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「──原因は分からず仕舞いか」
「魔術の影響を調べるにしても遺跡の調査が必須となると今は手詰まりか」
「はい。ところで行方不明者リストの方はどうなんですか?」
「それはこれから調べる」
「あの、ありがとうございます」
ナナシが礼を言うとリードが頭をポンポンと叩いて、にっこりと笑う。
「気にするな。困った時はお互い様だろ。家にもナナシと同じ年頃の子がいるからほっとけなくてね」
リードさん子持ちだったか。と、妙に納得してしまった。
「おや、まだこんなところに居たのかい」
声がした方を向くとベラが腰に手を当てて立っていた。表情は少し呆れている。
「ベラか? どうした?」
「『どうした?』、じゃないよ。その子が部屋使えるように許可を取ってきたから伝えようと思って探してたんだよ!」
「助かる」
隊員が簡潔に礼を述べると、ベラは呆れた顔ではぁと溜め息を吐いた。それから、ナナシを見るとまた、大きな溜め息を吐いた。
「……にしても全く男共は気が利かないねぇ。診察は終わったんだろ? こんな汚れた格好のままにしとくんなんて。確か予備のお仕着せがあった筈……。お前さんついておいで!」
ナナシはベラに勢いよく腕を掴まれ、そのまま引きづられるようにして連れて行かれてしまった。
◇◇◇
ベラに連れて行かれるナナシの姿を見送ると隊長が徐ろに口を開いた。
「彼奴に奇妙な点は無かったであろうな?」
「特にありませんでしたよ? ……あの、隊長は本当にナナシが魔物とお思いですか?」
「貴様、彼奴に同情しておるのか?」
「それは。ナナシはまだ幼いですし、記憶を失くしているのですよ。同情するのが普通では?」
「それらが事実であればだがな」
「! 疑ってるんですか!?」
「……彼奴の世話はお前に任せる、責任をもって面倒をみるんだな」
そう言って隊長は去って行った。
「一体、何なんですか!?」
隊長が去って行った後、オーウェンは不満そうな顔をくるりとリードの方へ向けた。その顔を見てリードが苦笑する。
「まぁ、そんな顔をするな。隊長は隊長だからな」
「? どう言う意味ですか?」
「魔物云々は置いておいても、隊長はナナシが他国の間諜である可能性も疑ってるんだよ」
「なっ、あんな子供が!? リードさんもそう思っていらっしゃるんですか?」
「可能性はゼロじゃない、とは思う」
「そんな! 疑われるナナシが可哀想です」
「随分と入れ込んでるな。だが、残念な事に実際子供を間諜として送り込む国もある。例えば、隣国とかな。普段人の寄り付かない森にいて、身元が分からない以上、あらゆる可能性を疑うのも仕事の内だろ。可哀想だと思うなら、文句を言っていないで早く身元をはっきりさせてやれば良い」
リードに窘められてオーウェンははっとした顔をした。
──身元さえ分かれば、疑いは晴れるという事か。
「はい、申し訳ありませんでした」
「分かればいい。隊長は言葉が足りないからな。ナナシ関しては黒と決まった訳でもない。お前が世話を任されたんだ。困ったことがあったら助けてやれ」
「はい!」
オーウェンは今度は元気良く返事をし、一礼するとナナシを追いかけて行った。
◇◇◇
「ベラさん、ここは?」
「見て分かるだろ? 使用人用の風呂場だよ」
ナナシはベラに引きづられる形で浴場に連れて来られた。大きな浴槽にはお湯が溜まっているが、まだ早い時間のせいか浴場には人はいなかった。
「さあ、洗ってやるから、さっさと服を脱ぎな」
脱ぎなと言いつつ、手際良く服を剥ぎ取り浴槽に放り込まれてしまった。されるがままに、ゴシゴシと洗われていく。
「──あんた、やっぱり女の子だったんだね」
「?」
ナナシがきょとんと首を傾げる。
「別に隠す必要は無いとは思うが、黙っていた方がいいかい?」
ベラの言葉にナナシは更に首を傾げた。その様子にベラも首を傾げる。
──記憶が無いってのも厄介だねえ。確かに汚れちゃいるが、肌も髪も艶があって綺麗だし、何処かの裕福な家の子かねえ。だったら親が探しそうだが……。髪を短くして、男の子の様に見せてるあたりどう見ても訳ありだね。全く記憶が無いってのも厄介だね。
「まぁいいさ」
ナナシを洗い終わったベラはそれだけ言うと、今度はナナシの汚れた服を洗い始めた。
──何処にでもありそうな生成りの服だけど、縫製もしっかりしてる。何処かのお嬢様じゃなけりゃ何処か裕福な家の使用人とかかねぇ?
