第1話 今さら何故なの?
「今帰ったぞ」
「おかえりなさい」
1日の公務を終えたヒューズが私邸である自宅に帰って来た。
私は彼の為にお茶を用意する。
私邸にメイドは居るが、彼は帰宅したら私の淹れたお茶を毎日楽しみにしているので、これは欠かせない習慣だった。
「勇者パーティーが来るそうだ」
「え?」
雑談の中、ヒューズはなんでもない事の様に言った。
「だからソウマ達がこのマンチェスター領に来るんだよ」
「ソウマが来るって?」
頭の中が真っ白になる。
手にしていたカップが揺れ、全身から血の気が失せて行くのが分かった。
「そうだ」
言葉少なくヒューズが言った。
ヒューズは私の婚約者で3ヶ月後に式を挙げる予定なのだ。
領主ヒューズとその妻ナエとして。
「一体どうして...?」
なぜソウマがこんな辺境に来るのだろう?
彼は先日魔王を倒して現在王都に向けて凱旋帰国中の筈だ。
私達の住む領地へ来るにはかなり迂回をしなくてはならない。
だから安心していたのに...
「そりゃお前に会うためだろ?
同じ召喚者だからな」
相変わらず素っ気ないヒューズが言った。
確かに私とソウマは召喚者同士。
3年前、高校の帰り突然この世界に召喚された私達。
中井相馬は勇者ソウマ、そして私清水奈江は聖女ナエとして。
「...そうだけど」
1年前、私はヒューズと勇者パーティーを脱退したのだ。
その時、ソウマと約束した筈。
もうお互い会わない方が良いと。
「気まずいのは向こうの方だろ?
聖女のジョブを失ったとたんにアイツらはナエをパーティーから追放したのだからな」
「...ええ」
確かにヒューズの言った通り。
しかしそれは表向きの理由。
本当は自分から脱退したのだ。
聖女の力を自ら一時的に封印して...
「まあ心配するな、向こうもパーティーメンバーを全員連れての凱旋だからな」
「そうなの?」
勇者パーティーの1人、大賢者ラクスは隣国カムシーナ帝国の第三皇女。
魔王の出現に帝国も力を貸していた。
だから彼女は魔王討伐が終わったら1人帝国に帰るものだと思っていた。
「あとラクスだけじゃない、剣姫カリムに戦姫アナシムもな。
全くハーレムメンバーを連れてよくやるよ勇者様は」
呆れた様子でヒューズが呟いた。
懐かしい名前...ラクス、カリム、アナシム。
みんな仲間だった。
そしてヒューズも戦士として勇者パーティーの一員として参加していた。
王国騎士団の小隊長、公爵マンチェスター家の嫡子、ヒューズ・マンチェスターとして。
「...ヒューズ、そんな事言わないで」
「ラクスの事を言ってるのか?
アイツは俺を捨ててソウマに乗り換えたんだ!」
確かにラクスはヒューズと婚約していた。
それは私達が召喚される前からだった。
王国と帝国による政略結婚。
この世界では珍しい事じゃ無い。
「気にするな、ナエが居なかったら俺はどうなっていたか分からなかったよ。
ナエが居たから俺は立ち直れたんだ」
「ヒューズ」
優しい瞳でヒューズは私に頷いた。
それは違う。
ラクスはヒューズを裏切っていなかった。
そしてソウマもラクスを奪ってなんかいないのだ。
彼...ソウマは私の恋人だったのだから。
「いざとなれば俺が奴等を叩きのめしてやる。
なんでもソウマは魔王を倒す時にかなりの深手を負ったらしい」
私の態度に誤解したヒューズは更に驚く事を...
「ソウマが怪我を?」
「勇者パーティーに潜ませている者からの報告だ。
顔色も悪く、女達に両脇を抱えられていた姿も目撃されてるんだ」
「...まさか」
「自業自得だよ、ナエが聖女の力を失われなければこんな事にならなかっただろうに。
原因は奴等にあるんだ」
『違う!原因は私にあるんだ!!』
そう叫びたい気持ちを堪える。
私がパーティーから抜けたいばかりに...
おそらく、私が聖女の力を自ら封印した事をソウマだけじゃなく、ラクス達も知っている。
ソウマから心変わりした薄汚い女。
勇者を見捨て、自分だけ逃げた卑怯な聖女。
一体どんな顔をして私はソウマ達に会えばいいの?
「大丈夫だナエ」
優しくヒューズは私の手を握りしめる。
暖かな彼の手は力強かった。
「ちゃんと領主の役目は果たす。
そしてソウマ達には早々に立ち去って頂こう」
決意を秘めたヒューズに私は頷くしか無かった。
どこまでも卑怯な女だと自覚していた。
「勇者ソウマ様、この度の魔王討伐、誠におめでとうございます!
