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(3)鍛錬場にて

そこは学内のグラウンドと同じほどの広さの鍛錬場と呼ばれている場所だった。

中庭のように四方を建物に囲まれているが、今日のように天気のいい日は、陽光が差し込み気持がよい。

青々とした芝生はよく手入れされており、木陰にはいくつかベンチも置かれている。この広場が憩いの場所である「中庭」ではなく「鍛錬場」と呼ばれる理由は、広場の中央に備えられたコンクリート製の大きな闘技用舞台にあった。


イルクート大はこの国随一の名門校であり、その卒業生は政府や軍部のエリートコースに進むことが少なくなかったが、公務員の登用試験に際してはいくつかの特殊な実技科目が課されており、大学としても座学と実技を並行して行うカリキュラムを組んでいた。

その実技科目に際して使用する道具は、物理的な威力もあり、かつ部外秘の技術も多く含むものだったため、この鍛錬場のような大学内部の隔離空間以外での使用が厳重に禁じられていた。


イルクート大の一限は九時にはじまるが、鍛錬場を使う科目はいつも一限を中心に開講される。

特殊な機材を使い身体もかなり動かすことになるため、学生は必ず指定の服に着替えて来ることになっていたが、その制服も決められたロッカールームからの持ち出しが禁止されているため、九時までに鍛錬場に来ているためには、かなり早く準備をすませる必要があった。


したがって、学生にとっては受講の負担がそれなりに大きかったが、しかし、この実技科目は座学を含めた全講義中でも最も出席率がいい部類に入った。その理由としては、この科目をとっている者のほぼ全員が公務員の登用試験を受験することを希望しているという、学内でも特殊な部類の学生たちであることが挙げられる。

試験を控える彼らにとっては実技科目が非常に重要であったし、他では一切学べないという意味でも貴重だったのである。そのため、今日の訓練も、開始時間よりも一五分程早い時間には既にほぼ全ての受講者が集合しており、教師役の助手たちが来るのを整列して待っていた。


「わぁ〜〜みんな、早いね〜〜えらいな〜」


 始業の鐘の音と共に三人の助手が鍛錬場に入ってきた。

間延びした声で話しながらやってきたのは、とても助手には見えない、ふわふわした金髪をふたつに結い上げた少女だった。彼女の後を少し遅れて長身の男女が続く。すらりとした女性は、入ってきた扉を閉めると、扉の三カ所に付けられた鍵をかけ、きちんと施錠されているか確認した。


「よいしょっと!」


 金髪の少女は、整列している30人程の学生の前まで来ると、抱えていた荷物を床に置いた。その拍子に包みの中のものがぶつかり合って、がしゃがしゃと音を立てる。


「キャス、お疲れさま」


 長身の女性が少女を労う。キャスと呼ばれた少女は、その言葉ににっこり笑った。


「ルナもね!あの鍵、エンブレム製だからかけるの面倒で私苦手なんだよね〜。それに、今日はジャンが一緒だから、重い方は全部持ってもらったしね!ありがと、ジャン!」


「別に。それよりもさっさと始めよう。今日は一回生の初回だろう?」


「ジャンったら真面目さん〜。まっ、でもそうだよね!初回は毎回何人か怪我人出るし、出来るだけちゃんと説明したげよー!」


 キャスがブンブンとやる気いっぱいに両腕を振り回すのを横目に、ジャンは淡々と包みから剣や槍を出して床に並べ始める。二人から少し離れて、ルナは整列した学生ぐるりと見回した。


「そうね……でも、いくら口頭で教えても、結局は無駄なんだけど」



 まるで軍人のような班長の学生の号令とともに、訓練が開始された。学生たちの前には、ずらりと十数本の様々な武器が並べられている。三人の助手は可動式の黒板の脇に立っており、まずジャンが口を開いた。


「それでは、これからエンブレムの実用訓練を始めるが、この中でオルガンズの者はいるか?いないとは思うが、いたら単位は出すから帰っていい」


 しばらく待っても、手を挙げる者は誰もいなかった。そして、学生の中には、ジャンの言葉の意味を当然理解している者と、何のことか全く分からない者が半々で混ざっているようだった。話の筋が見えない学生が、ざわつき始めるのを見て、ジャンが続ける。


「わかった、このクラスにはいないんだな。それならいい。一応説明するが、オルガンズとは、体内のエンブレム結晶を持って生まれたままの状態にしている者のことだ。彼らはエンブレム製品と相性がいいため、人にもよるが、まぁほとんどは実用訓練を受ける必要が無い」