「おや?」
ナナシの服の裾に何か硬い物が入っている事に気がついた。正確には服の中にコインのような物を縫い込んでいたのだ。縫い目は荒く少し引っ張れば取れそうだ。
「どうかしました?」
「服の中に何か入ってるみたい何だが、取ってもいいかい?」
「服の中に? 構いませんよ」
ベラが裾の縫い目を引っ張ろうとした時、その横の刺繍に気がついた。模様の様にも見えたが、どうやら文字らしい。刺繍をした人物があまり上手くないのだろう。処々字が裏返っている。その文字をどうにか読んで見る。
「《ケヴィン》」
どうにか読み解くとケヴィンと言う名前に見える。
「はい?」
「そう刺繍がしてあるけど、あんたの名前じゃ無いのかい?」
ベラが不思議そうな顔で尋ねる。自分の着ていた服に刺繍がしてある事から考えるとやはり、自分の名前なのだろうと思うが…。
──ケヴィン? そうなのかな? ケヴィンが自分の名前?
ナナシは何だかしっくりこない様子でその刺繍を眺めていた。
ベラが服を洗い終わる頃にはナナシの身体はすっかり温まっていた。身体が温まったせいか眠気が押し寄せる。風呂から出ると男性用のお仕着せと女性用のお仕着せの両方が用意されていた。ベラが気を使ってくれたのだろう。
一応女性用のお仕着せを着てみたがしっくりこないので、結局男性用の物を着ることにした。ベラは「似合うのに勿体無い」と言ったが、それ以上は何も言わなかった。
服の裾にあったコインは、服の裾の縫い目を引っ張れば簡単に解けて出てきた。
「随分古い硬貨だね」
「そんなに古い物なんですか?」
「小銀貨だが、今の硬貨と違うね。40年位前に硬貨の偽造が横行した時期があってね。その時大幅に硬貨の改変があったんだ。これはそれより前のものだね」
古い硬貨。何故そんな物をもっていたのかは分からないし、自分で入れたのかも分からない。
「靴も随分汚れているから洗うかね。足のサイズに合いそうな靴も何足か持って来たから履いてみな」
そう言って渡された靴はどれも小さかったり、大き過ぎたりして足には合わなかった。
「今ある靴はそれで全部だ。靴が乾くまでの間だ。詰め物でもして履いてな」
コクりと頷いて靴を受け取った。
「次はあんたの部屋だよ」
ベラに離れの2階建ての建物に連れて来られた。
「食堂は離れにあって時間決まってるから、遅れると食べ損ねるよ。今日は特別にあんたの分を、取って置いておいて貰ってるから安心しな」
「ここが使用人の女子寮だよ。あんたの部屋は屋根裏部屋になる」
ベラについていくとベッドと机、備え付けのタンス以外無い、簡素な部屋だったが、眠るには充分だ。
「ナナシ! いるか!?」
大きな声がして窓を覗くとオーウェンが大きく手を降ってやって来るのが見えた。
「オーウェンさん!? どうかしたんですか?」
「隊長からナナシの世話をする様に言われたんだ。これから、よろしくな」
「そうなんですか? よろしくお願いします?」
「で、まずは生活用品を揃えないとと思ってさ。今日はもう遅いから明日必要な物を買いに行こう?」
「あの、自分お金持って無いですよ」
「俺が出すから心配しなくていいよ?」
「あの、それは……」
「ん? もし気になるようなら、後で返してくれればいいからさ」
「必ず返します! ありがとうございます」
「じゃ、明日の朝は迎えに来るから待っていて!」
それだけ言うと走り去って行った。
──何だったんだ?
困惑しながら、ナナシオーウェンを見送っていると横でベラが呆れたような顔をしている。
「オーウェンはお貴族様だから遠慮なんてしないで奢って貰えばいいのに」
「オーウェンさんって貴族何ですか?」
「伯爵家の三男坊さ。跡継ぎにもなれないから気安い感じなのかねえ。まあ、こちらとしては偉そうにされるよりずっと良いさ」
ベラの話を聞きながら、ナナシは買い出しの事を考えていた。