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「──以上が私がまだ10歳、お嬢様が11歳の頃の出来事でございます」
ケヴィンが話し終わっても、皆暫くの間、黙り込んだままだった。
「──ランドルフ家はその後どうなったのだ」
最初にグレアムが口を開いた。
「奥様は病からは一度は回復されたものの、お嬢様を失ったショックで結局は儚くなられました。旦那様はお子はお嬢様以外いらっしゃいませんでしたので、周囲から再婚や養子を取るように勧められておりました。しかし、旦那様は頑なに拒み続け結果、爵位を返上するという決断をなさりました。名前から分かりますように現在、モンティス家が頂いている領地こそ、元ランドルフ侯爵家の領地にございます」
グレアムは何やら難しい顔をしている。
「私はその様な事があった事など知らぬ。何故、私はその事を知らぬのだ。我がランドルフ領の事であろう?」
ナナシは驚いてグレアムとケヴィンを交互に見る。
──此処がランドルフ領? 隊長はランドルフ侯爵家の人間だったの!?
驚くナナシをよそに、「それは……」とケヴィンは言い淀んでいる。グレアムの片眉が少し上がる。その表情は険しい。当然だ、自分の領地の事なのに知らないというのはグレアムにとっておかしな事だろう。それもまだ50年前の話なのだ。
「大奥様──グレアム様のお母君は異国の方にございました。大旦那様が大奥様を不安にさせない為に黙っていたのでしょう……」
ケヴィンの歯に物が挟まった様な言い方にグレアムは余り納得のいっていない顔をしていた。
「あのっ、ケヴィンさんその流行り病って」
「不思議な事に昨年流行ったものと同じです。最初は口内炎が出来、高熱が出ると、身体の何処かに痣が出来ます。全身に痣が広がると死に至ります。当時は奇病と恐れられていました」
──恐れられていた?
何故、過去形なのだろうとナナシは首を捻る。薬や治療法があるということだろうか。
「もしかして薬はあるんですか?」
「特効薬とまでは言えませんが、効果のある物はいくつかございます。大半がアーロン山脈の崖に生える薬草を煎じた薬ですので、高価で庶民には手が出せません。この度の流行でも被害が大きかったのは庶民の中でも貧しい人々です」
ケヴィンの言葉に「え?」とナナシは目を見開いた。ケヴィン話の中に出てきた少女は森に薬草を探しに行ったのだ。その森に薬草は無く完全に無駄骨だったという事にならないだろうか。その上、その少女は行方知れずになったのだ。ナナシは酷く居たたまれ無い気持ちになった。
──浄化の花。話の中に出てきた薬草。ケヴィンはお嬢様には見つけられないかも知れないと言っていた。ならば何故、お嬢様はその薬草を探しに行ったのだろう?