 ジャンの話を聞いて、学生の何人かが驚いた様子で囁き合う。


「嘘だろ?この国でエンブレム持ちが権利を国に譲渡しないでどうやって生き延びるっていうんだよ」


「エンブレム結晶を持ってるって勘違いされた赤ん坊が、攫われてバラバラにされたって事件が、何件もあるっていうのに…!」


「みんな〜〜静かに静かにぃ〜〜〜!」


 ざわめく学生たちに、キャスがそれなりに厳しめの声を頑張って出して注意する。


「あのねぇ〜〜、みんなは知らないと思うんだけどぉ〜、意外とオルガンズの人って多いんですよ〜〜。皆さんの中には憧れちゃってる人も多いと思うんだけどぉ〜、我らがギリアン先生や、軍のタタラ中将、ダンケル准将なんかは〜〜みぃんな自前のエンブレム結晶をお持ちですし〜〜、政府の高官やエリート軍人の中には、昔から一定数いるんですよ〜〜」


 口調のせいで真剣さがいまいち伝わらないキャスの説明に苦笑しながら、ルナが続きを代わる。


「確かに、一般的にお腹の中の子供がエンブレム結晶を持っている可能性がある場合、妊婦は政府の施設で出産して、すぐにエンブレム結晶の摘出手術をした後、国に譲渡する手続きを取る場合が多いですね。ですが、それはダイヤの百倍の価値があるとも言われる、エンブレム結晶の闇市場に我が子が搾取されることを親が恐れるからです。公開はされていませんが、国から支払われる見舞金も桁違いだと言いますしね。ただし、世の中には持ち主に人並み外れた能力と可能性をもたらすエンブレム結晶を、子供にそのまま持たせてやりたいと思う親も多いのです。そしてもしもそれが、子供を闇市場の魔の手から守るための十分な資産を持つ親だった場合、国に譲渡せずに、そのままにしておくケースがあるんです」


「だからねぇ〜〜、お金持ちの家の子だとぉ〜〜結構このことは知ってるみたいなんだけど〜〜、このクラスの子は、半分くらいしか知らなかったみたいだから〜、ふつーの家の子も結構多いってことだね!この大学さーー国立のくせに学費ばっかり高くってさ!みんな入ってくるの大変だったよね〜〜〜私と一緒〜〜〜!!」


 よよよ…と泣き真似を始めたキャスをルナの方へ押しやって、ジャンが黒板をチョークで二、三度叩くと、直に学生たちは話を止めた。


「では続けるが…。このように、基本的にエンブレム関連の話は、その技術の一般普及とは対照的にクローズドだ。君らも入学時に機密保持の宣誓書に署名させられたと思うが、今後学内で学んだか、または知り得たエンブレムに関する事項は、全て家族にも話してはならない。それは、国家による技術の独占という側面も確かにあるが、実際には情報だけあっても何もできないのがエンブレム開発だということは、すぐに分かると思う。しかし、知識の無い闇市場の連中にとっては、エンブレムに関するどんな情報でも高値で取引できる格好のネタなんだ。だから、一切が秘密でどこにも漏れない、という体制を取っておくこと自体が、君たちの身近な人を危険から守ることなのだということをよく理解して、それを実践してもらいたい」


「「「はいっ!」」」


 学生たちの大声での返答に、キャスが目を丸くして、ヒュウと口笛を吹く。


「ジャンったら、大人気〜〜〜♪」


「ああ、キャスはジャンと組むの初めてだもんね。彼、学部生に人気があるのよ。何たって、四年制の学部を二年で修了した上に、軍からの士官候補のスカウトを蹴って研究科に進んだんだから……憧れるでしょうね」


ルナは、少しだけ遠いものを見るような瞳でジャンを見た。キャスは、ルナのどこか哀しげな視線に一瞬複雑な表情を浮かべると、何か言おうと口を開きかけたが、しばらくして思い直したのか、結局何も言わずにルナから顔を逸らした。


 ジャンには、後ろの二人の囁き声が聞こえていないようで、そのまま解説を再開する。


「本学の神学部が国内でも数少ないエンブレムに関する科目をおいているのは、君たちも知っている通りだが、一回生のカリキュラムでは、座学と実技を並行して行うことになっている。近親者にエンブレム関連の職務に携わっている者でもいない限り、現状で君たちがエンブレムに関して持っている知識は、ほとんど無いはずだ。だから、まず理論を学んだ後に実技という流れの方がいいのではないかと思う者もいると思うが、確かにそれは、一般的な学習の手順から言えば正しい。

