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81. 父親にはなれない



「ゼフラーダ辺境伯夫人とは、王立アカデミーで同期だった。同じ生徒会に所属していて仲も良かったし、尊敬していた。彼女が育てた御子息ならばと思ったのと、彼女自身の心の平穏の為にも、何かあったら頼って欲しいとも思った」


 リヴィアは息を詰め父の話に耳を傾けた。


「お前は忘れてしまったのか、初めから知らないのかは分からないが、夫人は人一倍正義感が強く、自分に厳しい女性だった。そして弱い人間につけ込まれやすいところがあった。優しい人だったんだ……それが皇都を追い出された理由だ」


 誰からもそう或るように望まれたものの、振る舞う正しさが自分たちの頭を押さえれば、疎ましく思われた。

 婚約は破棄され、体裁を保つ為に遠くの領地へ追いやられた。


 リカルドは彼女が片意地を張り生きるのを見て、自分を重ねて見ていた。自分もまた父の期待に応えて、領民の為に生きていたから。


 けれどその誇りを取り上げられたあの扱いに、皇族のそんな対応に憤った。

 リカルドはディアナを妻に望んだ訳では無い。


 ただ当時の皇族がこの件に関して、非常に神経質であった事は間違いなかった。リカルドのように勅命により婚姻を結ばれた者は何人かおり、それらは皆ディアナに好意的、或いは同情的な者たちだったのだから。


 彼らの誰かがディアナと婚姻を結び、彼女が皇都に留まる事を、当時の第二皇子が嫌がったのだ。彼がそう言えば当時の皇妃も一も二もなく同意した。


 リカルドとディアナの悲恋とやらも、彼らの中でただ二人が共有した時間が長かったというだけ。それが貴族の噂話に面白おかしく着色され広まったに過ぎない。そしてその噂を扇動したのも第二皇子だったようで。

 自分たちの幸せの為に、ディアナとリカルドを利用した。

 この二人こそが諸悪の根源であり、落ち込む自分を慰めてくれた元婚約者の姉との婚姻は、必然たる事だと。


 そうして皇族の体面とやらを優遇したご都合主義で、彼らは優秀な人物の人生を蔑ろにした。


 確かに辺境伯領は彼女に用意された最も良い条件であっただろう。あそこは国境の要であり国の重要拠点だ。

 しかしリカルドは、ここなら彼女も納得するだろうという皇族の勝手な意図が透けて見え、その考えに吐き気すらした。


 何故なら彼女の意思は何も尊重されなかったからだ。

 彼女は嫁ぎ先の嫡男に、既に挙式間近の婚約者がいる事を知らされていた。

 その上でうまく立ち回るようにとの指示を受け、有無を言わさず辺境の地へ送り出されたのだから。


 出立前にディアナは言った。

 何かを望まれる声を聞くのはもう嫌だと。それでも身体に染み付いた貴族としての矜持が、逃げてはいけないと自分を縛るのだと。


 自分に向けられた言葉ではない。それは彼女の元婚約だった皇子殿下に向けた、たった一度の泣き言のような強がり。


 皇子殿下はその言葉に満足そうに口元を引き上げ、新たな婚約者である元婚約者の姉と寄り添い、彼女の旅立ちを見送った。


 彼女なら大丈夫だと、自分たちの幸せを噛み締めながら。


 頭の中で都合の良い計算式を組み立てる。動くのは駒で、描く結果は自分たちの幸せ。

 その為に善く働けと、たった一人の女性の背中に全て押し付けて。


 栄誉の出立と称され、多くの貴族が見送りに駆り出される中、リカルドは痛ましいものを無理やり眼前に突きつけられ、その場に佇んでいた。


 表情は暗く、怒りと嫌悪に満ちた目は貴族にあるまじき事だし、その場にもそぐわなかった事だろう。けれどもその日は雨だった。


 嘆きの雨は参列者たちの表情をフードに覆わせ、一様にその姿を隠した。他の誰がどんな様子だったかなんて知らない。


 けれどそれがリカルドが皇族に見切りをつけた瞬間でもあった。


 それから少ししてから譲位があり、国中が新たな王に祝いの祝宴をあげる時も、リカルドの皇族への不信感は拭えなかった。

 貴族らしくなかった。

 ある意味リヴィアと似ているが、皇族相手では意味合いが違う。ひと昔前のあの頃では叛意とも取れる考えだ。


 それ程の自覚があった訳ではない。ただ皇族が嫌いになっただけだ。子どものような、ただのわがままなそれ。


 ◇ ◇ ◇


「それから何故と言ったな……」


 そう言って父はふと息を吐き、リヴィアを真っ直ぐに見つめた。


「お前に無関心だった事などないよ」


 その目が柔らかく細まり、リヴィアははっと息を飲んだ。


「大事にするという事が分からなかった。ただ、泣かせたく無かっただけだ……」


 貴族たちに関わらせる事も、貴族らしく生きる事も、そう産まれたのだから教育はしよう。けれど自分からは、それと正反対の感情しか伝える事が出来ないのではないか。


 産まれたばかりのリヴィアには乳母がいなかった。

 オリビアが自分で育てたいと言ったのを、リカルドが微笑ましく思い雇わなかったのだ。


 だが今になってそれに周囲が反対した理由がよくわかった。また、オリビアがどれ程大変だったのかを。


 母親がいない赤子は、毎朝毎晩火がついたように泣き続けた。その声が自分を責めているように聞こえ、胸を抉られては苛立つのを繰り返す。


 父親の自分がいくら抱いてあやしたところで、母親との違いは明らかで、自分がやるミルクなど全くもって飲まない。


 どうすればいいのかと、こちらの方が泣きたくなった頃、痺れを切らした執事の妻である女中頭がリカルドから赤子を取り上げた。


 リカルドは彼女が必死にミルクをあげるのを呆然と眺めた。助かったとすら思ったかもしれない。

 

 女中頭は直ぐに乳母を見つけなければと執事と話し合っている。オリビアはずっと母乳だったから、ミルクを飲ませるのが一苦労で、赤子も可哀想だと。


 二人の話を上の空で聞きながら、なんとか寝ついてくれた赤子に手を伸ばした。が、起こしてしまった時の事を考えれば、その手は自然と止まる。


 自分の子に触れるのが怖い。なんて情けない父親だろう。リカルドは自嘲する事しか出来なかった。



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