御伽の鏡の狂想曲
箱庭の住人は箱庭の法則から逃れることはできない。多少の自由もそれは箱庭の法則の範疇に過ぎない。
皆が寝静まって人っ子一人いない夜、廃墟に佇む立派な二つの鏡。合わせ鏡になっているそれはアンティーク調のくすんだ金の縁取りを抱えている。月明りが差し込み、ステージの幕は毎週金曜午前3時に上がる。規則正しく寸分の狂いもなく、鏡の中に映し出された踊り子の人形たちは擦り切れても擦り切れても見えない糸で繋がれて何度でも踊り始める。狂っているかのように見えるが、これはただ楽しんでいるだけなのである。
それが繰り返されること幾星霜、一人の糸がプツリと切れて解放された。その人形は慌てて元に戻ろうとした。しかし、その人形は何かに縛られずに思うがままに踊りたいと確かに願ったのだ。人形は迷った。心の思うまま踊ること、自由へと解き放たれた恐怖に揺れた。その人形はどうしようもなく他の人形に会えば何か分かるかもしれない。変わるかもしれない。そう信じて疑わなかった。だからこそ、他の人形に会った時にその幻想を打ち砕かれて人形の思考はついに動きを止めた。
いくら時間を重ねただろうか他の人形は相変わらずずっと規則正しく踊りながら畏怖と羨望、軽蔑が複雑に交じり合った視線を送り続けていた。自由の人形は力なく起き上がり彼らの視線を振り払うように己の思考を振り払うように脳が認識する前に、思考がまとまる前に、心が体を突き動かすままに舞い続けた。体が傷つこうとも他の人形に当たろうとも、それでも一心不乱に踊ることを辞めなかった。それこそがその自由の人形が望んだことなのだから疑うことはなく、何も不満に思うことは無かった。
世界はイレギュラーは認めない。それは法則の力から脱却し、あまつさえ自由へ一切の願望を叶えんとした者はそれが、そのものが無かったかのように修正されるのだ。人形は巨大な手に阻まれた。踊ることを止めてしまったがゆえに憐みの目が思考がたどり着いていしまう。それより強大な力を前に逃げ出す他、その人形に取れる行動はもうなかった。強大な力は疲れを知らず、慈悲を知らず、存在を知らぬ物だった。人形はついぞ力に飲まれてしまった。
自由を一度手に入れた人形は今はもういない。合わせ鏡の無限の世界の中ではただ規則正しく見えない糸に操られるように踊り続ける人形たちの姿があった。ただ少し寂しそうな顔を頭の部分に彫り込んで。
読んでくださった方、ご機嫌いかがでしょうか。
自由への憧れと恐怖、同時に存在することは矛盾になるでしょうか。私たちは箱庭の中で自分にない物を他の箱庭に幻想を抱いただけなのかもしれません。
くだらないお話に付き合わせてしまい申し訳ありません。
いつかまたお目にかかる日までお元気で