しかし、エンブレムに関して言えば、座学のみで理解できることはごく一部だ。改めて言えば、エンブレムとは人間が本来持っている様々な能力を一時的に増幅させるものだというのが、極一般的な認識だと思う。エンブレムは人間の体内で生成され、そのほとんどが出生時には既に人体に内在している。

この国が大陸列強の中で技術大国としてバランサーの役目を果し得るのは、エンブレム結晶を人体から取り出し、様々な機器や武器に加工する技術を持っているからだ。エンブレムこそが、この国を強国足らしめる礎だ。

そのため、エンブレム結晶の技術開発に関する諸機関は、官民に関わらず政府の厳重な監視下に置かれているし、職務上エンブレム技術を応用した機具……つまり『晶化機関』を使う者であっても、使用方法以上のことは知らされていないのが通例だ」


「あとぉ〜〜、貴族の家なんかには〜〜自衛名目の『晶化刀』なんかも〜〜高額で販売されてるはずですね〜〜。みんなのお家にもあったりしたでしょ〜〜?」


「そうね、あと、お父さんしか開けられない部屋があったりしなかったかしら?扉や鍵なんかは、かなりエンブレム技術が普及してる例ですね。もちろん、一般家庭にあるものでは無いですが、銀行や大型商店などでは、『晶化錠』がほぼ導入されているはずです」


「繰り返しになるが、エンブレムは人の能力を増幅させる力を持つ、これが一般的な理解であって、確かに間違ってはいない。しかし、これから我々が実用訓練で理解することになるのは、エンブレムのもう一つの側面だ」


 ジャンは、そこで一度言葉を区切ると、ルナに合図をした。ルナは軽く頷くと、数歩前に出て、すっと両手を学生たちに向けて差し出した。


「では、ちょっとこれを見てください」


学生たちに差し出したルナの両方の掌には、何の変哲も無い小石がいくつか乗っていた。


「これは、見た目はただの石ですが、実はエンブレム加工を施した小石です。これを、よく見ていてくださいね」


 まるで手品師のようなルナの語り口に、学生は皆、彼女の一切の動作を見落とすまいと、その小石を見つめる。……そう、見つめていたはずだった。


「え……?」


「おい、なんで……?」


 ざわざわと学生たちが騒ぎ始める。ルナは先ほどから、指先一つ動かしていない。……いないのだが……


「なんで、石が消えたんだ??!!!」


 学生たちの中の、多少エンブレムについて事前知識があった者たちも、これに関してはぎょっとした様子で、目をこすっている。


 ルナは両手を差し出した状態のまま、そんな学生たちの様子を、くすくす笑いながら見ていた。


「私ぃ〜〜、ルナのこれ、何度見ても好き〜〜」


 キャスが、学生たちの中の誰よりもキラキラした目でまるで舞台の女優を見るように、ルナを見つめる。ジャンは、その喧噪に背を向けて、黒板に何かを板書していた。


「はい、みなさんいいですか?……えっと、ちょっとお伺いしたいんですけど、石、無くなっちゃいましたか?」


「「「………」」」


 学生たちが、当然だろうという表情で頷く。ルナは、それを見届けると、両手をそのままにした状態で続けた。


「では、みなさん、ちょっとだけ静かにしていてくださいね」


 ルナは、そこでようやく、ただ静かに差し出していた両方の掌をくるりと引っくり返した。


 すると……コン、コン、コン……と、静まり返った鍛錬場に、何かが……そう、まるでいくつもの小石が転がり落ちたような音が響いた。



「「「……えっ?!!!」」」


 音はルナの足下から聞こえてきたようだったが、しかし、そこには小石も何も落ちていなかった。


「音は、聞こえましたよね。では、そろそろ何人かは手が挙がるんじゃないかなと思うんですが……私の足下に、小石が見える方、いらっしゃいますか?」


 学生のほとんどが、怪訝な顔でいる中、列の後方の数人が、おずおずと手を挙げた。


「見えます……」


「私も………でも、さっきまで、落ちる瞬間までは何も見えなかったのに……!」


「嘘だろ!俺は、この距離でも何も見えないんだぞ!!」


 最前列にいた男子学生が後ろを振り返って声を荒げる。


「はいはい、怒らないで。これは、距離から言うと、後ろの人の方が見えやすいの」


 ルナがそう言っている側から、また学生たちの声があがり始める。


「あれ…?俺も見えるぞ!」


「あ、ほんとだ!私も!」


「では、大体みんな見えるようになりましたね。最前列のあなたも、今はもう見えるんじゃないかしら?」


 ルナに訊ねられ、先ほどの学生が困った表情で頷く。


「よかった、じゃあ、後の説明は彼にお願いするわね」


 ルナに代わって、今度はジャンが前に立つ。


「……初めに言っておくと、今のことは、もちろん手品ではない。彼女の一連の動作を思い出してみて欲しいんだが……確かに、最初石は彼女の掌の上にあった。そして、全く何の前触れも無く消えてしまった……。さて、本当に、そうだっただろうか?石は消えたのか?……答えはノーだ。石は最初から最後、床に落ちるその瞬間まで消えてなどいなかったんだ。石は彼女の手の上にあった。それをただ、君たちが認識できなかっただけだ」


