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54. 話の通じない人



 結局アーサーは食事は部屋で摂ると話をつけた。

 歓迎を蔑ろにするのではと、それでいいのかとは思ったが、こっそりと感謝した。

 正直リヴィアも疲れていたので食欲はあまり無い。だが何かお腹に入れた方が寝つきやすいかと、スープだけ頼んで与えられた部屋に籠る事にした。


「疲れたわ」


 令嬢らしからぬベッドダイブを決め、リヴィアはシーツに頬擦りした。もうこのまま眠ってしまおうか……


「リヴィアさん、私も疲れたけど仕事だから荷ほどきやってるんですよ。リヴィアさんもあともう少しだけシャキッとして下さい。消灯後に目に余るような寝相でいても誰も文句を言いませんから」


「……そりゃあそうでしょうよ」


 リヴィアは半眼でシェリルを見てぼそりと返事をした。自分の寝相など気にした事も無いが、研究室で取る仮眠で何かしら失態を冒していたのだろうか。どことなく心配になってリヴィアはシェリルを窺い見た。


「せめてお食事を済ませてから超怠惰生活を送って下さいませ」


 荷物整理の鬼と化したシェリルの様子にこれ以上絡む元気も無く、リヴィアは夕飯は冷めても良いので置いておくように頼み、先にお湯を使わせてもらう事にした。


 ◇ ◇ ◇


「むふぅ……」


 謎の擬音を口にして、手足を伸ばしバスタブの中で寛ぐ。

 流石は辺境伯家のバスルーム。客間の個室にも手を抜いていない。実に良い仕事をしているものだ。

 白基調の可愛らしい小部屋を眺めながら、うんうんと一人頷き夫人の様子を思い出す。


「綺麗な人だったな……」


 お父さまは美人好きなのね。

 ふとバスルームに置いてある鏡を見る。中を覗き込む勇気は無いが、そこにいるのは美人ではない。でも目がお母さまに似ているらしい。お母さまの目は水色だったのか。


 思えば家には家族の肖像画は一枚も無い。大きいものも小さいものも。……水色を思わせるのは、庭の花壇にあったサナの花くらいだった……。

 ふとアーサーと手を繋いで歩いた事を思い出し、赤くなる顔をバスタブに沈めた。


 魔術院に入ってからリヴィアは母について知った。

 彼女は稀代の魔道士と呼ばれ、ウィリスと肩を並べる優秀な研究者だったらしい。


 ウィリスが現代に多くの魔道具を供給できたのも、彼女が歴史を紐解き、古代の魔術の謳い手となったからだと。


 リヴィアはふと口元に笑みを浮かべた。母はリヴィアの誇りだった。同じく魔術院に入ったのは偶然だったが、自分の母の功績を聞いた時、何より誇りに思ったし、だから彼女の名に恥じぬよう努力を続けたのだ。


 尤も父は母の話なんて何もしてくれなかったが……。口元に浮かべた笑みを、今度は自嘲の形に歪める。


 母を蔑ろにした理由を作った女性だと、もっと嫌悪するかと思っていた。

 自分の情が薄いのか、母がもうこの世に無く、思い出と呼べる物が何も無いまま育ったからか、父に関心がないからか……理由は良くわからない。


 リヴィアは目を閉じた。今はただアーサーの任務の邪魔をしないよう振る舞うだけだ。そっと誓いを立て、リヴィアはざばりと音を立ててバスタブから立ち上がった。


 ◇ ◇ ◇


 夕飯を済ませていないからという理由で、夜着ではなく部屋着にしておいて良かった。二間ある客間の居室で寛ぐ客人の横にシェリルが強張った顔で控えている。


 欠伸を噛み殺しながらも佇んでいるセドを見るに、シェリルに呼びつけられたのか。いずれにしても感謝するべきだろう。リヴィアは淑女の笑みを顔に貼り付けた。


「こんばんは。ゼフラーダ卿。このたびはどのようなご用件で?」


 ゆったりとソファに腰掛けるイリスにリヴィアは何の感情も灯らない目を向けた。


「あなたと僕は婚約者同士なのでしょう?婚約者の来訪を喜ばない男なんてこの世におりませんよ」


 綺麗な笑みでリヴィアの手を掬い取ろうとするも、リヴィアはすっと後ずさった。横でシェリルが威嚇する猫のように歯を剥いているのが見える。


 リヴィアはイリスに視線を戻し、強い意思を持って口を開いた。


「わたくしの婚約者はアーサー殿下です。そもそもゼフラーダ卿のご希望により破棄された婚約。思い出して頂けたのなら、お戻り頂けませんか?」


 リヴィアはすいっと扉を指差した。

 取り繕っているつもりらしいが、彼は笑顔を貼り付けているが、目が笑っていない。


 手紙に書いてあった通り、彼にとってははリヴィアは淑女らしからぬ女性であり、貴族女性としての価値などないのだろう。だがそう跳ねつけるとイリスは驚いたように首を傾げた。


「僕が気に入らない?」


「は?」


「あの報告書は間違っているようだな。目も悪いみたいじゃないか」


「……」


 ナルシストがいる。


 何やらぶつぶつ呟くイリスにリヴィアは胡乱な目を向けた。


 イリスは優男風の美形だ。色白の肌に細く長い指先。輝く金色の髪は肩より少し長く緩く癖がついていて、自分の瞳の色である若葉色のリボンで結んでいる。


 優美な風貌は母親似なのだろう。────が、辺境伯とは国境の要を預かる人物である筈。


 何というか……頼りない……。


 いや、しかし人は見た目で判断するべきじゃないし、見た通りとも限らないけれど。


「ゼフラーダ卿」


 声を掛けると何やら考え込んでいたイリスが顔を上げる。なんだいと細める目は相変わらず笑っていないようだ。リヴィアもまた口元だけ笑みを作りイリスを見る。


「お帰りいただけます?」


「何故だいリヴィア」


 何やら勝手に呼び捨てにされた。だがリヴィアが不快に思う以上に、イリスの顔が訝しげなのには納得がいかない。


「僕たちは間違えてしまっただけだ。ねえ、僕が君のものになるんだよ」


 すかさず詰め寄り、先程逃したリヴィアの手を取り握りしめる。ぎょっと身を竦める間にイリスは芝居がかった仕草でリヴィアの目を覗きこむ。


「まず僕たちには埋められなかった時間を取り戻すべく、多くの語らいが必要だと思うんだ。それに」


 取り戻したいのは自分の手だ。リヴィアは抗議の声ををあげたかったが、続くイリスの言葉に思わず顔を向けてしまう。


「アーサー殿下は未だにライラ嬢を連れ歩いているようじゃないか」


「……」


 自分はどんな顔をしたのだろう。ただイリスの瞳が満足そうに細まるのが、その問いの答えを物語っているように思えた。


 黙り込むリヴィアにイリスは満足そうに口角を上げる。


「仕方の無い事だ。ひき……箱入りの君には理解出来ないかもしれないけれど、上流階級の人間ほど心休まる愛人は必要なんだ」


 今引き篭もりって言おうとした……というか、どの目線で言っている話なのか。

 胸の奥に溜まる不快感に耐えるように、リヴィアは奥歯を噛み締めた。



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