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39. 欲



 先程夜会で挨拶した時、随分冷たい印象の女性だと思った。


 真っ直ぐな黒髪に冷たい湖水の様な瞳。

 物静かな佇まいはどこか近寄り難く見えた。

 父親であるエルトナ伯爵に似ているのだろう。レストルもそうだが、あの家系は黒髪黒目が多く、雰囲気はどこかの為政者のように厳かだ。


 ただ彼女の場合、瞳だけは母親のものなのか、印象的な綺麗な水色をしていた。僅かに微笑んだ挨拶を交わしたが、目は変わらず冷たく凍てついていた。


 一瞬何かしただろうかと思わず自分を省みるが、今日が初対面だ。そんな筈は無い。機嫌でも悪いのだろう────が、珍しい……。


 思わずそう思う。自分で言うのも何だが、余り女性にそういう扱いを受けた事が無い。

 軍務に携わり平民に混じって一兵卒を装っていても、身分問わず女性に言い寄られてきた。


 今も婚約者のいるレストルの妹のサララでさえ興味深そうな視線を向けている。そういえばこの従妹殿にも婚約者がいたらしいが、破棄されたのだとか。


 まあ仕方無かろう。こんな無愛想な女性じゃ一緒にいても疲れるだけだ。


「リヴィア、飲み物いるかい?」


 途端リヴィアと呼ばれた令嬢の表情が驚きに変わる。


「お兄様!首にグラスをくっつけないで下さい!子どものいたずらと同等ですわよ!」


 アーサーは目を丸くした。


「それは良かった。リヴィアは子ども好きだろう?」


「……お兄様は子どもじゃありません」


 楽しそうに笑いかけるレストルにリヴィアはむくれた顔で返事をしている。


「それもそうだ。じゃあ一曲踊ろうか。大人として、主催者らしく場を盛り上げなくてはね」


 リヴィアは及び腰になり逃げようとするが、レストルにがっしりと捕縛され会場の中央に連れて行かれてしまった。


 アーサーは二人の背中を半ば呆然と見つめる。


 何だろう今のは……?


 冷たく張り詰めたようなリヴィアの表情があっさり崩されてしまった。自分は挨拶をしただけだったが、何の印象も変えられ無かったというのに。何だか負けたような気分になるのは気のせいか……。


「あの、殿下。宜しければ踊っていただけませんか?」


 ふと見ると、サララが気恥ずかしそうにアーサーに話し掛けている。興味深そうにしているようでも、分をしっかりわきまえているのが見て取れる。理知的な瞳がこちらを見つめていた。


 流石フォロール子爵は娘の教育もしっかりしている。婚約者の前で貞操を疑われるような真似はしない。彼女の婚約者も近くで仕方なさそうに成り行きを見守っていた。


 本来なら主役の一人であるフォロール夫人を誘うべきだが、レストルの話では数日前から足を痛めているらしい。だが折角来たのに一曲も踊らず帰るのも盛り上がりに欠けるだろう。


「失礼しましたサララ嬢。あなたの婚約者からの視線が怖くてお声を掛けあぐねていたのです。私でよければ是非」


 サララの婚約者に目礼し、ダンスホールへと進んで行く。

 自然と目に入る二人に視線が向いてしまう。

 兄妹みたいじゃないか。


 レストルも女性に勘違いされないよう、普段は社交用の仮面を被って過ごしている。

 それが今は楽しそうに従妹をからかいながら寄り添っている。だが色を感じるような触れ合いには見えない。


 安堵が込み上げたものの、思わぬ自分の心境に首を傾げる。


「光栄ですわ。私一度でいいから殿下と踊ってみたかったのです」


 下を向くとサララが嬉しそうにニコニコと笑っている。邪気の無いこの笑顔は確かに癒される。サララもライラのように社交界では人気がある。愛らしいという表現が似合う二人だが、意味合いは少し違うように思う。


 この妹のように親しみを向けられる雰囲気は男女共に愛される事だろう。だが異性としての好意となると踏み込みづらい。


 けど、わかってやっているのだろうなと思う。何せレストルの妹だ。気を持たせ、火をつけ遊ぶような真似はしないだろう。賢いのだ。


 そういう意味で貞操観念がしっかりした女性として人気があるのだろう。なるほど彼女の婚約者も堅実な人間だ。結婚後も二人はただの政略婚ではなく互いを尊重した夫婦となっていくのだろう。

 仲の良さそうな様子からその事が良く分かる。つまり信用に足る人物だとアーサーは思った。


「ありがとうございます。あなたの噂はかねがね。愛らしい花が婚約してしまったと社交界からは嘆きの声が尽きないそうですよ」


「まあ」


 嬉しそうに笑いながらもダンスは優雅だ。それにしても身長差があるものの、上手く踊れている。小柄なサララと背の高いアーサーでは少し踊りにくいものの、流石社交界の花。しっかりついてこれている。


 ふと笑うとサララの頬が染まった。そして背後から突き刺さる視線を感じる……

 レストルと婚約者から口説くなよとつまらない牽制が来ているようだ。笑っただけだろうに……


 すっとレストルに寄り添っているリヴィアを横目で見遣る。

 そちらの方がくっつき過ぎだろう。もっともレストルは女性除けに狙ってやってるようにも見えるが。


「殿下に好かれる方は幸せですわね」


 ダンスが終わりサララがにっこりと話し掛けてきた。

 そうだろうか。


「どうでしょう……サララ嬢だから言いますが、私は長年想いを寄せていた女性に袖にされた身。幸せを感じていてくれていたとは思えません」


 その言葉にサララはまあと目を丸くした後、内緒話をする様に声を潜めた。


「私もここだけの話ですが、殿下はライラ様をとても大事にされていたと思いますが、求めていたようには見えませんでしたわ」


 思わぬ言葉にサララに視線を落とす。


「少し言葉が違っていたようですわね」


 思案顔で首を捻り顎に指を添えて考えこんでいる。


「単に相手の幸せを望むのは至高の愛だと思いますの。でも、相手をずっと好きでいると願望が含まれますでしょう?相手を通して自分の中の知らなかった面を知り、苦しい思いもして。でも好きな事をやめられない」


「……」


「欲しいと思うのが恋ですわ」


 サララは自分の言葉に満足気に頷いている。


「だから殿下が恋をされる方は幸せだと思いますの。だって殿下の微笑みってとても素敵でしたもの。私の婚約者の次に」


 そう言ってサララは片目を瞑り、手を振って婚約者へと寄り添った。


「恋……?」


 恋なら皇城内に飽和している。貴族の楽しみの一つで都合の良い暇つぶしな筈だ。でも……


 求めるというのは何だろう。欲しいとは。


 視線を滑らせれば凛とした横顔が目に入る。透き通る湖面のような瞳。


 その静謐(せいひつ)な水面に指を落とし、波紋を作りたいと……そんな考えが頭をよぎった。



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