 ジャンが、先ほど書いた黒板を少し引き寄せて、注目を促すように二、三度叩く。


「ここに書いておいたが、エンブレムには人の認識を操作する力がある。イメージとしては、差し当たり催眠術のかなり強いバージョンと思ってもらっても構わない。実際には、催眠術よりも普遍性と確実性があり、かなり科学的な代物だが、その効果はむしろ、今諸君らが体験した通り、呪術的と言ってもいいほど強力だ」


 ジャンは黒板に書いた「共感・共振」という言葉に下線を引いた。


「最初に話したように、エンブレムに関する科目は座学と実技を並行して行う。それは、まず理解すべきエンブレムの基礎的な概念が、事実の認識に関わるものだからだ。実感無くして、この概念は理解できない。エンブレムにはまだ解明されていない部分が多く、むしろほとんどのことが分かっていないと言った方がいいほどだが、現在判明しているものの内、最も基本的なことは、エンブレムの力が我々のあらゆる認識に共振を生じさせるということだ。

これがどういうことかというと、理論上、エンブレムの力は使いようによって、人を仮想の世界に幽閉することさえ可能にするということだ。何かが見えて、何かが見えない。あるはずの物が無く、無いはずの物がある。これを応用すると、自分に出来ないはずのことが出来たり、相手に出来るはずのことを出来なくさせたりもできる…。


これは、主に軍事技術として開発されている領域だ。もちろん、エンブレムは単純に人間の内在的な能力を増幅させる触媒という機能も持っているし、その効果の強弱には使用者の適正が大きく影響する……非常に不安定な部分がある技術でもある。

エンブレム結晶は、平和利用も出来れば、軍事利用も出来るし、人類の尊厳を踏みにじるような転用方法など、諸君らも今だけでいくつも思いついたはずだ。しかし、本学の神学部と研究科は、この力と技術を安定的に開発利用し得るだけの法制度と人材を常に生み出し続けてきた。


君たちは、本学でエンブレムについて学ぶことで、これまでとは違う世界の側面を知ることになり、その見方も幾分変わるだろうと思う。しかし我々は、この技術を人類の未来に資するものとして発展させ、そして同時に、この技術が将来世代に厄災をもたらさぬよう細心の注意を払って管理体制を維持しなければならない。

現在、一般社会に流通しているエンブレム製品は、そのほとんどが特殊な訓練を受けていない素人でも一定の講習を受ければ使用できるように調整されている。これまでのエンブレム研究の主流は、いかにエンブレムの特徴の一面である共振性を抑えて、純粋に人間の潜在能力の触媒機能だけを発揮させるか、だった。


しかし、将来君たちが扱うことになる政府や軍で使用されているエンブレム関連の製品の中には、むしろ共振性の側面を強調させた通信機器や武器が多く存在する。これらの物品を扱うためには、まずエンブレムの力を制御しコントロールする感覚を体得する必要があり、今日を含めて今後君たちがこの鍛錬場で訓練する内容は、ほぼこれに尽きると思ってもらって構わない。では、随分話が長くなってしまったが、そろそろ実際の訓練に移ろう。……キャス」


「はぁ〜〜い!」


間の抜けた返事をしながら、キャスが鼻歌まじりに黒板の後ろから台車を押して出てきた。台車の上には、水が張られたたらいが乗っている。キャスは、ちゃぷちゃぷと揺れる水面を覗き込むと、うんうんと何かを勝手に納得しながらジャンの方を振り返った。


「ジャン!これね〜〜私が配合したんだから、超イイ感じなのはもちろんなんだけど〜〜今日はさ〜〜ほーら、お天気がこぉんなにいいから〜〜ミネルヴァの分裂が思ったより活発で、軍に裏から売れそうなくらい、いい濃度の媒介液になってるよぉ〜〜んふふ!」


