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(5)玉杖と少女【1】

私がこの力の源について訊ねると

神は「あなたの内に」と答えられた


次に彼がこの力の意味について訊くと

神は何もお答えにならなかった


彼は酷く落胆し神の下を去ったが

私は御許に残った


聖典E-para.538 エンブレムの誕生



 一回生の初回訓練は、例年のごとく惨憺たるものだった。キャスの調合した媒介液は、その高すぎる共振率で無辜の一回生をことごとく弾き飛ばし、その元凶である張本人はといえば、大柄な学生が空高く舞い飛ぶ度に、パチパチと手を叩いて喜び、何やらメモを取り続けていた。

一見すると10代にも見えるような容姿の少女が、流血沙汰の怪我にも表情一つ変えずデータを取り続ける様子は、もはや学部生たちにとって恐怖以外の何物でも無いようだった。


「ヴィンセント先生、全ての怪我人の搬出が終わりました」


「……そうか」


 比較的軽傷で済んだ学生が報告に来る。怪我人の数は去年より多いものの、骨折は2名しか出ておらず、全体としてみれば去年よりもかなりマシだった。


 俺は、ざっと鍛錬場を見渡し、他に取り残された負傷者がいないことを確認してから、目の前の学生に今日の実習の終了を告げた。


「ありがとうございました……」


 学生は、青い顔で俺に一礼をすると、先ほどルナが解錠した扉から校舎へと戻っていく。


「今年はまぁまぁ無難に終わってよかったわね」


 ルナがそこら中に散らばった晶化刀を拾い集めながら言った。


「そうだな……来週の実習に何人出てくるかを見るまでは何とも言えないが」


 毎年、実技科目の凄まじさに恐れをなし、履修自体を断念する者が一定数いる。事務所側もそれを勘案して、事務処理が二度手間にならないよう、実技の初回が終わるまでは、全ての履修を仮登録にしている程である。


「もちろんそうだけど、でも今年の新入生はみんな優秀なんじゃないかしら?私は、きっと来週もみんな出て来てくれる気がするわ」


「そうだといいな」


 ルナの慈愛に満ちた眼差しに、俺は肩を竦めて答える。俺の答えに満足したのか、ルナはふふと笑う。そして、ルナの背後から、キャスがひょっこり顔を出した。


「今年の新入生は〜〜確かに優秀かもね〜〜!私のよそーでは、後3人は腕の骨折が出るはずだったんだけどぉ〜〜………ちっ…」


………こいつ、今舌打ちしなかったか…?


 思わずこの不謹慎な同僚を凝視してしまった俺をヨソに、背中に抱きついているキャスの頭を、ルナがまるで妹にするように撫でる。


「今年が去年より上手くいったのは、キャスが去年より上手に媒介液を調合してくれたお陰ね。昨日も遅くまでミネルヴァの状態を調整していたんでしょう?」


 頭をなでなでしながら優しく褒めてくれるルナに、さすがにちょっと恥ずかしかったのか、キャスの頬がほんのりと赤くなる。


「そっ……それはさっ…晶化機関への感応度や熟練度は一人一人違うから……同じ媒介液でも使う個人に合わせた振動の透過性が出せた方がいいわけで……うにゃうにゃ…」


「ふふ」


 キャスは、成りはこんなだがミネルヴァの扱いに関しては右に出る者がいない調合師であり、彼女が作った媒介液は軍でもファンが多いと聞く。かくいう俺も、キャスと同僚になって以降は、もっぱら彼女の調合した媒介液を使わせてもらっている。

それは他の助手も同じで、もちろん自分で調合出来ない訳ではないが、不思議とキャスが作った媒介液は手に付着させてからの持続時間が長く、作業に合わせて微妙に変化する。一度調合の秘訣についてキャスに訊ねたら「香水の調合や、パンの発酵にちょっと似てるかもね。温度や湿度には特に敏感だね」と話してくれたが、香水のこともパンのこともさっぱり興味が無い俺に取っては、難しい説明だった。




「大体片付いたな」


 俺とルナは、晶化機関を持って来た時と同じようにひとまとめにして包み、キャスは残った媒介液を密閉容器に流し入れてから、厳重にエンブレム製の箱の中にしまった。


 俺たちが帰ろうとした時、丁度出口の方からエピステーメが歩いてきた。俺は軽く一礼し、ルナとキャスは慌てて姿勢を正した。


「みんなお疲れさま、ごめんね邪魔しちゃって…」


 エピステーメは、用のある俺以外の二人に先に戻っていてくれるよう告げる。二人は、少しだけ俺を気遣うような視線を寄越しつつ、荷物を抱えて鍛錬場を出て行った。それを見送ってから、エピステーメは俺の方へと向き直り口を開いた。


