63. 隠密
夜に女性の一人歩きは危険である。であるから、日の高いうちに用は済ませよう。リヴィアはいそいそと身支度を整えて、慌ただしい人の波に紛れて辺境伯の屋敷を抜け出した。
我ながら見事なものだ。こっそり借りた侍女のお仕着せに身を包み、堂々と歩けば案外誰もなんとも思わない。
しかもここはリヴィアの顔を知る者などほぼいない。日除けの振りをしてストールを頭から被れば、あら不思議。ただのお使い侍女の出来上がりだ。
「リヴィアさん。本当に行くんですかあ?」
「一人でいいからあなたは帰っていいわよ。危ないかもわからないし」
「そんな事聞いたら余計に一人で行かせられないでしょう!」
泣きながらついてくるシェリルにリヴィアは困った顔を向けた。
「あなたにはフェルジェス卿がもし部屋を訪ねた時に、対応して欲しかったのだけれど」
「それでもしリヴィアさんが部屋にいないと知られたら、私どうなっちゃうか分からないじゃないですか!」
「どうもならないわよ。怒られるだけよ」
「軽く考え過ぎ!大体アーサー殿下から大人しく待っているように言われてるのに!」
「あら、わたくし大人しいでしょう?黙ってこっそり様子を見てくるだけだもの」
屁理屈だ!そういう意味じゃない!嘆くシェリルをやり過ごし、領地の教会に向かう。
シェリルには悪いが、やはりじっとしていられなかった。
結界陣については来る前に可能な限り勉強をしてきた。出来る事ならアーサーの役にも立ちたいし、何となく辺境伯夫妻の様子も気になった。
アーサーが不在の時に何が起こってもいいように、せめて結界陣に保護の陣を掛けておきたい。少なくとも現状維持をしておけば、魔術院の魔道士が来た時に修繕に取り掛かり易い。
一度壊れた陣は脆い。だからなるべく早く。砂のようにはらはらと散り、無くなってしまう前に保護を掛けたいのだ。
自分に出来ることなんて、きっとこれくらいしかないから……思わず溢れそうになる自嘲の笑みを飲み込み、リヴィアは教会を睨みつけ……ぽかんと口を開けた。
でっか!城である。
遠目で小さく感じられたのは、掘り下げた地に建てられ、上部だけしか見えなかった為だ。
シェリルと二人、木々が囲む崖から這いつくばって下を見下ろす。
塔が何本も建っている。鈍色に輝く一面の壁は堅牢で、しかし厳かに気品漂う外観だ。
さ、流石国宝の陣の管理教会。
なんとなく孤児院くらいの規模を想像していた自分が恥ずかしくなる。だが……
「見張りはいないのかしら?」
流石におかしく思う。確かアーサーが立ち寄った筈なのだから、見張りに一人二人置いて行ってもおかしくない。人手が足りてないのだろうか……
首を捻っていると、シェリルが見てきますと先に進み出した。
「ちょっと!不用意に近づくものではないわ!」
「大丈夫ですから、リヴィアさんは大人しくそこで待っていて下さい!」
びしりと突き出す指からは、一つくらい言う事を聞けという強い意志が見てとれて、リヴィアは思わず頷いた。
シェリルはそのまま、木を目隠しに、さかさかと忍び歩いていき、あっという間に見えなくなった。
円を描くように移動しているから、もう少しすればまた視界に入るだろうが、見えないと心配になるものだ。
リヴィアはじっとシェリルの様子を気にしていた。だから背後から近づく者がいるなんて気づきもしなかった。
「馬鹿な人ね。婚約者に大人しくしているように言われたというのに、こんなところで這いつくばっているなんて。ま、お似合いだけど」
声と共にくすりと嘲笑めいた笑いが聞こえ、リヴィアは驚き後ろを振り返った。
けれど、強い力で身体のバランスを崩され、崖から飛び出すように転げ落ちた。
視界の端で見事な赤毛が揺れているのが見えた。




