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森から町への道程は驚くほど順調だった。ただ、ナナシは相変わらず隊長に抱えられたままである。
「隊長、そろそろお疲れでしょう?」
「逃がさんぞ。魔物め」
「だから、逃げませんて」
道中、何度このやり取りをした事か。途中休憩を挟んではいるものの、隊長はずっとナナシを抱えたままだ。ナナシ自身は疲れないからいいが、ずっと荷物のように抱えられているのはどうも落ち着かない。抱えられた状態のまま町へ行かれるのは流石に恥ずかしい。
「まあ、心配するな隊長も騎士だ。体力だけはある」
アンソニオの微妙にズレた励ましにナナシはガックリと項垂れた。
──別にそこは気にしてない。
すると、オーウェンが苦笑する。
「森を出て、ナナシが魔物じゃないと分かれば、解放してもらえるさ。それに、子供の足じゃ大人について歩くのは大変だろう? それにもう森の出口のすぐ側だ」
「町に着いてもこのままだったら、恥ずかしいんですけど」
「ふむ、魔物にも羞恥心があったとはな」
至極真面目な顔で言う隊長をキッと睨み付けたが、きょとんとした顔をされただけだった。
オーウェンの言う通りそこから数分もしない内に森の入り口と思われる場所に辿り着いた。そこからは一本道が伸びており、遠くに町が見えた。森の外は昼を過ぎたくらいで、まだ随分と明るい。ふと、森の入り口付近に数人の騎士がいることに気が付いた。
「どうした? 何かあったのか?」
オーウェンが尋ねるとあちらから数人の騎士達が慌てた様子でやって来た。
「『何があったのか?』じゃないだろう! 皆怪我はないのか? 今までどうしていたんだ?」
「先遣隊がなかなか帰って来ないから、捜索隊を出す話になっていたんだぞ!」
森の外にいた騎士達が酷く取り乱した様子で告げるが、森から出てきた騎士達は容量を得ないという感じで、首を傾げている。
「貴様等一体何を言っておる? 我々は予定よりも早く戻って来たのだぞ?」
と隊長が言うと、騎士の一人が訝しげな顔をした。
「予定よりも早くですって? 一体、何を言っているのです。予定ならとっくに過ぎて一週間も経っているではないですか?」
「一週間だと? 一体どういう事だ」
今度は隊長達が怪訝な顔をする番だった。
◇◇◇
「──では、貴方達が森で一晩過ごしている内に森の外は一週間も経っていたというのですか?」
隊長達は森での経緯を森の外にいた騎士達に説明したが、相手はなかなか信じられないようだ。
「食糧もまだ残っているようですし、嘘は言っていない様です」
「当たり前だ、嘘をつく必要がない」
「……では、森の中と外の時間の流れが違うということでしょうか? 到底、信じられる事ではありません」
「もしや、これが導師様の言っていた異変なのではありませんか?」
「うむ。だが、我々だけでは、見当がつかぬ。報告も必要だ。本部に戻るしかあるまい。本部に先触れを出してくれ」
「承知しました。……ところで、その子供は如何なさいますか?」
「……本部に連れていく」
隊長は少し考えてから答えると、リードがそれに続いて騎士を呼び止めた。
「そうだ。ここ最近、行方不明になった子供のリストも頼めないか」
「分かりました。用意しておきます」
そう言って騎士達は一足早く馬に乗って本部に戻って行った。その背を観送ってから、先遣隊の騎士達も本部に向かって出発した。
結局、ナナシは騎士団本部まで隊長に荷物のごとく抱えられた状態のままだった。
◇◇◇
騎士団本部は町の中心部、高い壁──要塞──に囲まれた建物だった。その重厚な門をくぐった先には大きな広場があり、中心部には大きな噴水があった。広間を囲うように建てられた建物の廊下には騎士や使用人らしき人が行き交っている。
「──あんた達、無事だったんだね! ……おや? その子はどうしたんだい?」
城門をくぐり、建物内を歩く一団に恰幅の良い中年の女性が声をかけてきた。
「ベラか」
ベラと呼ばれた女性は榛色の髪を頭の後ろで一つにまとめお仕着せの上からエプロンをしている。手には食材の入った籠を持っているので、調理場の使用人のようだ。
「森で拾ったんだ」
「よりにもよってあの森で? 迷子かい?」
ベラが目を丸くする。
「迷子か家出か分からないが、今行方不明の子供のリストを用意して貰ってる」
「リスト? 直接この子に聞けばいいじゃないか? この子ぐらいの子供なら自分の家くらい分かるだろ」
「それが……記憶がないようで」
「記憶がない?」
「名前も自分の事は何も覚えて無いようなんだ」
「おやまあ! 早く家に帰れるといいね。……だが、家が分かるまでこの子の面倒はどうするんだい?」
「教会か施設に預けるしかないだろう?」
きょとんとした顔をすると、ベラが大きな溜め息を吐いた。
「今は無理だろうさ。昨年の流行り病で随分と孤児が増えて何処の施設も教会も手一杯だって話だよ」
──流行り病?
ナナシはその言葉に胸がザワリとするのを感じた。
─何だ?