マンチェスター領、領主ヒューズ・マンチェスター、勇者様の来訪を心より歓迎致します」
一週間後、マンチェスター領に到着した勇者パーティーの一団。
ヒューズは領主らしく公邸に招いた勇者パーティーの主要メンバーに挨拶をした。
「お久しぶりです、マンチェスター公爵。
お変わり無く何よりです」
一歩前に歩み出たソウマが恭しく頭を下げた。
懐かしいソウマの声に元気が無かった。
どうやら本当に怪我をしている。
しかし私は動けない、声1つ掛ける事も出来ない。
それはソウマの隣に居る女性、ラクスが私達を射貫く様な瞳で睨んでいたからだ。
「久しいのヒューズ、ナエも」
頭を下げる事無く呟くラクス。
1年前の彼女と違う。
以前の彼女はどこか弱々しく、儚げな人だったが、今の彼女は正に皇女とでも言おうか、風格漂う女性になっていた。
「マンチェスター領の運営は上手く行っておる様ではないか、我が帝国から婚約破棄の金を受け取ったと聞くが、少しは役に立ったか?」
「...ラクス」
ラクスから投げ掛けられた痛烈な言葉にヒューズが怯んでいる。
この場に居るマンチェスター領の要人達がざわめく、これは不味い。
真実は違うのだ。
もしラクスが本当の事をぶちまけたら...
「ナエもせいぜいこの男を支えるがいい、なにしろヒューズは私の」
「ラクス止めろ!!」
何も言えない私とヒューズ。
しかしラクスを止めたのはソウマだった。
「...ソウマ」
「止めるんだ、そんな事を言う為に来たんじゃない」
ラクスの腕を掴むソウマは下を向いたまま呟く。
その動きは緩慢だった。
「ナエ、久し振りだな」
顔を上げたソウマは昔と変わらない笑みを浮かべて私に話し掛けた。
ヒューズは黙ってソウマを見詰めている。
これ以上何かを言ったらソウマを組み伏せるつもりだろうか?
しかしそんな事をしたら大変だとも分かっているのか、懸命に堪えているのが分かった。
「...ええ」
ヒューズの前に立ち、ソウマに向き合う。
もう私は以前のナエじゃない。
貴方の彼女、清水奈江でも。
「何か困った事はないか、ちゃんと奥さんやってるのか?」
ソウマの言葉は止まらない。
なんでそんな事を聞くの?
そんな優しい顔で...
「ソウマ!!」
突然の怒声はヒューズからだった。
「なんだ?」
「いささか我が妻に馴れ馴れし過ぎるであろう!
女には不自由して無い筈だろ!」
ヒューズなんて事を!
やはり彼が堪えるのは無理だったのか。
「ヒューズ...貴様」
「何を言ってる、いくら元仲間とはいえ」
後ろに控えていたカリムとアナシムも立ち上がりかける。
不味い、彼女達が本気を出せばここにいる兵では止められない。
もちろんヒューズも無理だ。
私が聖女の力を再び解放しない限り...
「止めろ2人共!」
再びソウマが叫ぶ、しかし声は先ほどよりも弱くなった気がした。
「あのソウマ...」
ソウマに近づく。
ヒューズは真っ青な顔で固まっている。
ラクスだけじゃなく、カリムとアナシムの殺気を食らったのだから仕方ない。
気を失わなかっただけでも大した物だ。
「なんだ、ナエ?」
「...身体は大丈夫?」
「あ...ああ大丈夫だ。少しヤられたが直に治るさ」
「そうですか」
嘘だ、ソウマは無理をしている。
私には分かった。
「俺の事は心配するな、自分の事を考えろ。
あの時の様にな」
ソウマの言葉に身体が強張る。
あの時...私がパーティーを抜け、ヒューズと生きて行きたいと言った時だ。
「...ラクス」
何とか声を絞り出す。
もう私はソウマに話し掛ける資格は無い。
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「.......」
ラクスにもか、彼女とは親友だったのに...
ヒューズを奪ったのだから当然か。
「どうも歓迎されて無いようだな」
「その様だ、ソウマ殿行きましょう」
沈黙の中、カリムとアナシムが立ち上がった。
ソウマもラクスに支えられゆっくり立ち上がる。
もう不調は隠す事が出来ないの?
「...最後にナエ、もう一回いいか?」
「はい...」
「幸せか?」
ソウマの言葉になんと答えたら良いのだろうか?
今の自分は望んだ結果なのに、どうしてまたソウマは...
「も...もちろんです」
「...そうか、それならいい」
ソウマは納得したのかゆっくり立ち去る。
その背中に私の胸は何故かざわめきが収まらなかった。
ソウマ達はその日の内にマンチェスター領を去った。
また平穏な日々が始まる、そう願っていた。
しかし一週間後、そんな願いは砕け散った。
それは1人の女が再びマンチェスター領に怒鳴り込んで来たからだった。
「ソウマ!ソウマをどこにやった!!」
目を血走らせたラクスが衛兵を叩きのめしながら私の前に現れた。