68. 幸せを願う
私たちは会うべきではなかった。
父が私たちを遠ざけた理由を、私は遅ればせながら知る事になる。
アンリエッタは嫌だと言った。
第二皇子殿下が結んだ縁は皇都の侯爵家の息子。
次男ではあるが、陛下の近衛であり、皇都で一二を争う程に、妙齢の令嬢に人気がある美丈夫だそうだ。田舎の男爵家であるアンリエッタには破格の縁談だろう。
それでも嫌だと言ったのだ。
ずっとずっと好きだったのだと。家族には皇族に逆らうようなら勘当すると、平民にすると言われてきたと。
長年待ってくれていた女性。二人だけの結婚式。ずっと一緒にいると約束した事。全てを捨てて自分を選んでくれた彼女を、私は抱き留めた。
そして彼女は平民になった。
◇ ◇ ◇
「私が生まれた頃の話だったな……」
呟くアーサーに辺境伯の眉がぴくりと動いた。
「話してくれて構わない。当時の皇族、いや貴族社会は貴族の義務に執拗に厳しかったと聞いている。けれど私たちが行った事は、自己都合を押し付け、あなた方の心を軽視した采配だった。申し訳無かった」
僅かに頭を下げるアーサーに目を細め、辺境伯は口を開いた。
「アーサー殿下がお生まれになり、当時の第二皇子殿下が臣下に降りました。あなたに皇族の陣の適合者たる資格を持つ事が分かりましたから。あの方は、次代の為にその力を一度皇族に返還されたのです。
皇族の陣を持つ者の伴侶には、魔術の素養のある者が選ばれてきた。ディアナはその必要性が無くなり、あの方の婚約者を外されました。
彼女はもっとその価値を発揮する場所に嫁がせるべきだと言われて」
机上の討論なんて言葉は良く話に聞くが、人を駒のように動かす、この気持ちの悪い行為は、そんな言葉では足りない。
国として最善を考え、この縁を結んだのだろう。だけど────
現王弟である、幸せそうな叔父の顔が思い出される。
◇ ◇ ◇
幼い頃から夫婦仲の良い二人だと思っていた。だが、今改めて二十年前の話を蒸し返して調べ直すと、叔父は当初の婚約者────ディアナと相性が悪かったと言う者が出てきた。
皇族として生まれついての、この独自の役割を、他国から嫁いで来た当時の皇妃は受け入れられず、適合者である次男を必要以上に甘やかして育てた。
妻の嘆きに皇帝も負い目を感じた為、皇太子である長男が次期皇帝として育てばと、妻の次男への溺愛を黙認した。
いずれ皇室に入るべく育てられたディアナは、隙なく完璧な女性だった。
本来なら皇族として良い婚約者だと、喜び迎えらる筈だった。けれどその相手である叔父は、甘やかされすぎて、お世辞にも皇族の意識は高いとは言えなかったらしい。
だがディアナにとっては悪い事に、彼女の婚約者は決して悪人では無かった。
見限れなかったのだ。
婚約者というよりは姉のように、口うるさい家庭教師のように。皇族の役割を滔々と説いて聞かせた。
そんなディアナに皇妃はいい顔をしなかった。自分が可愛がる息子に厳しく接する婚約者。嫌っていたと言っても過言ではない。
生家からは婚約者をしっかり支えるようにと、しかし義理の母となる皇妃からは、その様をまるで悪行のように罵られていた。
ディアナが心身を擦り減らし、忠義を全うしている様を見かねた者が陳情を申し立て、ようよう皇帝が重い腰を上げた時には、彼らの関係は修復が困難なものになっていた。
そして叔父は新たな皇族が誕生するかもしれないと知った途端、すぐさま魔術の返還と、ディアナとの婚約破棄を望んだという。
◇ ◇ ◇
赤子は生まれるまで性別は分からない。また、生まれた後に後継の適合検査が実施出来るまで、三か月は要した筈だ。
それでも叔父が譲らず、祖父王もそれを認め、直ぐにディアナの嫁ぎ先も見繕うように動き出した。
息子の言葉を受け入れたからではない。皇族としての息子を見限ったのだ。
