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「コクリコ荘ものがたり」(From up on Poppy-house):陽奈×智流

#記念日にショートショートをNo.69『コクリコ荘ものがたり4』(From up on Poppy-house4)

作者: しおね ゆこ

2023/6/2(金)横浜港開港記念日 公開

【URL】

▶︎(https://ncode.syosetu.com/n5788ik/)

▶︎(https://note.com/amioritumugi/n/nfa86e40b2949)

【関連作品】

「コクリコ荘ものがたり」シリーズ

 翌日、朝の7時半。玄関のチャイムが鳴った。

「はーい」

玄関の方に返事を遣り、玄関に走る。出張研修で来てくださっている家政婦さんや妹達が家事を手伝ってくれるようになったおかげで、いつもは忙しい朝も、今日は時間がゆったりと流れていた。既に準備は出来ていて、「お手伝い、ありがとうございます。じゃあ、行って来ます。」と早月さんに声をかけて玄関に急ぐ。玄関ドアを開けると、門扉の外側にいた吉田くんが、私を見て片手を上げた。

 「おはよう、遠坂。」

「吉田くん、おはよう。待たせちゃってごめんね。」

戸締まりをして、吉田くんの隣りに並ぶ。吉田くんがかぶりを振った。

「いいや、全然。時間、このくらいで良かった?」

「うん、大丈夫。でも吉田くん、本当に良いの?私のために早くに家を出て、わざわざ遠回りをしてまで迎えに来てくれて……」

「良いって言っただろ。朝一番に遠坂に会えるなんて、早起きの最高のご褒美だよ。」

吉田くんが私に微笑む。そして

「今日はよく眠れたみたいだな、良かった。」

と、目元に指先を伸ばした。近付いてくる指先に、昨夜の、吉田くんの言葉が、フィラメントのように耳元で揺らめく。


「…もし、…好きだって言ったら、…どう思う?」


思わず目を伏せる。と、吉田くんが慌てて指先を引っ込めた。

「!……ごめん」

その言葉に、吉田くんを傷付けてしまったことを悟る。

「あっ…ごめん……っ!…あの…その……びっくりして……」

「うん。…大丈夫だよ。」

吉田くんが笑みを浮かべる。

「吉田くん、あの、」

「…うん?」

「あの、あのね。」

「うん」

「あの、昨日、最後に言っていたこと……」

「ごめん忘れて」

みなまで言わせず、吉田くんが私を遮った。その声の強さに、触れてはいけないものに触れてしまったために、自分が吉田くんに拒絶されたことを悟る。しかしその声の強さに、昨日の彼のあの言葉が嘘でも幻でも無かったことがはっきりと分かってしまった。

「!……でも、」

「ごめん。…急ぎ過ぎた。……雑に急いで、遠坂を…無理に壊したくない。」

「えっ?」

「遠坂を大事にしたいんだ。僕のせいでまた倒れられたりしたら、僕は…もう自分を許せなくなる。」

「そんな……!あれは私が……!」

「でも僕だって分かっていたんだ。同罪だよ。」

「そんなことない……!」

「遠坂」

吉田くんが寂しげに微笑んで私を見た。

「ごめんな。」

「えっ……?」

「僕のせいで気を遣わせて。➖何も無かったんだ。」

「違う……っ!」

「遠坂。」

「……!」

「気付かなくてごめん。鞄持つな。」

「えっ…大丈夫だよ。反対の肩に掛けているから。」

「でも慣れていない方に掛けていると疲れるだろう?」

「そんな、気にしなくて大丈夫……」

と、突然、吉田くんが私を引き寄せた。バランスを崩して吉田くんに倒れ込む。左腕から鞄が滑り落ちる。直後、ビューッと、自転車が後ろを通り抜けて行った。私を受け止めてくれた吉田くんの手が、私の右腕に添えられていた。

「あ、ありがとう……」

「ごめん、急に。腕、痛くなかった?どこか捻ったりは?」

「ええ、大丈夫。ありがとう。」

吉田くんが地面に落ちていた私の鞄を拾い上げる。

「鞄……!」

「いいから。」

吉田くんはそう言うと、私の身体の反対側に回り込んだ。

「気付かなくてごめん。こっちの方が、右腕が危なくないだろう?」

私の右側に来た吉田くんが、そう言って微笑む。その笑みに、名前のまだ付けられていない曖昧な感情を拒絶された気がして、心がチクリと痛んだ。

「うん……」

隣りに吉田くんが並ぶ。身体が揺れ、包帯を巻いた右腕に吉田くんの左腕がかすかに触れる。それなのに、それなのに、心は揺れない。


 学校に着くと、途端に和泉が駆け寄って来た。

「陽奈!大丈夫?」

「➖うん、大丈夫。…ごめんね、心配掛けて。」

「本当だよ。➖もう、吉田!しっかりしなさいよ!」

和泉が私の隣りに立っていた吉田くんの腕を叩く。吉田くんが「ごめん」と謝った。

「和泉、吉田くんは何も悪くないのよ。」

「そういうことじゃなくて陽奈、ねえ?」

和泉が吉田くんを意味ありげに見遣る。吉田くんを見上げると、吉田くんがパッ、と私から顔を背けた。その動作に、はっきりと拒絶されたことがあまりにも容易く分かり、頬が強張る。

