66. 告白
またしても既視感。
リヴィアはのしかかっていたイリスの重さが急に失せた事で、息を大きく吸い込んだ。横にふき飛んで転がるイリス。そして視線を滑らせれば足。だがその先にあったのはヒューバードでは無くて。
「アーサー殿下」
圧迫されるような息苦しさに、声を発するのすら難しかった筈なのに、するりと出てきた言葉が彼の名前だった。
見た事もない形相でイリスを睨み、アーサーはリヴィアを労るようにそっと抱き起こした。そのまま自分の上着でリヴィアを包む。
「夫人と私兵。息子を拘束しろ」
入り口付近からディアナの私兵以上の兵士が雪崩れ込んで来て、それぞれ拘束用の魔道具で捕縛されていく。
見ると兵の中にはフェリクスとヒューバードもいて、辺境伯の拘束を解いていた。
アーサーの顔がくしゃりと泣き顔になる。
「すまないリヴィア。遅くなって」
そう言ってぎゅうと抱きしめるアーサーの体温が心地よくてリヴィアは目を閉じた。
シェリルの泣き声がずっと自分の名前を呼んでいた。
◇ ◇ ◇
ゼフラーダ辺境伯の私室は屋敷の端にあり、日当たりも悪い場所にあった。
中の調度品も古く、手入れもいまいちで、ここは誰も使ってないと言われた方が納得のいくその様子に、アーサーは物寂しさを覚えた。
教会内でのひと騒動の後、捕縛した者たちは一旦辺境伯の屋敷に連行した。その役割から、ここにはそれ用の部屋が用意されているから。
けれどアーサーは辺境伯を連れてここへ来た。少なくとも彼は今のところ犯罪に手を染めてはいない。
ただあの場の物的証拠と、彼の証言次第では今後罪を咎められる可能性はあるけれど。
彼は居室で向かい合い、静かな眼差しでテーブルの上の書類を見つめている。こうしていると、彼が無能だの腑抜けだのと言う噂はどこからきたのだろうと疑問しか持てない。
彼ほど慎重で周到な人物はいないだろう。長年ずっと役立たずの辺境伯を演じ続けてきたのだから。
よくよく調べれば辺境伯の悪評はディアナと結婚した辺りから始まった。
田舎だからだろうか、聞き出すのに苦労したが、昔の辺境伯を知っている人物たちは、口を揃えて昔は賢明な子だったと答える。中にはディアナを遠回しに毒婦と評する者もいたが、彼女の生家や辺境伯家を敵に回そうとは誰も思わなかったらしい。
アーサーは目の前の人物を観察し、徐に口を開いた。
「本当によろしいのですか?ゼフラーダ辺境伯。認めればあなたも罪に問われます」
その言葉に辺境伯は自嘲気味に笑みを零した。
「構いませんよ。元より家督はヒューバードに譲るつもりでしたから。すでに全ての手続きを済ませて国に申請済みです。……そうそう、あれは長らく皇都の紅玉の塔で殿下の部下として働いていたのですが、知っておりましたか?」
例え家長が罪を犯してもこの家は断絶出来ない。国宝の結界陣があるからだ。思えば危うい制度だと思う。
けれどそれほどその陣の価値は高いのだ。たとえ壊れても再生を望むこの国では。
アーサーは戯けてはぐらかす辺境伯にひたと目を合わせ、些か逡巡した。本来なら聞くべきでは無いのだろう。でも、それでも聞きたいと思った。
「申し訳ありませんが、色々調べさせて頂きました」
「ふふ。勿論存じておりますよ。皇族が正式に動き始めたこの時期に、我が家の確執も終わらせてしまおうと思いました」
アーサーが派遣していた兵士たちの動きは、恐らく辺境伯に把握されていたのだろう。今の窮状を知られたく無いからでは無く、守ろうとしていたのだと思う。
「イリス殿はあなたの子では無いそうですね」
アーサーの問いに伯はのろりと顔を上げ、どこでそれをと口を開いた。
「あなたの古参の忠臣に問い質してやっと」
伯はふっと笑うように息を吐き、頷いた。
「ええ、本当に人の口に戸は立てられないとは良く言ったものですね。そうです、イリスは私の子では無い。ゼフラーダには必ず血縁者が繋ぐ義務がある。そうでなければ国宝の結界が壊れてしまいますから」
その為の希少な魔術────親子関係の証明の陣。
口を割ったのも彼だった。元ゼフラーダ家の主治医だが、今は引退し領地の隅で怯えるように暮らしていた。
何故。と聞いてもいいのだろうか。何故ならディアナはいくら調べても毒婦では無かった。
貞操観念もしっかりしていたし、領地経営に結界の管理も善くやっていた。
表向きはそうでも、実は裏では完璧な悪女なのだとしたら、もうそれはアーサーの完敗でいいだろう。だからこそ知りたい。優秀な領主と賢母となる筈だった二人に、何が起こったのか。
「ゼフラーダ辺境伯……私は、あなたは優秀な人材と考える。今後の事もある。だからどうか話してくれないだろうか。決して皇族批判とは考えない」
その言葉に辺境伯は瞳を揺らし、諦めたように笑みを溢した。けれどその目はどこか昏く、彼の心の澱が深い事を物語っていた。
「殿下は本当にしっかりと私どもについて調べてきたのですね。そうですね、始まりは二十年以上前になりますでしょうか」
そう言って目を細めた彼の眦には、年月を思わせるように皺が刻まれていた。




