1.
こちらまでいらしてくださりありがとうございます。
完結までの間に予告なく暴力、流血、残酷、性愛描写が出てきます。
月のない夜。
姫は女神を宿す。
「ウィドラシャぁぁン!」
そして姫は窓から飛び降りた。
「姫殿下?!」
捕えようとした男の手はかろうじて腰帯をつかむも、あっさり結び目は解けてしまう。
「お触りはダメよ」
暗い景色の中、やけにくっきりと妖艶な微笑みが浮かび上がった。
*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・
休みなく波に揺られて一昼夜、沿岸がもう近い。
遊びには遠く、旅行には近い隣国。カリスティはここにどちらの目的もなかった。
「姫さん、そろそろ下船の準備を」
「ええ!」
元気に返事をして、船で割り当てられた部屋に荷物を取りに行く。
部屋では、待機していた護衛のセナカが伸びをして口を開けているところだった。幼馴染の仲なので隠そうともしない。
「いまのうちにあくび出しきっちゃいなさい。しばらくキリッとしていてもらわなくちゃいけないから」
「りょ〜〜ぉ……ぁあい(了解)」
もう一度ながあくあくびをした。カリスティもつられあくびをする。寝たのは狭く固いベッドだし、足元は波で安定しないからか体がこわばってしまった。船酔いしない体質なのは幸いしたけれど。
それぞれに旅行鞄を抱えて、部屋を出る。セナカ以外の従者は連れていないから自分で荷物を持つ。この船を動かしてくれている男も、本業は漁師だ。カリスティが船上で釣った魚を彼が捌いてくれて、食事で一つの皿をつつき合うほど仲良くなった。もろもろの節約の成せる裏技だ。
姫とはいえ貧乏国家の王族なので、漁船より一回り大きいくらいの船しか出してもらえなかった。それも観光用の船を借りてきている。
農作を大規模に広げられるほどの土地もないため、昔から珍しい南国果実の輸出と観光で賄ってきた。しかしやはり土地が狭いので、観光客用のホテルなども望むだけの数は建てられずに客数は頭打ちである。
近隣諸国へ留学して、他国の事情を勉強してこいと送りだされた。思い切って大陸へ、ではなくひしめき合った諸島のひとつを訪ねるのだからケチだ。
カリスティの母国、ウスワ国から約八百キロメートルを渡り、メスカ国に着いた。
港からも見通せる中央付近には王宮があり、その背景に火山がすっくと立っている。
陸地に足をつけると、やわらかな靴底の下に人の手によって並べられた石畳の感触があった。
「ようこそメスカへ、姫殿下」
出迎えは女性がひとりと、男性が数人。大歓迎だ。故郷では港から自分とセナカで寂しくまっすぐ城に帰らねばならないのに比べれば。
「ウスワのカリスティです。本日よりお世話になります」
「まずはご来訪を歓迎いたしますわ。リーニと申します。ご滞在の間、姫殿下のお近くに侍りますのでどうぞよしなに」
女性が深く頭を下げた。
一礼した男性が荷物を預かってくれる。「ありがとう」と告げると、目が合うと思ってなかったのか彼は動揺していた。
「さすが人口二千万のお国。人が多いわ」
馬に引かれた車両から見える街にカリスティは感動していた。
国民だけでそれだが、観光客を含めるともっと増えるから賑々しい。ウスワ国の総人口は百八十万人ほどしかいない。お互い島国なのに、これだけ違う。
「ご希望により、とくに姫殿下の来訪に関するお触れは国民へ出しておりませんでしたが……もっと静かなほうがお好きですか?」
港までお迎えに来ていただけるのはありがたいが、どうか大仰にせずひっそりと宮殿まで連れて行ってほしいとお願いしたことから、よからぬ勘違いを生んでしまっていそうだ。裏道を通ってこそこそ、とか遠回りをして欲しかったわけではない。
「いいえ、そういう意味ではないのです。メスカ国は活気があってよい国ですね。わたしは田舎者なので、このような都会には憧れます」
カリスティひとりのために費用を割いてもらうのが申し訳なかっただけだ。警備の配置とか、カリスティが通るために道を封鎖独占してしまえば地域住民が使う迂回ルートの確保だとかで面倒をかけたくない。
そう、姫らしからぬ恐縮した。
宮殿の白い窓から水平線を眺めていた。国旗のついた小型の船が港に停まって、二人の乗客を降ろすなり来た道を折り返していく。
机に向かっている王に話しかける。
「ウスワ国の姫が到着したようです」
国王からは気のない返事があった。
「陛下? おわかりですか」
問いかけて、ようやく書類から目を剥がしてこちらを向く。
「何がだ?」
「姫の目的がほんとうにただの留学だとでも?」
「そうとしか聞いてないぞ」
公式の書簡でも、メスカの産業について勉強したいと許しを請うものしかなかった。カリスティ姫が二十八歳で未婚でなければ猜疑も減るけれども。目立った産業も工芸もない小国の姫が豊かな国にやってくる。王はまだ三十代。
