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(1)講義


まるで神であるかのように装おうことを、あなたは欺瞞だと言う。

しかし一部の人間らしさは今やかつての神という存在に癒着し、

我々にはもはやその境界を見出すことができない。


我々は、恐らく再びバベルの塔を築いてしまったのだろう。

そしてそれは既に崩れ去り、

言語とは比べようもない程の、

認識の乖離という罰を受けたに違いないのだ。


世界は我々の認識によって作られるものであり、

実態と実体の間に明確な関連性など初めから一切無く、

かつての我々の世界は、もはや一房の葡萄のように、 

ぷつぷつと区切れたまとまりに過ぎない。


我々はひとつの房に寄り添いながらも、 

各自が酷く孤独な世界に幽閉されている。


実態を思いのままに装い、

実体を冒瀆した罪を背負う者こそが、 

恐らくかつての神その人であったのだ。


ジョセフ・マッディン

―一八××年一二月四日の研究ノートより抜粋―



<プロローグ>


慌ただしげな軍靴の音が聞こえてきたのは、明け方というには、まだ早すぎる時間のことだった。

この地域の冬は雪がとても多い。それは、石造りの壁越しにも厚く積もった雪の感触がするほどで、まるで世界からこの屋敷だけがすっぽりと雪で覆われて隔離されてしまっているようだった。


穏やかな静寂に包まれた子供部屋にはレンガ造りの暖炉があり、屋敷の大人たちが気を付けてくれているお陰で、一晩中、火が絶やされることがなかった。

暖かな部屋で、日の香りがする羽根布団に包まれてしまえば、まだ幼かった俺が夜中に目を覚ますことなど、ほとんどなかった。


だからその晩、いくらいつもより少しだけ足音がうるさかったからといって、とりわけ遅く帰ってくることが珍しくもなかった父の足音に気が付いたのは、もしかすると、自分でも知らない内に何かの異変を感じ取っていたからかもしれない。

父は軍人らしく大柄で、子供の自分は首を目いっぱい上向けて、ようやくその顔が見えるほどだった。

しかし、心はとても繊細で優しい人だったから、どんなに忙しい時でも、俺が側に行くといつも大きな手で頭を撫でて抱き上げてくれた。


だから俺は、その晩も父が帰って来たことに気付けたことがとても嬉しくて、早く父におかえりを言いに行こうと、暖かな寝台を抜け出て父の部屋へと向かった。


足音を立てないように気を付けながら、廊下の絨毯の上を素足で歩いて父の部屋へと向かった。

父以外の家の者に見つかると、すぐにベッドへ戻されてしまうので辺りに誰もいないことを確認してから、そっと父の部屋の扉に耳をつけて中の様子を窺う。部屋からは父以外の男の声がした。


「だから……無理だったんだ。…は、軍の管轄では……」


「それが間違っているんだ……の研究は、王が禁止していたのに!」


「しかしあそこは王家の……いや、そんなことはもう俺たちには関係が無いことだ…」


「ここにも直ぐに……の追手が来る…エウタナーシャをどうすれば」


「置いていくしかないだろう……ただし、その前にジャンに……」


そこまで聞くと、俺は急いで自分の部屋へと戻った。

父の部屋に父と一緒にいたのは、もう半年以上会っていない兄のギルバートだった。

俺とはかなり歳の差があるギルバートは二年前に父と同じく軍人になった。

我が家は代々軍人の家系なので、長男である兄は、当然のようにその進路へと進み、両親を喜ばせた。

子供の俺には、さっきの二人が話していた内容については全く理解できなかったが、何か重要なことだということだけは雰囲気でわかった。


大らかな父と違い、厳格な性質の兄は、俺にとってどこか近寄り難い存在だった。

そのため、こんな時間に父の部屋の前で何か大事な話を立ち聞きしてしまったことがバレたら兄から怒られるのではないかと思って、俺は急いで自分の部屋へ戻ると、まだ暖かいベッドの中へともぐりこんだ。