だが臣下に降り、元婚約者の姉を娶った叔父は幸せそうで、また思いの外に優秀だった。
◇ ◇ ◇
それは救いだったのだろうか。
いっそどこまでも無能でいてくれたら。ディアナが押し付けられた無情も、自分のこの勝手に覚える葛藤も、少しは和らいだのだろうか。
アーサーはふと息を吐いた。
以前母から久しぶりの妊娠で、気付くのが遅れてしまったと聞いた事がある。
その少し前まで体調も崩し、月のものも不順だった為に、上手く妊娠期間が測れなかったそうなのだ。
だからこそディアナの婚約者候補であったゼフラーダ家は待たされたのだろう。恐らくディアナの輿入れ候補の筆頭であっただろうから。
アーサーの誕生日の度に、無事に生まれて本当に良かったと嬉しそうに話す母に面映い思いをしていた。だがそんな自分の誕生に割りを食った者たちがいると知り、それが理由で罪が生まれた事に、自嘲したい気分になる。
「私が言うのもおかしいでしょうが、ご自分を責めないで下さい。生まれてきた子どもには、当たり前ですが何の罪もない」
ヒューバードの事だろうか。アーサーは俯けていた視線を上げた。
「ヒューバード殿があなたの子というのは間違いが無いのですね」
「ええ」
私とアンリエッタの子です。小さく呟いた辺境伯の目はただ静かだ。
「実はその陳情の記録は探しても残っていないのです。これは推測ですが、恐らく陳情者はエルトナ伯爵では?」
「ええそうです。記録が無いのはエルトナ伯爵も当時の陛下から、縁談を勧められておりましたから。妙な噂もありましたし、無かった事にしたかったのでしょう」
「辺境伯夫人とエルトナ伯爵の恋愛ですね」
「ええ、ディアナから恋した相手がいると聞いておりますし、私も間違いないとは思っておりましたが、どうやら片恋だったようで……伯爵は、友情を以て接していたと」
泣きそうに顔を歪めた辺境伯を、アーサーは思わず呆然と見つめた。
せめて伯爵もディアナを想っていてくれれば良かったのにと。そんな風に聞こえる泣き顔。
「私は、彼女が輿入れしてきて、しばらく顔を会わせられなくて、ずっとアンリエッタと共に別邸にいたのです。本来なら逆だったのだと今なら分かります。だが、流されてしまう自分自身が恐ろしく、向き合う事が出来なかった。強行してきたディアナを受け入れられなかったのです」
辺境伯がディアナを思い返したのは、アンリエッタが身篭ったからだった。幸せだと思ったからこそ、彼女と向き合わなければならないと、侍従に命じてディアナの身辺を調べさせた。
彼女は女主人として屋敷を切り盛りし、堂々と振る舞っていた。屋敷で領地経営に関するものも全てこなしている。これからの事についても話し合いたかった。けれど、
「旦那様お帰りなさいませ。早速ですがお話があります。外腹の子の事ですが────」
自分がディアナを調べたように、ディアナも自分を監視していたのだろう。思わず息を呑みこんだ。
◇ ◇ ◇
屋敷の中について、領地経営について、屋敷の者に聞きながら学んでいる事を話してくれた。屋敷内の様相を整えた事。この地の慣わしを知りたい事。それから自分も子どもが欲しい事────
驚く私にディアナは鋭い目を向けて答えた。
「正妻が子を成さず、愛人だけ子を持つなど許されない事でしょう」
皇都で幼い頃から期待され、必死で努力し続けた結果、それらを全て否定され、用済みとばかりにそこから追いやられて来た人。
それでも誇り高く、媚びる事も強請る事もしない。
ただ、今までそうであったように、正しくあろうとするだけだ。
愛してあげたかった。
受け入れて家族となりたかった。
自分が出来る事は何だったのだろう。
どうすれば良かったのか。これが正しい事かどうかは分からない。ただせめて、彼女の子どもがゼフラーダを継げれば良いと思った。
けれど自分たちの間に子が成される事は無かった。




