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83. 彼女の夫



 アーサーの執務室は皇城の一角ではあるが、皇族では無く、高位貴族の使う場所を与えられていた。

 それは彼が将来的に臣下となる事を、また受け入れる事を示唆している。


 フェリクスはそこへ向かう為、回廊を歩いていた。ちらりと目を向ければ、そこは昔アーサーがライラに傅いた中庭がある。


 足を止め、今は誰もいないその場に目を細めた。

 もう子どもはいない。皆大人になっていった。

 

 ◇ ◇ ◇


 ゼフラーダ辺境伯領でフェリクスが母の死を確認した後、隣の領地からライラの夫であるイスタヴェン子爵が迎えに来た。


 いつもきらきらと鬱陶しかった男だが、久しぶりに見るとどうにも影が差したような怪しさが滲み出て見えた。

 地方領主の仕事に想像以上に苦労しているのかもしれないが、ふとある事を思い出して納得した。


「ご無沙汰しております。義兄上」


「やめろ気持ち悪い」


 そう反論すればくすくすと楽しそうな笑い声が返ってくる。

 そう言ってふと視線を逸らせば、屋敷の使用人たちから何かを熱望するような視線が注がれていた。

 相変わらずだなとフェリクスは思う。

 この男は老若男女に秋波を送らせる逸材だ。しかも乗り気でない以外はあまり抵抗無く全ての誘いを受けてしまう。


 今もここの使用人たちの目には、妻を迎えに来た優しい夫と映っている事だろう。


 皇城の風紀が乱れると女官長から苦情があったものの、三男とは言え有力公爵家の息子。仕方が無いので、アスラン殿下が直々にお目付役となったのだ。


 だが不思議な事にデヴィッドの奇行は、ライラとの事が始まり、しばらくしてぴたりと止んだ。


 フェリクスはライラに脅されでもしたのかと訝しんだ。だがデヴィッドがライラとの仲を、あえて疑われるように振る舞い始めたので、結婚の意思を確認した。


 ◇ ◇ ◇


「直球ですね」


 デヴィッドは苦笑した。


「勿論いただきますよ。大事なお嬢様でしょうから、後日改めてフェルジェス侯爵にご挨拶に伺う予定です」


 万人が褒めるライラの良さとやらが分からないフェリクスは首を捻るばかりだ。あんな女と結婚するのかと、自分の妹に対してかなり辛辣な感情で断じた気もする。


「彼女は俺の唯一です」


「そうか」


 大して気分を害した風でもなくデヴィッドが言い切るので、フェリクスも気にしないようにした。(つら)と身体が気に入ったのだろうと、そのまま流そうかと思った。

 

 けれど、たまたま気になった。


 その時で無ければ、或いは面倒だと口を閉ざしたら、特に知る事もなかった話。

 フェリクスにとっては、本来どうでもいい一言。


「唯一?」


 その言葉にデヴィッドは形の良い唇に弧を描いた。


「ええ。彼女は唯一、俺と死んでくれると言ってくれた人なんです」


 嬉しそうにはにかむデヴィッドに、フェリクスは瞠目した。


 ◇ ◇ ◇


 デヴィッドはルビアディル公爵の三男にあたる。兄弟全員母親が違うが全員正妻の子どもという、かなり変わった環境で育った。


 ルビアディル公爵の一人目の妻は不妊だった。その為結婚して三年後離縁された。だが半年後公爵の子として長男がルビアディル家に届けられた。

 時期的に公爵の子であったが、離縁した妻の子ども。公爵は体面を保つ為、子どもを長男として受け入れたが妻とは復縁しなかった。


 二人目は結婚後直ぐに懐妊したが、早々に愛人を作った事で公爵の逆鱗に触れ離縁された。


 三人目がデヴィッドの母親である。彼女は良い妻だった。だが三人目の妻としては、公爵には物足りなかったらしく、今度は彼が愛人に走った。


 ◇ ◇ ◇


 何とも類稀なる家庭環境。だが上二人の兄がそれでもまとも(・・・)に育ったのは、母親がいない代わりに乳母がしっかりと育てたからだろう。


 自分には母がいた。そして母には自分しかいなかった。

 彼女は公爵の三度目の婚姻という事で、家格から全てに於いて前妻たちより下だった。


 公爵も今まで以上に義務によるものという態度が透けて見え、それが使用人たちにも少なからず影響を与えていた。

 だからあの家でデヴィッドは母の唯一として執着されて育つ。

 そして次第に母がデヴィッドに父の代わりを求めるようになっていく事を、止められる者はあの屋敷にはいなかった。


 ◇ ◇ ◇


 屋敷にいなければ母の執着から逃げられる。

 だが父は、住み込みの寮が用意されている軍や、騎士への志願には難色を示し、デヴィッドに文官を目指すように指示してきた。


 一つ上の兄が騎士への道を進み、手ごたえを感じているからだろう。ならばデヴィッドにも同じものは求めまい。家の為を思えば縁は至る所にあった方が良い。


 文官になるにはアカデミーの卒業が必要だが、屋敷から距離が近く通学が出来た。父が母のデヴィッドへの奇行を知っていたかは定かでは無いが、デヴィッドが家から出る事は18歳まで叶わないと宣言されたようなものだった。


 ◇ ◇ ◇


 文官として登城した頃には、女性たちから母と同じ視線を感じるようになった。

 学生の頃も女生徒たちから好意を向けられる事はあったが、母の事があり、女性をそのような目で見る事は出来なかった。


 自分が我慢すれば良い事。そうして耐えてきてやっと勤め始めた皇城は、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)の世界。そこでデヴィッドは知らなくても良い事を思い知った。


 多くの女性たちが自分を誘う。自分の家柄や容姿が女性受けする事は学生時代から薄々感じてはいたが、ここではそれを疑う事がない程、彼女たちは熱心だった。


 特に一夜の夢を求める女性たち。彼女たちの多くは結婚に失望する夫人、或いはこれから望まぬ相手と結婚する令嬢だった。

 辛い現実を一時(ひととき)忘れる事は、生きる為に必要なのだと、彼女たちはデヴィッドに必死に縋った。デヴィッドは戸惑いながらも応えた。


 誰も彼も自分を慰める為にデヴィッドを望んだ。そうしているうちに、彼女たちが真に望んでいるのは自分ではないと気づいていった。


 皆自分の幸せを望みデヴィッドの胸に飛び込む。そして失敗すればデヴィッドを詰る。何故幸せにしてくれなかったのか?と。


 ◇ ◇ ◇


 ある夫人は不貞が夫にばれて離縁する事になったと、デヴィッドに責任をとるように詰め寄った。

 夫が嫌いと言っていたが、離縁されるのは嫌だという事に衝撃を受けた。


 ある令嬢は祖父のように年の離れた男に嫁ぐ事が決まっていた。その男に処女を散らされるのは嫌だとデヴィッドを押し倒した。

 だが婚姻の夜に夫となった男に不貞がばれ、そのまま家を追い出された。

 苦境に立たされた実家を救う為の縁談だったが、結果実家は没落し、彼女もどうなったか知れない。


 ◇ ◇ ◇


 思い出すだけでも酷いものばかりだが、共通しているのは皆デヴィッドを責めるという事。その中でも形振(なりふ)り構わずデヴィッドを責めるのは、結果全て失った者たち。


 遊び相手を選ぶのが下手だと同僚の一人に笑われてからは多少慎重になったが、既にデヴィッドは自分が何を望んでいるのか、分からなくなっていた。


 だから余程厄介な相手以外は、適当に相手をした。例え自分の身に何が起ころうと、最早どうでも良いと思う位には荒んでいた。



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