しばらくベッドの中で大人しくしていると、父の部屋から二人が出てくる音が聞こえた。

帰宅してきた時と同様に、いつもとは違ったどこか忙しない二人の足音がこちらへと近づいてくることに気付くと、俺は、もしかしたらさっきの自分の立ち聞きがばれていたのではないかと不安になり、慌てて布団を頭まで被って寝たふりをした。二人の足音は、俺の部屋の前で止まった。


 静かに部屋の扉が開かれる気配がした。

さっき父の部屋へ向かって飛び出していった時には全く感じなかったのに、何故か今は、開かれた扉から酷く冷たい外気が入り込んだような気がして、俺は微かに身震いをした。


「父さん、本当にこうするしか無いのか」


兄は声を落とし、俺が初めて聞く不安そうな声で父に尋ねた。

父は、兄の問いに直ぐには答えなかった。代わりに、カサリと、何か小さな紙袋のようなものを取り出す音がした。

父は、意を決したように俺の部屋へと入ってくると、俺のベッドのすぐ側で立ち止まった。


「ギル……俺たちでは、もう歳をとり過ぎていて、これに順応することはできないんだよ。

可哀そうだが、ジャンに持っていてもらう以外に、保管の方法は無い。

いつかこれが、この国の真実を暴く切り札になる。

そして、エウタナーシャを……いや、これから生まれるエウタナーシャと同じ多くの被害者を助ける鍵になるはずだ」


俺には、その時、父が何を言っているのか、また、兄が何を案じているのかもわからなかった。

ただ、ひどく恐ろしいことが自分の身に降りかかろうとしている漠然とした不安に、喉が締め付けられるような気がしたのを覚えている。


 父が、俺の布団に静かに手を置く重みを感じた。


「ジャン、起きなさい」



<巡回司祭マリー・ギリアン>



300人程が収容できる中講義堂には、150人程の学生が思い思いの場所に着席し壇上の講師の話を聞いていた。

もう夕方になろうかという時間帯の講義に、これだけの出席者がいるのは珍しかった。

しかも、ほとんどの学生が前の方の席に集中して着席し、真面目にノートを取っている様子からも、この講義が学生の間で人気であることが見て取れた。


教壇には、すらりとした立ち姿の若い講師が立っていた。

艶のある銀髪を緩く後ろへ撫でつけ細身のコートを着込んだその講師は、随分と育ちがいいのか、今時貴族しか使えないような、完璧な公用語で講義をしていた。

その声は凛としているが穏やかで、広々とした講義堂をゆるやかに満たしていた。


この講師の名前はマリー・ギリアンといって、巨大な国立校であるこの大学においても知らぬ者はいない有名人だったが、しかしそれは、世間に知れ渡るような輝かしい研究成果があるためというわけではなかったし、学内で何かの役職についているわけでもない。

彼が学内において、いや、学内に限らず世間においてまで著名であるのは、他でもなく「巡回司祭」の肩書を持っているという理由による。


巡回司祭とは、定期的に連邦を構成する各州を巡り神事を執り行う役目を負った司祭のことを指す。

かつて、まだ連邦政府と各州の関係が平和だった頃、巡回司祭の役割は、ほぼ形式化した慣習に過ぎず、その任を王家から委ねられたこの大学の手の空いている神学教授が片手間にやるような仕事でしかなかった。


しかし、状況は変わり、いくつかの州が連邦からの独立を求めて反旗を翻すと、州を跨いでの移動が徐々に危険を伴うようになった。

政府は、さらなる内乱の拡大を恐れ、州を越えての自由移動を厳格に制限し、それに伴って巡回司祭の慣例も滞らざるを得なくなったのである。


しかし、時間が経つにつれ、宗教色の強いこのルザ連邦王国の統治体制上、各州における神事を王家直下の司祭が執り行えない状況に政府側の焦りが募り、さらに連邦寄りの州からも、市井の不穏な動向を抑制するために巡回司祭の来訪が連邦政府に強く要請されはじめた。


そこで、当然ながら歴代の巡回司祭の任を果たしてきたこのイルクート大学に、世間の注目が集まることとなった。

この不安定な国状において、王家所有の貴重な神具を反乱州の徒に奪われることなく、そしてもちろん殺傷されることもなく教区巡回が行なえる人物として白羽の矢が立ったのが、マリー・ギリアンだったのである。


