32. 変わる評価
しばらくして、リヴィアを取り巻く状況は、徐々に、けれどわかりやすく変化して行った。
婚約破棄された哀れな令嬢からアーサー第二皇子殿下の婚約者に。
魔術院勤めの変わり者扱いから、優れた知識を有したエリック皇子殿下の家庭教師に。
あのウォレット・ウィリスの弟子で、稀代の魔導士オリビア・セイデナルの娘。
全てがリヴィアを試しているように好意的であり、お茶会や夜会への誘いの手紙が山のように届くようになった。
皇族の名は反響が凄くて怖い。
リヴィアはせいぜいこの荒波に攫われないよう、自身の務めを全うしようと思う。
立っているだけで人を集めるようになったリヴィアは、それはもうしょっちゅう見ず知らずの貴族に声を掛けられるようになった。それは専らエリック殿下の家庭教師を務める為に皇城に上がる時だ。
彼らはあれこれ親切をしてくる。
やれアーサー殿下にはウチの娘の方が似合いだから、あなたでは力不足だと思われるので辞めておいた方が良いだの。
流石アーサー殿下はお目が高い、うちの娘も親の贔屓目を差し引いても素晴らしいのでエリック殿下に勧めてみてはどうかだの。
魔道具の商売でうちと皇族御用達の専属契約を結ばないかだの……
元気な令嬢たちもリヴィアを取り囲んで似たような話をきゃいきゃい話しては、耳にタコが出来ても止めてくれない。
これが皇族の婚約者への試練かとリヴィアは内心辟易としたが、幸せいっぱいの婚約者を演じるリヴィアは必死で笑顔を貼り付ける。
因みにこれはレストルの指示である。
多少大袈裟に演じた方が周りも納得しやすいのだそうだ。
表情を糊で固定したい。そんな魔道具の開発を真剣に考え出す始末だった。
◇ ◇ ◇
「あら、アーサー殿下はライラ様一筋よ?あなたとの婚約なんて目眩しだって知っている者は多いというのに、もしかして当事者なのにご存じないのかしら?滑稽ね」
くすりと嘲りを口元に乗せ、踏ん反り返っているのはエリアーナだった。
リヴィアは内心動揺が走るも、何とか表情に出さずに首を傾げた。
「アーサー様とイスタヴェン子爵夫人は幼なじみですもの。それこそ下世話な勘繰りはお二人を貶めるものですわ。お二人の名誉の為にも、その軽いお口を慎まれては如何かしら、エリアーナ嬢?」
真っ赤になって怒りを露わにするエリアーナを、リヴィアを護っていたアーサーの近衛が牽制した。
「流石にこんなつまらない事までアーサー様にお伝えする必要はなくてよ?」
ざ、虎の威を借る狐作戦。
チラリと意味深に視線を送ればエリアーナはぐっと言葉に詰まり、ふんと鼻を鳴らして立ち去っていった。
「はあ……」
ゼフラーダへの訪問よりも魔術の調査よりも、今この時間が何よりリヴィアに濃い疲労感をもたらしていた。
そして今日の文章を頭で組み立てる。
エリアーナの名前は出さなくとも、今日起こった事はアーサーに報告しなければ。
アーサーも、書く時間は無くとも読む時間なら取れると思い、始めてみた。先日庭園で口にした「アーサーへのお願い」である。
「そんな遠回りな事をせずとも、直接会って話せば良いのでは?」
その話をした時アーサーは面食らったようだった。
「いえ、殿下。ゼフラーダへの出発まであと三週間程。婚約解消の書類の不備を訴えての訪問ですから、公式な婚約発表はできません。噂は故意に流すにせよ、二人の繋がりを手紙という形で印象づけるのも良いと思われます。リヴィアはエリック殿下の家庭教師として皇城に週に二回登城しますから、実際の逢瀬はその際に行えば、視覚的な情報も広められて良いと思われます」
……リヴィアはただ報告書を提出するのが好きなだけなのだが。自分の作業をまとめ、後に活かすのは研究者の必須行動であるのだから。
それにこの様式なら、感情も抑えて客観的に自分を振り返れる。
しかしレストルの尤もらしい講釈にアーサーが嬉しそうにしているので、まあいいかと黙って聞いていた。
きっとアーサーも報告書が好きなんだろう。軍属なのだから習慣づいているのかもしれない。
そんな事を考えながら今日の文面にライラの名前を書くべきか悩み、リヴィアはペンを置いた。
あの夜会ったライラが頭に浮かぶ。
愛らしかった。
癖のある赤毛はきれいに編み込まれていた。ピンクに輝く瞳、白磁の肌、ふっくらと色づいた唇。
夫人となった今も多くの信者を擁しているというのは噂だけではないだろう。あたりは暗くなり始めていたけれど、ライラの周りは柔らかな灯に包まれたように明るく輝いて見えた。
そしてそんなライラの手はアーサーに添えられていたのだ。
それは自然で、当たり前のようで、二人は対で作られた人形のようにお似合いだった。
自分の記憶に動揺しては向き合い、冷静になる。専ら思考はそれの繰り返しだ。
そうして二人は幼なじみなのだから、仲が良いのは当然だ。自分とレストルも気やすい仲ではないか、同じ事だ。と言い聞かせるように現実へと戻ってくるのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ぱちりと目を瞬かせると、レストルが面白いものを見つけた子どものようににんまりと口の端を上向かせている。
「……何ですの」
リヴィアはバツが悪くなる思いで目を逸らした。以前シェリルに顔面福笑い扱いされたのを忘れた訳ではない。頬に当てた手で顔を隠せないものだろうか。
「いや、俺が婚約者役でも構わなかった話なんだけどね。それで君を連れて行く言い訳くらい、いくらでも取り繕えただろうから。ただリヴィアはもうアーサー殿下に決めているんだなあと思っただけだよ」
リヴィアは眉根を寄せた。
何やら従兄との会話が噛み合っていない気がするのは気のせいか?
「アーサー殿下の婚約者役は貴族としての義務……でしょう」
臣下なのだから……
アーサーにとって自分は条件の合った都合の良い臣下。
けれどそんな事を考えると何故か気持ちが沈んでくる。
アーサーと会う度に彼の気遣いが、日に日に温かく身体に染み渡るようになった。
事前にリヴィアが勝手に持っていた印象や、実際に会った第一印象こそ悪かったが……それはそれは悪かったが……今ではいい人だと思う位には好意を寄せている。
だからだろう、何となくこの関係が利己的な物であると言い切ってしまう事に抵抗を感じるのは。
けれど、アーサーが今もライラに好意を持っているのではと考えると、心が動揺してしまう理由はリヴィアには分からなかった。