「陽奈……?」

「大丈夫……?」

和泉のトーンの違う声に、ハッと我に返る。

「ええ、大丈夫よ。」

慌てて和泉に笑いかけると、彼女の背景に見えた、自分と吉田くんに不安気に視線を向けるクラスメイトたちに気が付いた。その表情その視線に、説明をしようと口を開く。が、臆病な感情が心をよぎり、開きかけた口の動きが止まった。言葉が飲み込まれる。

吉田くんが隣りで勢いよく頭を下げた。

「みんなごめん!僕のせいで、こんなことになってしまって。絶対に何とかするから、僕と遠坂を信じてほしい。だから、遠坂が完全に復活するまでに、歌を完璧にしよう。」

吉田くんの言葉に、フィラメントが芯を取り戻す。飲み込まれかけた言葉が口先に引き戻される。

「ごめんなさい!迷惑を掛けてしまって。」

隣りで並んで頭を下げながら、続ける。

「しばらく伴奏は左手だけになっちゃうけど、本番までに間に合わせるから、だから、一緒に頑張ろ……」

「頑張ろうって、本番まであと一か月しかないのよ。間に合わないでしょ?綺麗事言って。➖他に出来る人いないの?」

矢のように降って来た言葉に息が止まる。

「骨折って、ひと月じゃ治らないよね。」

「他にピアノ弾ける人、このクラスいないし……」

「あ〜あ、終わったな。合唱コン。」

冷めた嵐のようにざわめきが広まる。あまりにも正論の言葉に、唇を噛み締める。目に涙が滲んだ。

と、目の前に影が差した。身体の前に下げた腕に添えるように、吉田くんの手がかすかに腕に触れる。吉田くんが私の前に立つ。吉田くんの背が、私の視界を塞いだ。

「ふざけんなよ!」

吉田くんが出した大声に、クラス中がしんと静まり返った。

「自分じゃ何も出来ないくせに、遠坂を責めてんじゃねーよ!遠坂が怪我したのだって、家のために毎日アルバイトして家事も全部こなして、遠坂が毎日頑張っていたからなんだよ。通学のバスの中で勉強して、毎日5時間も寝られなくて、それだけ、同じだけ出来るのかよ。朝は5時に起きて、ごはん作って洗濯して掃除して、学校から帰って来たら夕飯作って洗濯物を取り込んでアルバイトに行って。アルバイトから帰って来たら洗濯物を畳んで、そこから寝る準備をするから、寝るのは毎日零時を過ぎてしまっていて。こんなに忙しいのに自分しか出来ないからって、ただでさえ忙しいのに愚痴も言わず合唱コンの伴奏も引き受けてくれて。学費援助してもらえるように良い成績とってちゃんと結果も出して、同じだけ出来るのかよ!」

「➖怒鳴ってごめん。絶対に何とかする。➖大丈夫だから。」

毎日8時間は寝ていると、ごまかしたはずなのに。

「何で知って……」

「妹さんから聞いた。毎日バスの中でふらふらになりながら勉強していたり、毎日あんだけ隈作って学校に来りゃ嫌でも気付くんだよ、バカ。」

「ごめん……」

その言葉に、自分が吉田くんを受け入れられていなかったことをようやく悟る。瞬きが目元に溜まっていた水泡を破る(わる)。

「いや…僕の方こそごめん。」

破れた(われた)水泡が落ちてしまう前に、慌てて目を伏せる。振り向いた吉田くんが、目を泳がせた。

「陽奈、ちょっと。」

和泉が私の肩を抱くようにし、みんなに背を向けさせる。

「ごめん……」

「もうバカなんだから。」

和泉が私の肩を撫でる。僅かに零れた水泡を指先で拭う。後ろで、吉田くんが口を開いた。

「あー……だから、絶対に何とかするから。だから、協力してほしい。」

「それから、遠坂に対する批判は僕が全部受け付ける。」

聞こえて来たその言葉に振り返る。吉田くんがさっきよりも深く頭を下げていた。和泉が私を小突く。

「言うじゃん、吉田。」

「もう陽奈にゾッコンだねっ!」

「えっ……」

その言葉に、吉田くんのあの言葉が再燃する。かすかに覗いた吉田くんの頬が、少しだけ赤いように見えた。

「大丈夫だから、自信持ちなって。」

「あっ…えっ……」

蝶の羽が起こすくらいの小さな風に、フィラメントが揺れる。吉田くんを窺う。斜め前で、吉田くんが頭を下げたまま目を瞑った。

「えっと…………」

と、始業を知らせるベルが鳴り響いた。ほっ、と息を吐くと、和泉が少し不満そうに頬を膨らませる。ベルの音に紛れて、誰かが「分かりやすっ」と呟いた。


 本番まであと一週間と迫った放課後。演奏順を決めるくじ引きをしに職員室へ立ち寄った帰り道、少し弾いて帰ろうと音楽室へ向かうと、音楽室の中から片手だけのピアノの音が聴こえてきた。自分の耳と指が鮮明に覚えているそのメロディーは、私たちのクラスの演奏曲だった。

