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72. それもまた昔のお話で



 振り返ると、年嵩のメイドが一人、ドアノブに手を掛けたまま呆然と立ちすくんでいた。

 大方使われていない部屋と勘違いをして、掃除でもしに来たのだろう。不手際にも程があるが。


「何かしら?」


 ライラは不機嫌を隠さずメイドを見た。

 メイドは口元を戦慄かせ、後ろ手でドアを閉めた。

 その動作にライラは訝しむ。


「ちょっとなんなの?」


 ノックも挨拶も謝罪も無い。不手際ではなく無礼以外の何ものでもない。後で辺境伯夫人にきっちり苦言を呈させてもらう事にしよう。


 睨みつけるライラに向かって、メイドは身振り手振りでもするような動きをしている。表情に歓喜を帯びて見えるのは気のせいか。流石に気味が悪くなって人を呼ぶべきか思案していると、メイドは突然話しかけて来た。


「ねえ、ねえ!」


「な、何なのよ?」


 じりじりと間合いを詰めてくるメイドに思わず後退る。


「あたし。あたしよ!」


「何?ちょっと!これ以上近づかないで!人を呼ぶわよ!」


 そう言われてメイドは慌てて歩みを止める。不敬を働いている自覚はあるのか、人が来るのは困るらしい。


「ねえ!あんたライラでしょう?」


 生憎とメイドに呼び捨てにされる名前は持ち合わせていない。ライラは不快感を露わにした。


「弁えなさい!わたくしが誰だかわかっているのでしょう?お前などが気安く話しかけられる身分ではないのよ!」


 そう言うとメイドは焦れたような声を出す。


「何言ってるの!何を言ってるのよ!ライラ!あたしの子!あたしはレファナ!あんたの母親なのよ!」


 そう言って自分に飛びついてくるメイドをライラは呆然と受け止めた。


「は?」


 思わず間の抜けた声が出る。


「ああ、お母さんを許してね!これからはずっと側にいるから!」


 そう言ってぎゅうぎゅうと抱き締めてくるメイドをライラは渾身の力で突き飛ばした。


「やめなさい無礼者!わたくしのお母さまはわたくしが生まれた時に亡くなっているのよ!そんなお母さまの名を騙るなんて、なんて性悪なメイドなの!厳しく罰してもらいますからね!」


 尻餅をついていたメイドは一瞬ポカンとした後、あははと笑い出した。


「あんた本当に何言ってんのよ、ほら見てごらん」


 そう言い、立ち上がりながら壁を差すメイドの指を思わず目で追ってしまった。

 そこには鏡の中に女性が二人収まっている。


「……」


 ライラは思わず喉を鳴らした。似ている……


 ご丁寧に解かれたメイドの髪は、質感から色まで同じもののようだ。顔立ちに背格好。それに……


「ふふ。目はあんたの兄さんに似てるでしょ?ね、あたしたちって誰がどう見ても親子じゃない?」


 勝ち誇ったようにライラの肩に手を置き、鏡に向かって顔を並べる、母と名乗るメイドに気が遠くなってくる。


「なんで、じゃあどうして死んだって……」


 母が生きてるなんて考えた事もない。でも、もし生きているとしたらそれを隠す理由とは何なのか。口元が戦慄く。これ以上は駄目だ。この話はこれ以上進めてはいけない。頭の中で警鐘が鳴る。


「悪かったと思ってるのよ。だからさっき謝ったじゃない。でもあの時はあたしも若かったし。ついひと時の恋に燃え上がっちゃったのよねえ」


 大して悪びれもせず女は鏡越しにへらりと笑う。


「だってあいつは当時皇城内で一番人気の男だったしさ。しかも陛下の侍従だったんだよ!背徳感も相まって二人揃って盛り上がっちゃってさあ」


 それであんた産んですぐ駆け落ちしちゃった。

 まるでパンにバターを塗るの忘れちゃった、とでも言われたような軽い言いようだった。


 確か母はアーサーの乳母だった筈だ。それなのに……

 当時の事を思い出し始めたのか、女は益々饒舌に喋りだした。


「でもさあ、勢いで知らない土地に逃げたものの、仕事も無いし、お金が尽きたら喧嘩ばっかになっちゃってさ。そしたらあいつ他の女と浮気したのよ!信じられる?平民の野良猫みたいな女だよ?もう愛想尽かして別れちゃったよ。本当見る目無かったわあ」


 そう言って盛大にため息を吐く女に、ライラの思考は未だ追いつかない。

 こんな女の話は聞く価値もないと頭の中で必死に警鐘を鳴らし続ける自分がいる。けれどライラは鏡越しに捕らえられたように、未だそこに並ぶ自分たちから目を逸らせなかった。


「仕方がないからその土地の富豪の家に入ったんだけどね。いい人だったんだけどさあ、死んじゃったんだよね。もういいおじいちゃんだったし」


 何でも無い事のように話す女にライラは目を見開いた。

 結婚していたのに浮気して駆け落ちまでしておきながら、別れた挙句また結婚したのか……


 ライラの様子はさして気にせず、女は唇を尖らせて尚も話し続ける。


「それなのに息子はケチでさ。もう親父はいないんだから出て行けって。あたしはこれまでも離れで大人しく暮らしてたんだよ?別に正妻様と顔を合わせるのなんてこっちも嫌だからさ。このままでいいって言ってるのに。出てけって聞かなくて一方的に追い出されちまった」


「……」


「酷い話だろう?正妻様は自分が政略結婚で愛されなかったから、ずっとやっかんでたんだよ。愛人の方が寵が深いのは世の常さ。そんな事も寛容に出来ないんだから、愛想尽かされるのも仕方がない事なのにねえ」


「……っ」


 自分は先程何を考えていた?こんな浅ましい事を平気で口にする女と、自分は……


「ねえでもライラ、お母さんはさあ。見れば分かると思うけど、そろそろ年齢的に限界なんだよ。分かるだろ?寄る年波には敵わないっていうか、あれは体力がいるし。大体男ってのは、若いばっかりの女の方がいいって言うからねえ」


 そう言いライラの肩を撫でる手にぞわりと悪寒が走る。


「お父さまは……っ。お父さまには会いに……謝りに行かなかったのですか?!」


 反射的に肩の手を払い除け、ライラはレファナに向かい合った。レファナの口から、ああと声が漏れる。


「あたしはどうしてあんな優良物件を手放したのかねえ。今だったら分かる。あの人があたしの運命だったって。でもあの人だって悪いんだよ。面白みの無い男っていうか、真面目くさっててさあ。当時のあたしには物足りなかったんだよ」


 またしても既視感のある言葉に頭を振る。やめて。やめて────


「つまりあたしが浮気したのはあの人のせいってわけ。それなのに、あたしが困窮して会いに行っても、あの人会ってもくれなかったんだよ?おっかしいよね。再婚もしないであたしが産んだあいつ(・・・)の子どもを大事に育ててるってのに、肝心のあたしには会いたがらないなんて……!本当なんで、なんでなの!」


 思い出したように急に激昂し出す女に身動ぎするも、レファナから吐かれた言葉の数々がライラを絡めとり、上手く思考が回らない。


「あんたが、あたしの娘らしく振る舞わなかったから!お母さんに会いたいって、ちゃんと言わなかったから!」


 そう言い目をぎらつかせ、レファナはライラに掴みかかった。


「あんたのせいじゃない!何とかしなさいよ!あんたのせいなんだから!」


 目を血走らせレファナはライラをがくがくと揺さぶった。


 

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