25. お礼
何とか支度が終わり厨房を出ると、年長の少女たちがソワソワとアーサーやエリックに興味を示しているのに気がついた。
そう言えばエリックは女性と平民が嫌いと言っていたが大丈夫だろうか。先程は子どもたちを傷つけるような事はしていなかったが。
アーサーとのやり取りで心がヨレていたものの、急に心配になってきた。ここの子どもたちはリヴィアの大事な心の拠り所。弟妹たちなのだ。
「エリックなら大丈夫だよ」
不意に上から聞こえてきた声にリヴィアはアーサーを見上げた。
「流石に稚い子どもはいじめない。それ位の分別はあるよ」
「……流石可愛い甥っ子の事は良く分かってらっしゃるのですね」
「そうだね。とても良く分かってると思うよ」
「そうですか……」
そんなに分かるものなのか……仲の良い事だ。にこりと返すアーサーに、リヴィアはくすりと笑みを零した。
◇ ◇ ◇
厨房を片付けると、アーサーは給仕までせん勢いだったので、流石に侍従に睨まれ慌てて止めた。
アーサーは残念そうにしていたが、そこまでリヴィアの神経は図太くない。お客様ですからと席に押し込み、エリックを呼びに行く。
応接室に通されているかと思っていたが、意外にもエリックが広間でいいと言ったらしい。子どもたちと一緒になって床に座り込み、魔道具で遊んでいたが、リヴィアと目が合うとバツが悪そうに逸らしてしまった。思わずかわいいと思ってしまう。
「エリック様、子どもたちのお相手ありがとうございました。みんな、お昼ご飯だからお片付けよ」
ああとかうんとか口にするエリックも巻き込んで、子どもたちと片付けを始める。
「……お前が作ったのか?」
しげしげと眺めていた玩具のひとつをエリックが持ち上げて聞いてきた。
「ただの玩具ですわ」
ぬいぐるみやら積み木やら。リヴィアにも作れる魔道具も中には混ざっている。リヴィアの趣味と孤児院の需要が一致した、我ながららしい差し入れだ。
「そんな事は……無いと、思う……エリンもお前の玩具を喜んでいた」
ぽつりと呟いたエリックにリヴィアは目を見開いた。けれど食事の支度が出来たと呼びに来たシスターに従い、エリックを促して何も言えずに広間を出た。
エリックは小さな子どもと手を繋ぎ食堂に入ってきたので、リヴィアはまた驚いた。アーサーは如才なく子どもたちとシスターを誑しこんでいるようだが、目が合うと僅かに険が含まれているように見えるのは何故だろう。
「遅かったね?」
「そうでしたか?」
低い声で問うアーサーの隣にエリックが座った。その隣にマルクが座る。
「王子様のお兄ちゃん、ご飯食べたあと一緒にお勉強してくれるんだよね?僕ね、今『ヒュールースの魔術論法』を読んでるんだよ」
「一緒にやるなら計算式だろう、『魔の硬式算術計算書』の
方がいいよ」
「食べ物を口に入れながら話したらいけません。アンリは解けないところを教えて貰いたいだけよね」
「はいはいお祈りの時間よ」
わいわい話す子どもたちをシスターが手を鳴らし黙らせ手を合わせる。
「お口に合わない分は残して下さいね」
一応勧めたが近衛と侍従は入り口付近で待機している。アーサーが厨房に入って一緒に作業したとは言え、本来なら皇族が口にするような物では無いだろう。そういう意味ではお茶も口に合わなかったかもしれないが、そこは出す側の義務に誠意で付き合ってくれたようだ。
「そんな事は無い。美味しそうだ」
意外な台詞にリヴィアは首を傾げる。そんなリヴィアを見て、エリックは口を尖らせた。
「それ程おかしな事は言っていないだろう。温かい食事は普段口に出来ないし。いい匂いがして美味しそうだと思ったんだ」
「エリックが喜ぶんでくれたなら、私も頑張った甲斐があるかな」
「え?叔父上も作ったのですか?」
からかうようなアーサーと驚くエリックの言葉の後、食事前の感謝の祈りが始まった。みんなが一斉に食べ始めると、エリックは驚いたようだった。
「殿下は大人数でのお食事は初めてですか?」
みんな揃っての食事は三十人程になる。
皇族の食堂では席に着いている人数の方が少ないだろう。孤児院では一応食事中のお喋りは禁止だが、なかなかそうもいかない。必然的に食事は賑やかなものになるが、リヴィアはこの雰囲気が好きだった。普段はあの父と二人きり、無言の食事だ。
「ああ。僕は家族以外とこうして食事をした事は無いな」
ふと沈んだ思考は子どもらしい声に呼び起こされる。
エリックは戸惑いながらも、優雅な所作で食事を口に運びだした。
「ねえ、お兄ちゃんたちは本物の王子様なの?」
「どうしてリヴィアと一緒に来たの?」
子どもたちは興味津々である。
「食事中にお喋りをしてはいけませんよ」
シスターの一人が窘めると、子どもたちは慌てて食事を再開する。リヴィアはくすりと笑って、隣に座った小さな女の子の口元を拭ってやった。
「殿下たちは皆とお勉強をしにやってきたのよ」
「えー。お勉強嫌ー」
「わたしは上手だよ。お姉さんだもん」
小さな子どもたちの反応はまちまちだが、年長者の子どもは似たような反応を見せる。
「皇族の家庭教師のアイシェス老師の話が聞きたい!」
「俺、隣国との新規条案締結の優位性の考えまとめたの見て欲しい」
「こらルイ……課題の添削をお客様にさせるのは良くないわ」
「リヴィアの意見じゃないものも聞きたいんだよ」
あっさりと返すルイを少し睨み、エリックに目を向ける。
エリックは少し驚いたような顔をしていたが、構わないと言うように首肯した。
「リヴィア、一緒に野菜採ろう」
「かけっこしたい」
こちらにはリヴィアが頷いて、じゃあ食べたら一緒に遊びましょうね。と返事すると、エリックはそれにも驚いたようだった。アーサーの方は年長の女の子に、おそらく皇城でされるのと同じような質問責めにあっていた。
リヴィアは思わず口元を綻ばせた。
アーサーが孤児院での自分の立ち振る舞いに怪訝な顔をしない事に、リヴィアは随分驚いた。貴族の家はこういった施設に寄付を行うのは普通だ。それでもわざわざ中に立ち入る事は稀だし、リヴィアのように家事までやろうとする者などいない。貴族として常識外れな自分の振る舞いではあるが、それをリヴィアは恥ずかしいと思う事は無かったし、改める気も無かった。
けれどアーサーはそんな自分と並んでくれた。
リヴィアは認識していた。自分は淑女ではない。貴族令嬢としては異分子にあたるのだと。
それでもその在り方に誇りを持つ自分が確かにあって、軋轢に傷つく時にはひたすら落ち込んだり、時には自分で自分を元気づけた。
不思議な気分だった。叔母や従姉が褒めたり窘めたりするのとは違う。アーサーの手は大きくて、眼差しは優しかった。
同じものを同じ価値観で見てくれているのだろうか。
嬉しい────
胸の奥がじわじわと温かな熱を持つように感じた。
「殿下、ありがとうございます」
ふと少女たちに囲まれたアーサーと目が合う。呟くような小さな声は聞こえるかわからなかったが、ただ気持ちを伝えたくて。リヴィアはふわりと微笑んだ。




