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4. 余計な一言



 先程女性が殿下と言っていたのを思い出す。

 淡い金髪に金の刺繍がされた黒のフロックコートがよく似合っている。すらりと高い背に皇族の特徴である整った面差し。思わずじっと観察していると、探るようにリヴィアを見ていた海色の瞳と目が合う。

 なんとなく罪悪感から後ろに下がると、肩が何かとぶつかった。

 そろりと首だけ斜めに巡らせると、冷然とした態度の男性が目に入る。燃えるような赤毛に榛色の瞳。……そして感情を表さない白磁の顔は、何とも綺麗に整っていた。

 前門の美丈夫後門の美形……東の国にそんな言葉があったような気がする……。


「申し訳ありません」


 思わず妄想にふけっていると、赤毛の男性が淡々と答える。

 これはリヴィアにではなく、目の前の金髪の青年────アーサーに対しての言葉だ。

 金と赤。黒髪のリヴィアとはなんとも対照的な明るい色の二人だなとどうでもいい事を思いつつ、リヴィアはすっと背筋を伸ばし、淑女の礼をとった。


「わたくしは今日の夜会のホストのフォロール子爵の姪のリヴィア・エルトナと申します。失礼ですが、お二人はこちらで何を?」


 アーサーとは先程挨拶をしたが、自分など覚えてもいないだろう。とりあえず知らない振りで通す事にして、何もやましい事などしていないのだと見えるよう、淑女の微笑みを顔に貼り付ける。


「勿論覚えていますよ、リヴィア嬢。それであなたには何をしていたように見えた?」


 ふ、と鼻で笑うように返されて、そのまま固まる。

 酷い人────。リヴィアは口の端を引き上げた。


「そうですわね。ご令嬢を虐めていたように見えましたわ。紳士が二人掛かりで、失礼ながら情けないですわね」


 過ぎた物言いにアーサーは目を丸くしている。が、思わずといった風に吹き出して笑い出した。


「流石は婚約破棄されるだけの事はあるご令嬢だ」


 リヴィアは喉の奥がぐうっと唸るのを何とかやりすごす。

 何とも遠慮の無い人だ。

 かと言って売り言葉に買い言葉で、これ以上皇族相手に礼を失すれば、罰を受けるのはリヴィアだけでは済まないだろう。


「おや、言い返さないのか?」


 険のある目を向けていると、アーサーは意地悪な笑みを向けてくる。


「遠慮しなくてもいい。私は忌憚の無い意見が好きだし、飛び入りで参加した夜会でそこまでマナーにうるさくは言わないよ」


 ……言質は取ったと思ってもいいだろうか。

 リヴィアはにっこりと微笑んだ。


「ええ、勿論わたくしも気にしておりませんわ。そもそも、わたくしのはただの婚約解消で、殿下の傷心の失恋とは程度が全く違いますし。傷をえぐるようでとても言えませんが、女性に言い寄られて、他の女性の名前を出すなんて恥知らずもいいところですわ。正直先程のご令嬢は男性を見る目は無いかもしれませんが、意気地のない、いつまでも女々しい男に捕まらなくて僥倖ですわよね」


 ここまで一気に話してまた目を丸くしているアーサーに、いくらか溜飲が下がる。ここで止めておけば良いものを、つい余計な一言が口から続く。


「まあ、殿下もそうやってずっと一人で唯一の女性を愛し続けて、あのご令嬢ももっと素晴らしい男性と巡り会って、お互い幸せになるんですから万々歳ですわよね。あら、傷をえぐるどころか、ただの幸せの提示でしたわ」


 うふふとしめくくったら、流石にアーサーはふと表情を無くした。

 しまった。と、思わず口元に手を添えるが、飛び出した言葉はもう戻らない。


「……確かにそうなるのは困るな」


 僅かに下がった溜飲も、ふと細められた不穏な眼差しに思わず怯みかき消される。


 ……やはり言い過ぎただろうか。忌憚の無い意見が好きと言っていたのに。嘘吐きだ。


 後ろに下がろうと身動ぎすると同時に、アーサーの腕がリヴィアに向けて振り下ろされるのが見え、はっと身を竦めた瞬間には、彼の手がリヴィアの目の前で差し出されるように止まっていた。

 ぱちくりと目を瞬かせるリヴィアの手をそっと取り、甲に口付けを落とす様を見て、慌てて手を引っこ抜こうとした。が、思いの外強く握られており、自分の腕なのに取り返せない。

 焦るリヴィアにアーサーは余裕の笑みで、目を細めて口を開いた。


「改めましてこんばんは。私はアーサーといいます。リヴィア、もし貴方が誰のものでもないのなら、私に貴方の時間をひと時いただけませんか?」


 低く艶めいた声で囁かれ、思わず固まる。間近でじっと見つめてくるアーサーの海色の瞳に、ジワジワと顔が熱を持つのが自分でも分かった。


 社交をしていないリヴィアは男性に免疫なんてない。


 ダンスだって、父や叔父の知り合いと、若い男性ならせいぜいレストルと踊るくらいの経験しかない。

 それでも、アーサーの瞳の奥にはどこか試すような色が見えた気がして、リヴィアは奥歯をぐっと噛みしめ努めて冷静さを取り戻す。

 そもそもリヴィアは婚約破棄された令嬢で、アーサーだって知っている筈だ。こんなものは社交のうちにも入らない茶番だと必死に言い聞かせていると、


「……リヴィア?」


 海色の瞳に覗き込まれているだけなのに、息が止まりそうになる。


「わ、わたくしは婚約破棄された令嬢なのです!ご存知でしょう!ですが……こんなところでダンスなどいたしません!」


 淑女らしい笑顔もできず、取り乱した話し方しかできない。それでもここでアーサーの要求を呑み踊ってしまえば、取り返しのつかないものに捕まりそうで、リヴィアは必死に抵抗した。

 アーサーはリヴィアの手を握り直して引っ張り、腰をぐいと引き寄せた。


「ではリヴィア。広間までお連れしても?」


 その言葉にリヴィアはひっと息を呑む。今日はレストルにエスコートされただけで一日ご令嬢方からの視線が痛かった。挙句に婚約破棄の話まで出された位だ。人気の高い紳士が近くにいるだけでどうなるか、リヴィアは身をもって知っている。慌ててぷるぷると首を横に振る。


「ではここで一曲踊っていただけますか?」


 しっかりホールドされた状態で、耳元で低く囁かれ、今度は憤死しそうになる。

 世の貴族女性はこんな事に慣れているのか。なんて尊敬に値するのだろう。自分など、あの雑多な研究室で、工具に囲まれ秘書にどやされ、室長から謎の期待を受けながら魔道具を作っているのがお似合いだ。そのまま頭にキノコが生える自分の妄想にふけっていると、アーサーの唇が耳を掠めて身体が跳ねた。


「ねえ、私の腕の中で何を考えているのです?」


 声にならない悲鳴が喉の奥で跳ね、妙な音が出そうになるのを必死に堪え首を横に振る。


「……ちょうど次の音楽が始まりそうです。このまま私に身を任せて」


「あの、お待ち下さ……っ」


 するりと月明かりの下に連れ出され、アーサーに導かれ音楽に合わせて滑るように踊り出した。


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