「送ってくるなら、十八の娘だろうに」
「だから、寵愛目的ではないのだろう」
与太話に愛想笑いのようにした。育った気候のせいか、楽観的で心が広い。この王の取りこぼす細々とした仕事を詰めるのが、彼の右腕の役割だった。
「なんだ、俺とアシリカの間に入り込めるとでも?」
国王は王妃一筋で、その鍾愛っぷりは臣下たちが目を背け耳を塞ぎたくなるほどのもの。公務でも仲睦まじいさまを見せつけている。
「そこは心配してません」
「なら誰が来たっていいじゃないか。それにカリスティはいい子だぞ」
マリカは姫を知らないが、ケララニ国王は知っている。姫を、というより姫の父親であるウスワ国のカレオ国王を信頼している。ウスワ国は二十五年も前にはメスカ国に負けず劣らずの規模で堅実な治政を敷いており、ケララニが幼き王になった折に近隣国だからと何かと力添えをしてくれたらしい。マリカがケララニ王に出会う前のことだ。そんな善国も二十年前の大災害で土地と民をごっそり失った。現在は危うい状況と言える。だからすり寄ってくるのではーーなどと妙なことを深読みしたくなってしまう。
やめだ。
面識もないのにごちゃごちゃ言ったり勘繰るのは思考の無駄遣いだ。
廊下を歩けば脇に二人控えていた。素通りしようとして、声をかけられる。
「マリカさま、お時間いただけますか?」
「いいや」
話したことのない女だ。宮仕えなのだろうが、マリカが直接話を聞く立場にない。宰相であるマリカに物申したいのであれば、マリカの直属の部下に書類として届け出る決まりとなっている。
「すぐーーすぐ、終わりますから」
伸ばされた手を避ける。
「相談ならソロモネを通すように」
「違います、お仕事関係ではありません。その、個人的にお伝えしたいことが……」
たとえ仕事でもこの者たちと直接関わりがないというのに、個人的なやりとりなどもってのほか。
「ではなおさら聞く必要はない」
「ーーうっ、……」
ほろりと女の頬へ流れた雫に「またか」と呆れる。そこに含まれるのは金勘定と謀略、邪な欲望であって、まかり間違っても清らかな感情ではない。この不愉快な光景を幾度見ただろう。気を引くための演技に辟易するばかりだ。
「女性から勇気を出して話しかけたというのに、そのようにつれなくなさるものではありませんわ」
もう一人が庇いながら睨む。これだけ拒絶されているのに諦めの悪い。
「瑣事にかまけている時間はない」
「わたくしの気持ちをつまらぬこととおっしゃるの……?」
「少なくとも嘘泣きに付き合ってはいられない」
「そんな……わたくし、騙すようなことしません」
ではせめて見せつけるのではなく頬を拭う振りくらいすればいいものを。
騙していると自覚があるのなら手に負えない。
最終的にわぁっと声を上げて泣き出すので、一瞥もくれずに今度こそ通り過ぎた。
角を曲がれば見慣れた侍女がいた。リーニはマリカの背後、以前も見たことのある状況に苦笑している。
「宰相さま、また女性に捕まってらしたのですね。ほんに人気者でらっしゃるわ」
「聞こえていたなら止めてくれてもいいだろうに」
「あら。恋心というものは抑えられないものですわ。むしろ止めたほうが暴走します」
巻き込まれたり恨まれたりしたくありませんし、とリーニは食えない笑みを浮かべる。
「なにが恋だ」
「いやですわ、恋の定義なんてずいぶんと難解なことをお尋ねになられる」
「あれのどこが」
「地位やお金に恋なさる人もおりましょう?」
「くだらん」
苛立ちを読み取ってか、リーニは笑みを引っ込めた。
「冗談は置いておきまして、カリスティ姫さま受け入れの手筈を確認していただけますか」
「わかった。姫殿下はいまどちらに?」
「お部屋にご案内しましたわ」
「ご不満はなさそうか?」
「ご満足いただいてます。大変お腰の低い方で驚きました。あたし、あの方のおそばでなら楽しく過ごせそうです」
思いもよらないリーニの姫に対する好意的な態度に、目を瞠る。
「……ならいい」
「あたしとそう歳が変わらないはずですけど、かわいらしくて。磨けばきっと……飾り立てて差し上げたいわぁ」
「そうか」
半分聞き流しながらも、これからの段取りを頭に思い浮かべた。
まずは第一話を読んでくださりありがとうございます!
このお話はつじつまなんてあっちにペッしなさいペッ、のノリです。論理のセンスとかありません。ご理解なにとぞよろしくお願いします……。
ちょっぴり切なくて、最後ハッピーエンドならなんでもいい感じです(いつも通り)。
ヒーローはやや女性不信気味です。
でも作者はツンが下手なのでわりと速攻でデレます。すみません。ツンデレ書ける方ほんとすごい……。
長い改行の後には別のキャラへ視点が変わっています。
一話ごとに文字数にバラつきがあります。一話4,000文字は超えないように調節しているため、ときおり話がぶつ切りになってしまっているやも。