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94. お節介



「殿下、少々お時間をいただけますでしょうか?」


 小鳥の(さえず)りも、数がこれだけ多ければ騒音だ。そんな思考を断ち切るように、落ち着いた低い声がアーサーを呼んだ。


「エルトナ伯爵」


 振り返ればリヴィアの父、リカルド・エルトナ伯爵が静かに佇んでいた。視界の端でリヴィアがヒューバードに声を掛けられるのを横目で見ながら、アーサーは小さく首肯した。


 ◇ ◇ ◇


「この度はアスラン殿下の御即位おめでとうございます」


 恭しく頭を下げるこの男を見ていると、慇懃無礼という言葉が頭を過ぎるのは、穿った見方をし過ぎだろうか。


 どこに場所を移すべきかと考えたが、結局会場の傍にある、休憩室の一つを侍従に用意させた。

 椅子を勧めたが固辞したので、アーサーも窓際に寄り、冷えた窓に背中を預けた。


 ゼフラーダの一件を調べる際に、エルトナ伯爵の名前も出てきた。わかった事は、叩いて埃の出るような人物では無く、判で押したような堅物だという事。


 政略結婚による妻とは死別。その間に出来た娘とは不仲。……ただし再婚もしておらず女性の噂も皆無。二代前の伯爵が宰相を勤める程の名家であるが、今代は皇城勤めにはあるものの、閑職に追いやられている。その為伯爵は専ら領地経営に精を出している……との事。

 だがアーサーとリヴィアの婚約を節目に、皇帝から役職を引き上げられ、皇城での仕事も現在は多忙。


「兄上本人に言ったらどうだ」


 アーサーは感情を消して声を張ったつもりであったが、自分で思っていた以上に緊張していたらしい。上擦った声が出た。


 またエルトナ伯爵の弟、フォロール子爵は皇帝に忠誠を誓った者の一人であり、アーサーがレストルを従者に選ぶのも必然なものだった。


「そうですね。後ほど様子を見てそのように致します。ですが、私がこのように気安く声を掛けるのは、貴方がリヴィアの婚約者だからという事をご承知おき頂きたい」


「……そうか、それは光栄な事だ」


 自分はまだ伯爵に義理の息子として認識されているのかと不思議な心地を覚える。だがその思いもすぐに打ち砕かれた。


「まあ、それも今日までです。良い機会ですから、このまま娘と婚約破棄をして頂きたい」


 その言葉にアーサーは怯む。自分がずっと目を背けてきたそれに、伯爵は刃に言葉を乗せてあっさりとアーサーに突き立ててきた。


「い、祝いの席でそんな……」


「少なくとも先程殿下が侍らせていたご令嬢たちは諸手をあげて喜ぶ事でしょう」


 伯爵は、ふんと鼻を鳴らした。


「私は誰も侍らせてなどいない!」


 思わずカッと声を張る。誰だか認識出来ない女たちに何人に囲まれるより、リヴィア一人をずっと抱きしめていたいと、そんな事ばかり考えていた。自分がどれほど未練がましいかを思い知っているというのに。


 目の前の冷ややかな紳士はさして興味も無さそうに、黒い相貌を眇めている。

 やがてそっと息を吐き、諦めたように口にした。


「殿下、私が皇族を嫌悪している事はご存知でしょう?」


 その言葉にアーサーは僅かに瞠目した。

 叛意とも取られかねない彼のささやかな態度。その理由として、調査報告書に書かれた彼の身上書には、前皇帝の命により、意に沿わない婚姻を結ばされた事も記載されていた。


 答えられずに沈黙するアーサーの反応を是ととったか、伯爵は話を続けた。


「別に間違いのない話です。だから私は娘があなたと婚約を結ぶと聞いて気が気で無かった。皇族などと、しかもまた第二皇子。

 でも────それでもあの子が自分で選んだ相手なら反対するつもりはありませんでした」


 その言葉にアーサーは眉根を寄せた。自分は今報告書の中身と違う感情をぶつけられている。先程会場でもそうだったが、とても不仲とは思えない親子の様子を見せつけられ、会場の動揺とアーサーも同じくした。