「僕、今ギリアンと一緒にオーツ学部長に会ってきたんだ。話の予想は大体つくと思うけど、お前の巡回助手の件だよ」


「…ご迷惑をお掛けしてすみません」


 俺が素直に謝ると、エピステーメは深い溜め息をついた。


「お前ね……いや、もうお前だけのせいって訳じゃないから怒りはしないけどさ……かなり大事になっちゃってるよ…僕じゃどうにもしてやれない」


「……大事と言うと?」


「学部長は本気だ。本気でお前を巡回助手にして外地へ送る気だよ。正直な所、僕もギリアンも、その件には反対なんだ。もう一々理由は繰り返さないけど……とにかく、色んなことが心配なんだよ。だから、ギリアンと僕は、今日、学部長に推薦を取り下げてもらいたいと思っていたんだ……けど、それは多分もう無理だ。だから、ギリアンは学部長に条件を出したんだ。この条件が満たされない限り、次回の教区巡回を延期するって言って…」


 エピステーメの話は、少なからず俺を驚かせた。何故学部長が俺をそこまで推してくれるのかは分からないが、どこかキナ臭い。大学内の序列では最下層である助手の俺でもそう感じるのだから、上層部の色々な事情を熟知しているギリアンとエピステーメが感じている違和感はその比では無いだろう。


「条件は二つだ。ひとつ目は、玉杖をこの鍛錬場の地下道を通って学外に止めてあるギリアンの車まで運ぶこと。二つ目は、ギリアンとの剣技の手合わせで一定水準の技量を示すこと。ちなみに、この判断は全くのギリアンの独断だから、どの程度かは僕にも分からないよ」


「……それは随分…無茶苦茶な条件ですね」


 正直なところ、嫌がらせとしか思えない内容だ。玉杖への接触はそれ自体が命がけであり、安易な接触は腕が飛ぶ。


「……そうだろうね。多分、ギリアンも重々分かった上でこの条件を提示したんだと思うよ。無理難題を吹っかけて、お前を巡回助手にしないで済むようにね。……ジャン、君はどうしたい?もし諦めるなら、僕からギリアンと学部長に話すよ」


 ここまで話が拗れているのに、律儀に俺に選択を委ねてくれるエピステーメの誠実さが、俺は少し嬉しかった


「やります」


 俺は、エピステーメを見つめてそう答えた。エピステーメは、まるで俺の答えを予想していたかのように、少しだけ表情を陰らせて、そう、と呟いた。


「お前は優秀だよ。本当に、この話がもう二年前だったら、僕はお前を迷うこと無くギリアンの助手に推薦したと思う。ギリアンには言わなかったけど、僕は、お前を学内に置いておいた方がいいのか、外に出してギリアンの側に置いておくのがいいのか、本当の所は少し…迷っているんだ。ギリアンは、学内に置いておくべきだと言ったけど……もしかしたら、外の方が……ギリアンの側の方が安全なのかも………」


 エピステーメの言葉の最後の方は、ジャンに対してというよりもはや独り言のようだった。


「……先生が、何をご心配されているのか……私にはいまいち分からないのですが…」


「色んなこと、だよ」


 エピステーメは、はぐらかすように笑って続けた。


「とにかく、僕はお前がどうして巡回助手になりたいのか、その理由をギリアンに話しておくべきだと思うよ。妹さんのこととか……僕に話してくれたみたいに、ね」


「私が巡回助手を希望しているのは、妹のことだけが理由というわけではないですし、同情を引くような真似は、あまりしたくありません」


「同情って……」


 ひどく哀しそうな顔をするエピステーメから、俺は目を逸らした。


「すいません。けど、大丈夫です。この件は、自分でどうにかしますから。条件をクリア出来るよう最前を尽くします」


「……いいよ。わかった。お前の好きにすればいいよ。……じゃあ、僕は午後の講義の準備があるから…」


 そう言って鍛錬場を後にするエピステーメの背中を見送りながら、俺は、もう随分会っていない妹のことを思い出していた。


 妹の名前はエウタナーシャ・ヴィンセント。子供の頃に罹患した病気のせいで、明るく元気だったかつての姿は、今や見る影も無い。


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