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◇◇◇
ケヴィンはナナシに会って愕然とした。
「──よく……似ていらっしゃる」
思わず呟いてしまった。
──似ているだけではない、もはや生き写しだ。
「誰にですか? 貴方は?」
ケヴィンの呟きに驚いたナナシに尋ねられケヴィンはハッとする。
「大変失礼致しました。私めはケヴィンと申します。モンティス家の執事をしております」
「ケヴィン?」
キョトンと小首を傾げる男装の少女を見てケヴィンは涙が零れそうになるのを堪えた。
「応接間にご案内致します」
ケヴィンは平静を装いながらにモンティス家の応接間にナナシを通した。グレアムと向かい合う形で大きなソファに座らせた。
「我が家のケヴィンが心当たりがあるらしい」
「どうだ?」とグレアムがケヴィンを一瞥しすると、ケヴィンは頷いた。
──ここ迄似ているのならば、もしや……。
有り得ない想像をしてしまう。
「グレアム様、その前にお二方に私の話しをしても構いませんか?」
「構わぬ」
許可を取るケヴィンにグレアムがケヴィンに話しを促した。
「有難う御座います」
そう言ってケヴィンは恭しくお辞儀をした。
「──あれは、今から50年前。フォーサイス歴397年の事にございます」
◆◆◆
「──ケヴィン!」
ケヴィンと呼ばれた少年が振り返る。しかし、呼んだ人物の姿が見当たらずキョロキョロとしていると、上の方から「こっちよ」と言う声が上から降ってきた。
「お嬢様!」
ケヴィンが上の方を向くと木の上から明るい金髪の少女が手を振っている。ケヴィンはサッと青褪めた。
「危ない! 早く降りて下さい!」
「もう! ケヴィンたら怖がりね。ケヴィンも登りなさいよ」
「何言ってるんですか!?」
木の上で笑う彼女に対してケヴィンは頬を膨らませた。
彼女はナタリー・ランドルフ。ランドルフ侯爵家の長女だった。ナタリーはケヴィンよりも1つ年上のお転婆なお嬢様で、何時もケヴィンは彼女の突拍子も無い行動に驚かされていた。その頃のケヴィンはそんな平穏な日々がずっと続くと思っていた。流行り病が広まるまでは──。
最初の一人は単なる熱病の1つだと思われていた。だが、既存の薬は効かず、徐々に患者も増えていった。分かっていた事と言えば症状くらいなもので、その症状は、最初に口内炎が出来、高熱が出る。その後に身体に奇妙な痣が出来始め、それが全身に及ぶと死に至るというものだった。
病魔はじわりじわりと町を蝕む様に拡大していった。そしてとうとう侯爵家で一番身体の弱かった奥様が病に倒れてしまった。
「ケヴィン! お母様が……! お母様が病に」
ペリドットの瞳から大粒の涙を流すナタリーの背をケヴィンは優しく撫でた。
「お医者様や薬師様が特効薬を探しております。きっと、直ぐに薬も見つかり奥様もお元気になる筈です」
ケヴィンは何とか彼女を慰めようとした。しかし、元々病弱だったナタリーの母親の容態は一向に良くならなかった。
そんなある日、ランドリーでコソコソと何かしているナタリーを見つけたケヴィンは不審に思い声をかけた。
「──お嬢様何をしているのですか?」
ナタリーはケヴィンがいるのに気づいていなかったのかビクリと身体を震わせた。それから、意を決した様にケヴィンの方を真っ直ぐに見た。
「──私、森に行って来ようと思うの」
「何故です? お一人でですか?」
一人でランドリー何かをを漁っていたところを見ると、一人で行くつもりだったに違いない。ケヴィンは恨めしげに彼女を見た。
「私聞いたの。森に生える薬草が病気に効果があるかもしれないって」
病が一向に収まらない中、様々な噂や怪しげな治療法の情報が飛び交っていた。お嬢様もその様な不確かな話をお聞きになったのだろうとケヴィンは思った。ただ、こういう時のお嬢様を止めるのが難しい事も分かっていた。
「一体、誰がその様な事を言ったのですか? 不確かな噂話を信じるなんてお嬢様らしくありません」
「でも、可能性があるなら試してみたいの。お母様が苦しんでるのに見ているだけなんて耐えられないわ」
「なら、僕も一緒に行きます」
「駄目よ! 私の我儘にケヴィンを付き合わせられない」
「それは僕も一緒です。僕は将来ナタリー様の執事になるんです。だから、一緒に……」
「絶対駄目よ! 主は使用人を護るものよ。それに、もしケヴィンにまで何かあったら……」
「お嬢様……」
その後も暫く言い合いをしたが、彼女の決意は固く、ケヴィンは結局止める事が出来なかった。
「──お嬢様、どうしても行くと言うなら、どうか一日待って下さい。準備は僕がしますから」
「本当に?」
「はい。それに、お嬢様では、必要な物なんて分からないでしょう? 大体、どの薬草を取ってくるか分かってるんですか?」
「それは、わかってるわ! 浄化の花よ」
「そうですか」
──浄化の花か。
もしかすると、お嬢様は見つけられないかも知れない。とケヴィンは思ったが、口には出さなかった。そう言ったとしても、彼女なら何も言わずに探しに行ってしまうと思ったからだ。
だから、本当に何故ここで引き下がってしまったのかとケヴィンはその後の人生でずっと後悔する事となった。
一日後、ケヴィンは約束通りナタリーの為に洋服一式とローブ、ランタンを用意した。洋服はケヴィンの物を渡した。男装する為だ。少しでも男の子に見える様にとナタリーが自身の髪の毛をバッサリ切ってしまった事にケヴィンはかなり焦ったが、ナタリーはまた伸びるからと笑っていた。
「ケヴィン、これは何? 何か硬いもの、コインが入ってるみたいだけど」
「おまじないです。僕だって、ランドルフ侯爵家の精霊使いの端くれですから。お嬢様様が無事に帰って来れるように願掛けです」
ケヴィンは大袈裟に胸を張った。そうでもしなければ、不安で仕方無かったからだ。
「下手な刺繍ね。でも、ありがとう」
ナタリーはシャツの裾を撫でながら微笑んだ。
「町の中は今、流行り病が原因で暴動や略奪が横行しています。決して危ない所へは近付かないで下さい。少しでも危ないと感じたら──」
「直ぐに逃げる。分かっているよ。行ってきます」
「お気を付けて……」
その時、ケヴィンは複雑な思いで彼女を見送った。もし、彼女が薬草を見つけられなくても、彼女自身は戻って来ると信じて。
けれど、彼女が戻って来る事は無かった。彼女は忽然と消えてしまったのだ。彼女が消えてから不思議な事に病は収束をし始め、町は活気を取り戻していった。
だが、彼女の消えたであろう森は次第に霧に包まれるようになり、人を寄せ付けなくなった。人々は侯爵夫妻の消えた娘の亡霊がこの森を彷徨い嘆き続けている為に森が霧に包まれる様になったと言い始めた。そして、その森の事を《嘆きの森》と呼ぶようになった。