 報告書が間違っていたのだろうか……いやでも。逡巡するアーサーに伯爵は更に続けた。


「私は貴方がリヴィアと婚約を破棄する事を望んでいます。ですが……一つだけ、お節介を」


 その言葉にアーサーはふと顔を上げた。今度は伯爵が言いにくそうに顔を顰めている。


「愛する者を見ない振りをする日々は、ただ辛いだけのものでした。けれどあらゆる視界を閉ざし、盲目的にそれが正しい事だと振る舞う間は、それさえ気づけないという事をご承知おき下さい。


 そして、やがてそこから目覚めた時、愛した事を無かった事には出来ません。目を背けてきた自分の矮小さも含め、それこそ記憶を無くさぬ限り、生涯忘れる事は出来ないでしょう。

 

 皇族のあなたは未婚を通す事も許されず、伴侶を隣に置く事でしょう。ですが、あなたがリヴィアに向き直り、未練を断ち切らねば、それは誰に対しても不誠実な、次代へと禍根を残す婚姻となりましょう」


 アーサーは息を呑んだ。

 同じ事を繰り返すと。

 数十年かけて断ち切った皇族の負の連鎖を、今また自らの首に掛けるのかと。その答え如何では、アーサーはアスランの起こす新風を穢す闇でしかない。苦い笑みが溢れる。ここにいるのは誰だ。皇族に叛意を疑われる男では無いのか。これではただの忠臣だ。


「少しだけ気持ちがわかると思ったもので……」


 呟く伯爵にアーサーは目を向けた。


「愛しいけれど、踏み込めない。そして、手放せない。ここ数ヶ月の貴方のリヴィアへの不通に、私はそんなものを感じてしまったのです。

 それが全くの見当違いで、娘を蔑ろにしているだけならば何の憂いもなく婚約破棄に踏み切りました。


 ですが、貴方の辺境伯夫妻への配慮や、皇弟殿下への糾弾を聞き、一度だけ話をしてみたいと思い、(とど)まった次第です。残念ながらあなたはリヴィアを好いているようですから……。

 良くあんなにじろじろ娘ばかり見続けられますね」


 嫌そうにため息を吐く伯爵にアーサーは動揺する。

 そんなに呆れる位なら、もっと早く声を掛けてほしかった。胡乱な視線を向けてくる伯爵に、アーサーは何とも言えない気分になる。


 普通年頃の娘を持つ親は皇族との縁を喜ぶものだが、それが当てはまらないとは、流石リヴィアの親だと思ってしまう。けれど。

 自分の心情を良く理解しているようで、思わず舌を巻く。

 放さなければと思っていても、その後の状況が想像できないのだ。


 自分が他の誰かと結婚する事。リヴィアが他の誰かと結婚する事……やがて子どもを産み、幸せだと微笑みあう家族の中に自分はいない。大事な人の幸せを願うとはそういう事なのに、胸が苦しくて想像ですら直視できない。それとも、こんなことも時間が解決してくれるものなのだろうか……。


 俯き、口を閉ざすアーサーに伯爵は再びため息をついた。


「ヒューバードが熱心に我が家に通い、娘を欲しております。私からは、娘が望むならと伝えてあります」


 二人が旧知の仲だと知ったのは、これもゼフラーダの件を調べた時に直接本人から聞いた。

 顔は合わせた事は無かったようだが、二人の間に、少なくともヒューバードに何がしかリヴィアに惹かれたものがあったのだと察するものがあった。


「おや……」


 思考の渦にいたアーサーは伯爵の調子の外れた声に釣られるように顔を上げた。指先が差し示す窓の外を、リヴィアが横切るように歩いていった。


「全くあの子は、一人で暗がりを歩くだなんて、危機管理能力が低過ぎる」


 ぼやく伯爵を手で制し、アーサーは自らリヴィアを追う旨を伝えた。



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