鹿。
リーニは図書室への案内を終えると、カリスティのために筆記用具を持ってくると言って道を戻った。
「産業系の本が読みたいのですが」
どこかしら、と探すカリスティをひとつの本棚に連れていく。
水産業と商業の枠から数冊を抜き取って、姫は長机の席を選んだ。
「どうぞ」
と言ったのはマリカではない。
先に自分で座ったカリスティが当然のように隣の椅子を引いた。座ろうとしないマリカを白茶けた色の瞳で不思議そうに見上げてくる。
「護衛ですので」
近くで立っていなければ、と伝えたつもりだった。
「はい、セナカは座りますけど……?」
姫に椅子を引いてもらう護衛がどこにいる。ウスワにはいるのか。姫にとって、たったひとりの護衛は対等な立場であり、他の対応を知らないと見える。用意してもらって無視をするのも不敬になりそうで、マリカは座った。自国の宮殿内で警戒しすぎることもない。
「失礼します」
ぎこちないマリカをよそに、カリスティは本を開いた。
数ページ読んだところでリーニが戻ってきて、机の上にペンと紙を置く。隣同士に座っている仮主従にいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「お部屋でお茶の用意を整えておりますわ」
今度はカリスティの部屋に行くらしい。
静かに本の世界にのめり込んでいく姫を眺めるしかできなくなった。日はまだ高く、薄いカーテン越しにまどろみの光を届ける。おそらく一点集中型なのだろう。先ほど取り乱したことなど嘘のように、姫は真剣に本を読み何かを考えていた。
眠気の襲う隙もなく、目的があるのかページからページを飛ばし読みして、たまに単語や文章を紙に書き出している。
「セナカ、寝てていいわよ。眠いでしょう」
文字から目を離さずに、カリスティはページをめくった片手でマリカの膝をとんとん、と叩いた。その気休さは他国の宰相で男のマリカに向けられてよいものではない。
驚いたのはこちらだが、カリスティのほうが目を大きくしている。
「ーーすみません!」
目の前に集中しすぎたために、触れてから勘違いだと気づいた。首から額まで赤くしてカリスティは不用意に男に触れてしまった腕を抱くようにしている。
「疲れた護衛を気遣うにしても、寝かしつけるのは感心しかねます」
従者に怠慢を勧め自らを完全な無防備に晒すなどと、それはメスカの平和を信じているからとはまた別だ。どこに行っても姫はそういう心持ちなのだろう。だからこそ護衛がしっかりしていなければいけない。
「セナカは気配に聡い子だから、だいじょ……あの、はい。ごめんなさい」
ぺこりとして、そそくさと読書に戻る。
自然体のカリスティからは身内に対する細やかな愛情が配られる。だからセナカのような姫を心から慕う従者が育つ。侮られることと紙一重だが。はじめ、セナカを小国のお飾り護衛だと見誤っていた。それがメスカの兵士をやりこめるだけの力があるではないか。イシケリと戦ったときの彼女はまだ正体を隠している。本気の戦闘態勢に入ったセナカは、きっと脅威だ。
ぼんやりした風貌の裏で、どれだけの研鑽を積んできたのやら。
情報収集を終えたのか、カリスティは本を閉じた。
「部屋に戻るわよ、セナカ。ーーあっ」
椅子を戻しながら、隣にいるマリカにハッとする。
「微動だにしないし気配がまったく感じられなくて、マリカさまを忘れそうになってました……」
実質彼女はマリカがいる、というよりそばにいるのがマリカである、ことを失念していた。それでカリスティはうっかり素を出して、そばにいるのならセナカだろうと、普段通り接するつもりでマリカに触れた。
気を許されるのは悪い気はしない。けれど姫として育ってきてここまで無垢だとは意外だった。
「忘れてくださって結構です」
影のように、空気のように。護衛としての正しい姿ではある。
「すみません……セナカ以外を護衛につけたことが滅多になくて」
「ずいぶん側仕えと親しいようですが」
「血は繋がってませんが、姉妹だと思ってます。大切な家族です」
姫が頷いて歩き出せば、木の蜜を煮詰めた色の髪が揺れた。明るい毛先が陽に透けて輝く。
この姫は、心までもが透明なのだろうか。
重ねた本を預かって、本棚に戻すとカリスティから礼を言われた。リーニがお茶を用意しているようだからお部屋へ、と手で示して図書室を出る。
「なんだか本物の護衛のようです。……宰相さまに対して妙なことを申し上げました」
「いえ、陛下の護衛もどきも担ってますので、むしろ護衛らしいとは褒め言葉です」
「宰相さまなのに、ですか?」
「いろんな方面から陛下をお支えするためです。武芸ができて損はない」
「それでイシケリさまを倒してしまえるほどお強いのですね」
「運動不足解消の延長で多少動けるのであって、本職には負けます」
王に付き合ってじゃれあい程度の運動は子どもの時分からしていた。正式に側近となってからは、どうしても机に向かっていると肩が凝るし体が硬くなる。時間を作っては兵士に混じり鍛錬をしていたら体の調子もよく、頭脳労働による頭痛も減った。不満や鬱憤の発散にも効果的だ。それで本腰を入れて続けていたら筋肉も戦闘技術もそこそこ身についた。
「ご謙遜を。わたし、セナカが気を失うところもはじめて見ましたし、あの大柄な方を倒すなんて……」
セナカを力任せで倒したイシケリを転ばせたことで、想定以上の評価を得ているようだった。
「セナカ殿は、武器を持たせれば豹変するでしょう」
カリスティがぱちぱちと瞬く。
「戦闘の目的、用いる戦略が違うだけですよ。イシケリは王子の盾となり武器が折れても敵の殲滅を目指し、セナカ殿は姫の身の安全を優先しあらゆる道具を足止めの武器として敵から姫を逃す」
現実で襲撃にでも遭えば、あわよくばセナカは敵を生かさず殺さず、情報を搾り取ろうとするだろう。どこかマリカと同族の匂いを嗅ぎ取っていた。反面イシケリは後先考えず徹底的に敵とみなした者を叩きつぶし息の根を止める。戦闘力は他の追随を許さないが人の上に立つにはそぐわず副隊長に留まっている。本人も出世欲よりか自己研鑽に夢中だ。
「よく……そこまでおわかりになりますね」
「武器の扱いや戦い方を習得すれば、ある程度は」
カリスティはマリカに羨望の目を向ける。
「つくづく、あなたのような方の尊敬を受けて従えているケララニ陛下は素晴らしい君主だと思います」
「平民でしかない私の才を認めて取り立ててくださったケララニ王に生涯の忠誠を誓いました。あの方に報いなければ……私にそれ以外の道はありません」
微笑んだカリスティは一言、「素敵ですね」とまとめた。
吐露した血筋にひとかけらの嫌悪も忌避もなく、本心から褒め称え、まっすぐ目を見つめられた。
新月の夜、女神を宿した姿とはかけ離れすぎていた。根本から別人なのだと思い知らされる。記憶もないというから、姫は男性とは口づけどころか手を握ったこともない、純潔の乙女としてしか生きてない。
難儀なものだ。