5年前、ギリアンがはじめて教区巡回に出るという話が出た時、学内には反対する教授も多かった。

当時、ギリアンは自身の指導教授であった神学教授の退官と入れ替わりで助手から専任講師へと昇格したばかりの若手で、そもそも学部からイルクート大で学んできたような純粋培養の教員が多い教授陣にとって、老教授がどこかから引き抜いてきたギリアンは、有能である点については異論が無いものの、王家から委ねられた貴重な神具を任せるには不適当と思われた。


しかし、ギリアンにはこれらの反対意見を跳ね返して余りあるほどの、巡回司祭としての資質があった。

それは、大学一の剣技の腕以上の、何物にも代え難い特性であり、その件が教授会で明らかにされて以降、彼の代役を口にする者は一人もいなくなったという。


俺は、随分久しぶりに学部生に混じって講義堂の後方の席に座っていた。

今や専任講師から特任教授へと昇格したギリアンと、現在この神学部の助手を務めている俺は上司と部下に近い関係性にあるが、授業期間のほとんどを外地に出てしまっているギリアンが俺のことを知っていることは、まずないだろう。


ギリアンの講義に受講者が集中する理由の一つが、通常の授業期間には開講されず、冬と夏の長期休暇中に5日間の集中講義で行われるという点が挙げられる。

つまり、通常の講義が開講されていない期間であるため、ギリアンの講義を受けようと思う者は、他の講義への出席について案じることなく、この集中講義に出席することができる。

大学側としては、人気の講義だけにそのような措置を講じているのだが、ギリアンにしてみれば年中方々へ巡回させられている身の上、講義を持たされるならば集中講義以外は不可能であり、当然のスケジューリングでしかないだろう。


そして、内乱が激化したこの十年、碌に城下中央を出たことの無い学部生にとって、合間合間に、外地の話を歌うような口調で語り聞かせてくれるギリアンの講義は、まるで観劇をしているように魅力的なもののようだった。

それは特に聞く気も無く椅子に座っているだけだった俺でさえ、思わず引き込まれてしまったのだから確かなことだ。


教壇に立ったギリアンの所作はどこか優雅で、まるで役者を見ているようだった。彼は黒板にいくつかの単語を綴ると、コートの裾を翻してくるりとこちらへ向き直った。


「さて!皆さん。色々お話してきましたが、今日のテーマは異端についてでしたね。異端という言葉が批判の意味を持って用いられるようになったのは、極最近のことだということは、歴史を振り返ってみれば明らかであるとお分かりいただけたかと思いますが、ではその転機となったのは一体どのような時代の、どのような社会においてでしたでしょうか?」


 教室の中央の席に座っている数人の学生が手を挙げるのを見て、ギリアンがその内の一人に目を留める。


「では、君。そこの緑色のジャケットを着たあなた」


 立ち上がった学生は、恐らく3回生だろうか?もう学部生というよりは社会人のように堂々とした好青年だった。


「今から約1200年前の先史800年代に生じた神学論争を契機とする学説分離の時期に、自らの学説とは異なる学説に対して異端という語が用いられるようになり、この言葉は非難の意味を持つようになったかと思います」


 真っ直ぐに前を見てそう答えた学生に対して、ギリアンはにっこり微笑んだ。


「素晴らしい!あなたの答えは当時の状況をよく表していますね。

ただ一点付け加えておくと、現在の我が国の国教が基本的に一つの神学解釈に収斂していることからも分かるように、当時、異端と言われたのは、今なお主流派の神学解釈と異なった解釈を提示した学派に対してのみでした。