その時、ナナシはズキリと頭に痛みを感じ、顔を顰めた。同時に足元が揺らぐ感じがした。
急に黙り込んだナナシをケヴィンが心配そうに見つめる。
「お具合いが優れませんか?」
優しく訊ねるケヴィンにナナシは大丈夫と首を大きく左右に振った。じっとケヴィン空色の瞳を見る。何だか懐かしい気がする。
「《嘆きの森》は昔は今と違う森だったんですか?」
「精霊様の住まう美しい森でした。色とりどりの花が咲き、澄んだ泉のある場所でした」
「お嬢様が行方不明になってから変わってしまったの?」
「ええ」とケヴィンは悲しげに頷いた。
「お前は探しに行かなかったのか?」
鋭く睨みつける様にグレアムがケヴィンを見た。ケヴィンはグレアムを真っ直ぐ見返す。
「勿論、何度も探しに行こうとしました。ですが、私はなぜか森に拒まれ入る事が出来なくなりました。何とか入る方法は無いかと模索している内に霧が濃くなり森そのものに入る事すら難しくなってしまいました」
「森に入れなくなっただと?」
「はい。私にも理解しかねますが、森に弾かれると言えばいいのでしょうか。入ろうとすると元の場所に戻ってしまうのです」
「ふむ……」とグレアム腕を組んで考え込む。何か心当たりがあるらしい。
「──ですが、ただ手を拱いていた訳ではありません。その間に有効な薬を見つける事は出来ましたから」
ケヴィンが顔を挙げグレアムを見る。グレアムは大きく頷いた。
「確かに、お前が薬剤や薬草の文献で研究していたのは私もし知っている。父上が援助をしていた筈であろう」
「はい。侯爵様には感謝してもしきれません。お嬢様が失踪された後に前侯爵様は爵位を返上なさいました。その後侯爵となったモンティス家のご当主様、先代は、私がこの地でお嬢様の帰りを待つ事を許して下さいました」
「だが、何故当時と同じ病が広がったのだ? 霧が晴れた事と何か関係があるのか」
ケヴィンが左右に首を振る。
「恐らく関係がある筈です。今起こっている出来事との関係性もわかるでしょう」
「もう一度、森の調査はせねばならんな」
グレアムが勢いよく頭を掻きむしった。現在主導権は魔道達にある。それを隊長に権限を戻さねばならないだろう。
「一つ方法はあります」
「何だと?」
「精霊様に訊ねればよいのです。今ならばもしかすると精霊様に会う事ができる筈です」
「精霊様に? 精霊は精霊使いにしか見えんのでは無いか? それに気紛れで答えてくれるかわからんぞ」
「嘗て精霊様はランドルフ領とリード領の間にいらっしゃいました。特にこの地の精霊様はリード家の人間と関わりが強く、リードの人間になら何かしら答えて下さるのではないでしょうか? グレアム様の隊にも一人いらっしゃいましたよね?」
ナナシとグレアムは同時に赤毛の男を思い出した。
「オーウェン! 今すぐリードに連絡を……?」
そこでグレアムははたと気づいた。居るはずの人物がいない。
「……オーウェン様ですか?」
ケヴィンが不思議そうな顔をする。
「えっと、私と一緒に入って来ましたよね。金髪碧眼の背の高い人」
ナナシがそう言うとケヴィンは怪訝そうな顔をする。
「いえ、私がご案内したのは貴女様だけですが……?」
「何だと」
今度はグレアムの方が眉根を寄せる。
「それにオーウェン様は現在療養中の筈では? オーウェン様は今回の派遣には参加しておられないと記憶しております」
「そう……だったか?」
グレアムが首を傾げる。
「じゃあ、今まで一緒にいたのは誰?」
眉間の皺を深くするグレアムの横でナナシはゾッと背筋が寒くなるのを感じた。顎に手を当ててケヴィンは少し考え込む。
「直ぐに両家に遣いを送ります。使いが戻るまでグレアム様、ナナシ様も念の為にこちらに滞在して下さい」
「私も?」
ケヴィンは静かに頷いた。
「オーウェン様は悪魔憑きの可能性があります。狙いは恐らく……ナナシ様だと思われます」
ケヴィンが静かに告げた。
◇◇◇
手に持ったランタンの灯りを頼りに森の中を必死に走っていた。何かから逃げるように。
──これは……夢?
何が後ろから追いかけて来る。姿は見えないが、恐ろしい物だと分かる。ひたすら走って木の蔦に途中引っ掛かって転んでしまう。ランタンは何処かに落してしまった。拾うことも出来ずに立ち上がってまた走る。
「どうして!? この森の中にアレは入って来られない筈なのに!」
──アレって何?
喋っているのは自分なのに言っていることが分からない。
「早く見つけて、帰らなきゃ」
──何を見つけるの? 何処へ帰るの?
「約束を守らないと」
──誰との?
震える足を無理やり動かしてひたすら走る。どれくらい走っただろう。
目の前に人が一人入れそうな洞窟が現れた。
◇◇◇