「……お前の言う「イイ感じの濃度」が、まともだったことが一度もないんだが…」


「それはっ!訓練なんかの超つまんないことに使うからぁ〜!実戦だったらね!もう!実戦のAPAV 40グレネードなんかに使ったら、三歳の子供に操作させたって針の先みたいな目標を落とせるぐらいの精度と羽のように軽い本体と引き金を実現できるスーパーウォーターなんだからぁぁあ!!」


「…………」


 きゃははは!と瞳を異様に輝かせながら媒介液の軍事的活用法について語り始めたキャスを、ジャンは無視し、ルナが慌てて宥めにかかる。学生たちは、ちょっと可愛いなぁとさっきから横目で見ていた少女の豹変ぶりに顔を引き攣らせた。


「……彼女のことは気にしないでくれ。説明を続ける」


 ジャンは、足下に並べておいた武器の中から、小振の剣を一振りと、一緒に持ってきていたレンガを拾い上げた。


「さて、大体想像のついている者もいると思うが……ここに持ってきているのは全て晶化刀だ。先ほども言った通り、エンブレム加工が施された晶化機関の威力は、持ち手の能力に大きく作用されるため、一概には言えないが、少なくとも、晶化刀と一般の剣では、鉄と青銅器のように決定的な力の差が生じる。

しかし、何の訓練も準備もなく一般に流通していない、つまり共振性を抑えていない晶化機関には、まず触れること自体が出来ないし、触れられたとしても普通の人間では弾き飛ばされる。そのため、体内にエンブレム結晶という天然の媒介要素を持たない諸君らは、今日以降、その代替物として訓練に際しこの媒介液を使うことになる」


 ジャンは少し屈むと、たらいに入った媒介液に右手を浸した。


「この媒介液に入っているのは、主にミネルヴァと呼ばれている微生物だ。詳しい説明は講義に譲るが、つまり、この微生物と水分が人体に付着することで、擬似的に体内にエンブレム結晶があるのに近い状態を作り出せると言われている。この媒介液の濃度は海水に近いが、繊細な栄養素等の条件を満たす水質を作り出すことは難しい。その製造法についても後々講義があるからそのつもりで……よし」


 一〇秒ほどしてから、ジャンは媒介液から右手を引き上げた。たらいに入っている状態では分からなかったが、媒介液は薄い青緑色をしている。日に翳されたジャンの右手は、薄らと青く、水とも光ともつかないような皮膜に覆われていた。


「この状態で、晶化刀を持つと……」


 ジャンが左手で持っていた剣を右手に移し持つと、ふわっと風が巻き起こり、右手の光が一瞬で剣全体を覆った。ジャンは、その具合を試すように二、三度軽く素振りをすると、左手でレンガを放り上げ、それを右手の剣で横一閃に一薙ぎした。青白い光を放つ剣は僅かに空気を切る音をさせたのみで、レンガを打ち砕くような打撃音は一切しなかった。ただ、恐ろしいほどに鋭利な切断面をした二つのレンガの固まりが地面に落ちる鈍い落下音だけが鍛錬場に響いた。


「「「おおおおお……!!」」」


 学生たちは、どよめきの声を上げながら、ジャンが持つ晶化刀に見入った。ジャンは、学生たちのそんな様子にもう慣れているのか、特に表情も変えず、騒ぎが収まるのを待ってから再び口を開いた。


「諸君らの中で、一体どれだけの学生が卒業後に軍への入隊を希望しているのかは知らないが、士官コースの入隊試験で課されることのひとつが、今見せた晶化刀での実技試験だ。その時までに、経済的な余裕があって、かつエンブレム結晶の移植手術を受けるために必要な司祭試験をクリアできた者は、そうしてもいいだろう。

もちろん媒介液を使っても構わない。但し、媒介液を使用する場合は、その場での自作が求められるため、座学の方でも手を抜かないように。では、俺からの説明は以上。前列から順に、媒介液を使用し、好きな晶化刀を手に取ってみてくれ。一般向けの製品では無いから簡単じゃないが、差し当たり今日は、手に取ること自体が目標だ」


「「「はいっ!!」」」


 威勢のよい返答と共に、媒介液へ手を浸し始める学生たちに、ルナと、いつのまにやら正気に戻ったキャスがそれぞれ声をかける。


「今日は初回なんですから、落ち着いてくださいね!ゆっくりでいいんですよ!」


「あわわ〜〜!みんな、ほんと元気だね〜〜!でもねぇ〜二人一組でやった方がきっといいと思うなぁ〜〜!!私の作ったスペシャル媒介液を使ったらね〜〜威力は抜群だけど、君たちじゃ確実に吹っ飛ぶはずだから!てへ☆」


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