そう、主流派の学説に対しては「異端」という言葉が決して向けられなかった点に注意が必要です。

そして、実際には先史8〇〇年代以前にも、解釈の違いが存在していましたが、現在、非難の意味を込めて用いられる

異端という語は、当時単に「反論」や、「異論を持つ者」という意味しか持ち合わせていませんでした。

この言葉に所謂「悪」というニュアンスが加えられてしまったことが、現在、この国で起っている内乱の本当の意味での原因なのかもしれませんね」


ギリアンが黒板にすらすらと要点を書いていると、丁度講義の終わりを告げる鐘が鳴った。


「それでは、今日はここまで!後2回の講義は来週になりますが、来週末にはレポートの提出を求めますので、もし何か質問があればどうぞ!」


ギリアンは、そう言うと教卓とセットになっている少し高めの椅子に腰かけ、手帳を開いた。

講義堂の学生たちは、最後にギリアンが黒板に書いた数行の要所をノートに書き写し、それが終った者から部屋を後にしてゆく。

前列を埋めていた女学生たちも友人同士で何事かこそこそと囁き合い、ギリアンの側を通る際に、はにかみながらぺこりと一礼をして外へと駆け出して行った。

教卓にまで質問に来るのは、ほとんどが男子学生だったが、ギリアンがどの学生にも分け隔てなく丁寧に対応しているのは、遠目にもよく分かった。


俺は、その様子を眺めながら、酷く不思議な空間にいるような気がしていた。

というのも、国立大であるこの大学で、内乱の正当化とも受け取られかねない、このような講義が行われているのは本来異常なことだったからである。

確かに、ギリアンの講義は、内乱が起こる以前には基本的な歴史認識の整理として、どの教授も当然に解説する内容であったが、現在大学側が採用している学部生用のテキストからは意図的に削除されていた。


我が校の神学部卒業生は、政府と軍部に一大勢力を築いており、現在の城下中央が求める人材育成プランに沿って、学部レベルでの教育内容は慎重な修正が加えられている。

もちろん、学部の上位クラスである研究科へ進めば、そのような外部からの力が働くことはさすがに無かったが、長く続く内乱という国状において、学府の独立は徐々に蝕まれつつあった。


大学という最高学府に対する攻撃と言っても過言ではない政府のやり方については、特に愛校精神があるわけではない俺でさえも好ましいと思っていなかった。

そのため今日のような、全くテキストを参照せずに語るギリアンの講義に接すると、今般どの大学にも蔓延しているある種の閉塞感が一瞬薄らいだような気がしたのだった。


終礼の鐘から一五分もすると、ほとんどの学生は帰り、講義堂に残っているのは数人だけになった。

その頃を見計らって、俺は席を立つと、ギリアンの元へ向かった。


「ギリアン先生」


俺が声をかけた時、ギリアンは、少し遅れて質問に来た学生を丁度見送ったところだった。

その、どこか優しげな表情のまま、ギリアンは声のした俺の方へ顔を向けたが、彼の顔は、俺を見た瞬間、ぶつりと、一瞬でその瞳から生気が全て消え失せたような、何とも表現しがたい不気味な表情に変わった。