 音楽室の重たい扉を開ける。扉が開く音に、ピアノを弾いていた人物が慌てて立ち上がった。

「吉田くん、どうして……」

「あ、いや……」

「…ちょっと、譜面が置いてあったから……」

譜面は私が置いていたものだった。私の視線に、吉田くんがバツが悪そうに視線を逸らす。

「吉田くん…弾けるの?」

片手だけとはいえ、メロディーラインはほとんど滑らかに繋がっていた。

「いや……」と口を濁す吉田くんを見つめる。自分を見つめる私の視線に、吉田くんが謝った。

「ごめん…➖遠坂が先生に呼ばれたりしている間に、練習してた。」

「…でも、どうして……?」

指揮者である吉田くんの行動に、思わずそう問いかける。吉田くんが少し考えるようにしながら口を開いた。

「遠坂を信じていなかったわけじゃないんだ。ただ、みんなも言っていた通り、恐らく本番には間に合わないだろうとは思っていた。たとえば今日遠坂の腕が治ったとして、遠坂は真面目だしピアノも上手だから、すぐに元のように弾けるとは思う。だけど、遠坂に無理をしてほしくなくて……」

「ごめんね、迷惑かけちゃって。」

申し訳のなさそうな吉田くんの表情に、罪悪感が己を苛む。本当は、誰かに言われる前に、自分から言わなければいけなかったのに。自分が弾くことが出来ないという事実を直視したくなくて、認めたくなくて、ずるずると決断を先延ばしにしてしまっていた。

「いや、そう言わせたかったわけじゃ……」

吉田くんがそう呟く。言い下がろうとする吉田くんに首を横に振る。

「ううん。私も分かっていたの。いまさら代理なんて見つからないし、見つかったとしてもとっくにお願い出来る段階じゃなくなっちゃった。私のせいで、合唱コンを駄目にして、本当にごめんなさい。謝ってどうにかなることじゃないなんて分かっている。私を信じてくれた吉田くんも傷付けて、結局、みんなの言う通りだった。本当にごめんなさい。本番までにどうにかするから、だから……」

「➖片手なら、僕が弾くよ。」

私の言葉を遮るように聞こえた吉田くんの言葉に、目を見開く。

「でも吉田くんは指揮が……!」

「指揮は僕の空いた片手でやってもいいし、無理そうだったりみんなが歌いにくかったりしたら瑛太にやってもらうさ。あいつチャラいけど、器用だし良いやつだから大丈夫。」

「でもそんな…私のせいで……」

「僕がああ言ったから、無理だと分かってても言い出せなかったんだよな。ごめん。」

「そんなことな……!」

「本番左手だけを弾くか、遠坂が左手を弾いて僕が右手を弾くか➖遠坂はどっちがいい?」

「でも…私……」

「前に言ったろ?〝頑張りすぎは身体に障る〟って。今回はたまたま、腕で済んだだけなんだよ。」

吉田くんが、私の頭をポンポンと叩いた。

「遠坂は何でも一人で抱え込みすぎだよ。」

優しい言葉につられるように顔を上げる。吉田くんが眉を横に伸ばし、私に右手を差し出した。

「僕と、一緒に弾いてくれない?」

【登場人物】

○遠坂 陽奈(とおさか ひな/Hina Toosaka):高校2年生

●吉田 智流(よしだ さとる/Satoru Yoshida):高校2年生


○林 和泉(はやし いずみ/Izumi Hayashi):陽奈・智流のクラスメイト

●木更津 瑛太(きさらず えいた/Eita Kisarazu):陽奈・智流のクラスメイト

○早月さん(さつき-さん/Ms.Satsuki):吉田家の家政婦


*未登場

◎遠坂家(Toosaka-Ke)

○葵(あおい/Aoi):中学3年生

○百合(ゆり/Yuri):中学1年生

●お父さん:会社員

●梅太郎(うめたろう/Umetarou):犬(キャバリア/オス/10歳)

*坂本龍馬の変名から

【バックグラウンドイメージ】

◎宮崎 吾朗 監督作品/ジブリ『コクリコ坂から』(From Up On Poppy Hill)

【補足】

〜陽奈の1日〜

5:00 起床

-5:15 身支度・ストレッチ

-6:00 勉強

-6:20 洗濯機を回す・お弁当準備おかず

-6:40 犬(梅太郎)の散歩

-7:00 朝食の準備・掃除

-7:05 洗濯物を干す・お弁当にご飯を詰める

-7:10 朝食・ニュース

-7:20 食器洗い(フライパン,釜等)

-7:35 食器洗い(皿,コップ等)・歯磨き等

7:35 登校

7:42-8:15頃 バス通学

8:30-17:00頃 高校

17:00頃 帰宅

-18:00 夕飯の支度

-18:30 夕飯

-18:45 食器洗い・洗濯物の取り込み

19:00 出勤(-19:15)

19:30-22:30 バイト

22:45 退勤(-23:00)

-23:15 洗濯物を畳む

-23:45 入浴

24:15頃 就寝

【原案誕生時期】

公開時

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