「………」


時間にして、ほんの数秒もなかったと思う。


しかし、確かにその一瞬、ギリアンは沈黙し、俺を凝視した。

この感覚は、これまで人間と対峙した時に向けられたことのあるどのような感情とも異質なものだった。

それは俺の気のせいだったのかもしれない。

ただ、その数秒の間に、俺は、この優美な姿の奇妙な講師に、まるで何時間もかけて骨の髄まで品定めをされているような、息が詰まるほどの強い不安感に襲われた。

数秒の後に、ギリアンは俺から目を背けたが、その瞬間、俺は何キロも走らされた後のような酷い疲労感を覚えて、思わずその場に座り込みそうになった。


「…おや、あなたは確か……エピステーメの所の助手の方ですよね」


そう口を開いたギリアンの表情は、すっかり先ほどの講義中の柔和なものに戻っていた。

にこりと笑いかける瞳からは、身内の者に対する親愛の情が見て取れ、その暖かい雰囲気には欠片ほどの酷薄さも感じられなかった。

そんなギリアンを見て、俺は早くも、さっき一瞬だけ感じた恐慌に近い感覚が、ただの自分の錯覚だったのではないかと思った。


「……はい。突然講義にお邪魔してしまってすいません」


「いえいえ、でもあなたには退屈だったでしょう?この講義は学部生向けなので、どうしてもある程度形式的な話をしなければならないので…」


「いえ、最近あまり聞けないような内容で、大変勉強になりました」


「そうですか?それはありがたいですね。ええと、確か…一度お名前をお伺いしましたよね…」


 そういうとギリアンは、俺の名前を思い出そうとするように、僅かに首を傾げた。


「ヴィンセントです。ジャン・ヴィンセントと申します」


「ああ!そうでしたね!あなたのことは、エピステーメからよく聞いていますよ。とても優秀で剣技の腕前は自分以上だと、それはもう嬉しそうに!」


 ギリアンは、その時の会話を思い出してか、面白そうにくすくすと笑った。


「あなたは、エピステーメ研究室の初めての助手ですからね」


エピステーメ・ポルカは、この大学での俺の指導教授であり、現在は直接の上司でもあった。

歳は、ギリアンとそれほど変わらないが、こうしてギリアンを前にすると、年齢相応に見えない容姿をしている自分の指導教授が、より一層幼く思えた。


とはいえ、エピステーメの研究業績は非常に多く、学内での評価は高かった。

ギリアンとは専門が異なるものの、この二人こそが将来のイルクート大神学部を負って立つと言われている新進気鋭の若手だった。

そして、この二人はそういった周囲の評価とは関係のない所で、深い繋がりを持つ二人でもあった。


 ギリアンが、ちらりと腕時計に目を落とした。


「この教室は、今日はもうこれで鍵をかけられてしまいますから、もしよろしければ、少し歩きながら話しましょうか?」


「はい」


 俺とギリアンは一緒に講義堂を出ると、半地下から一階へと続く長い廊下を歩いた。

陽光の入りづらい地階に明かりを取り込む工夫なのか、廊下の壁には天井まで届く大きな曇りガラスが使われており、夕暮れ時の薄ぼんやりとしたオレンジ色の光が差し込んでいる。

俺は、柔らかな光を浴びてキラキラと輝くギリアンの銀髪を、後ろから見るともなしに眺めながら話しかけた。


「ギリアン先生、今日は、一つお伺いしたいことがあるのですが…」


「おや、なんでしょうか?」


 ギリアンは、男性にしては大きな瞳を軽く見開いて首を傾げると、パチパチと瞬きをした。


「……単刀直入に申し上げます。次回の教区巡回の件なのですが、私を巡回助手として同行させていただけないでしょうか?」


 俺の申し出を聞いて、ギリアンは明らかに困った顔をした。


「それは……どうでしょう。エピステーメは何と言っているのですか?」


「最初は、やめろ、と。ですがそれから暫くして、どうしてもというなら、とにかくあなたに話してみるように言われました」


「…私が最後に助手を連れて教区巡回へ出たのは、もう二年前のことです。

それ以降は、一度も助手を連れて行ってはいませんし、正直なところ、この国状では、助手を連れて行くのは危険すぎます。

申し訳ないのですが、いくらあなたが優秀であるとはいえ、あまり気が進みません」


「…その、最後の巡回助手というのは、エピステーメ先生のことですね」


「ええ、彼は本当によくやってくれました。しかし、今は彼が一緒に来てくれた時よりも、さらに状況が悪化しているのです。内乱に乗じて、近隣の国々からも盗賊団がいくつか乗り込んできていますし、外地の治安は悪くなる一方です」


「エピステーメ先生は、あなたのことを心配しておいででした。お一人で外地を移動するのは、いくらなんでも危険すぎると」


「だからといって、自分の助手を私と一緒に戦地へ送る免罪符にはならないでしょうに…。まぁ、丁度これから彼の研究室へ行く予定でしたので、ちょっと話をしないといけないようですね」


「……」


俺が黙っていると、ギリアンは、話は分かったと言い残して、エピステーメの研究室へと続く階段を上っていった。

俺はそれを見送りながら、つい先ほど、ギリアンが俺に見せたまなざしのことを思い出していた。


あれは……あの、無機質で、生きている者が生きている者を見ているとは到底思えないまなざしは、一体何だったのだろうか…?

全く予想もつかなかったが、ギリアンという教師には、俺が想像し得るものとは別次元の何かがあるような気がした。


 俺の、その直感が正しかったとわかるのは、これから随分先のことになる…。


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