「となると、俺達が面倒見る事になるのか」
「使用人用の部屋が一つ空いていたから、そこを使えるように頼んでみるよ。ただ、生活に必要な物はあんた達が揃えてやりな。だが、まずは医者に見せるべきだろうね。王都から優秀な医官も来ているみたいだし、運が良けれ診てもらえるかもしれないよ」
「王都から医官が来ているのか?」
隊長達が不思議そうな顔をした。
「ああ、あんた達とは行き違いだったから知らなくて当然だわね。去年の流行り病の調査だとか。今頃して何になるんだか」
ベラがはぁと溜め息を吐く。
「態態、王都から来るんだ。何か考えがあるんだろう。この子は騎士の誰かに医務室に連れていかせるさ。オーウェン頼めるか」
「俺が責任を持って連れていきます。さぁ、行こうナナシ」
オーウェンがナナシを呼ぶとやっと隊長が下ろしてくれた。魔物疑惑はひとまず解けたらしい。そのままオーウェンに付いていく。
「早く家が見つかるといいね? それまでの間はここを家だと思っているといいさ」
「ご迷惑を掛けてすみません」
「別に謝る事じゃないよ」
「その流行り病って──」
「着いた。ここだよ」
オーウェンが急に立ち止まったので、ナナシは危うくオーウェンの背中にぶつかりそうになった。
「ん?」
「いえ……」
オーウェンが立ち止まったのはチョコレート色のドアの前、そのドアを開けると大きな窓と白色のシーツで統一された複数のベッドが整然と並べられている。いくつかは怪我をした騎士が使っているようだ。その更に奥の扉をコンコンとノックをしてオーウェンが入って行くのにナナシも続く。部屋に入ると薬品の匂いが鼻をついた。
「失礼します」
「どうぞ。怪我かい?……おや、その子は?」
扉を開けると、初老の男性と青年がいた。二人とも白衣を着ている。初老の男は医官のアダムス、青年は薬師のドミニクと名乗った。
「実は森で拾ったんです」
「森でかい?」
「あの嘆きの森で、ですか?」
アダムスは訝しげな顔をしたが、反対にドミニクは目をキラキラと輝かせている。
「貴方は先遣隊の方なのですか? 嘆きの森の中はどうなっていましたか!? 何か珍しい薬草は生えていませんでしたか!? 是非詳しく──」
「えっ、いや……自分は薬草の類には詳しくないので……」
前のめりになって質問攻めにするドミニクにオーウェンは若干引いている。
「こら、ドミニク落ち着け。患者さんですよ」
呆れた顔で隣の部屋から出て来てた青年がドミニクの肩を掴んでオーウェンから引き離した。丸眼鏡をかけた青年はイライアスと名乗った。彼は王都から来た見習い医官らしい。
「で、怪我でもしたのですか?」
イライアスがドミニクの後ろから顔を覗かせる。
「いえ、特に怪我はしていないのですが……、記憶を失くしているようでして、診察して頂きたいのです」
「記憶がない? よし診てみよう」
アダムスの前の丸椅子にナナシを座らせる。
「ん?」
アダムスが端に立っていたオーウェンの方を見る。
「どうかなさいましたか?」
「いや……、診察するから出て行ってもらっていいかな?」
「?」
アダムスはにっこりと笑い、何かを察したイライアスによってオーウェンは強制的に診察室から退場させられた。その後、ナナシはアダムスから診察といくつか口頭で質問された。ナナシが質問に答えると「うむ」とアダムスは暫く考え込んでから、オーウェンを呼び戻した。
「──結論からいうと原因は不明。頭部に原因となりそうな外傷はありませんでした。心理的なショックが考えられますが、当人の記憶がない以上なんとも言えません。もう一つ原因と考えられるのが魔術的な要素ですが、遺跡を調査してみないとわかりません。しかし、魔術による障りで記憶を失くしたという事例は聞いた事がありません。よって、現段階での原因は特定できませんでした」
「その、ナナシの記憶は戻るのですか?」
オーウェンが顔を曇らせる。
「原因が分からない以上なんとも言えない。力になれなくて申し訳ない。君も心細いだろうが、一時的な記憶喪失なら、突然記憶が戻る事もあります。ただ一生戻らない場合も考えられる。幸い健康状態に問題はないので普通に生活してもらっても問題はないよ」
アダムスとイライアスが申し訳なさそうな顔をするので、ナナシは逆に申し訳なくなってしまった。記憶を失った事が幸いしたのか、生来の性格なのかは分からないが、ナナシ自身は森で目覚めてから今まで不安は感じていなかったのだ。
「説明は以上ですが、何か質問は?」とアダムスに尋ねられた。ふと、流行り病の事を思い出した。
「関係ない事なのですが、一つ聞きたい事があるんです」
「なんだい?」
「流行り病の事です」
「去年の流行り病の事かい? またどうして?」
アダムスが不思議そうな顔をする。
「王都から態々来られてるって聞いて、何だかとても気になってしまって」
「そうか記憶がないんだものな。毎年流行る病なのだが、去年は特別酷くてな。死者が大勢出た。これ程の流行したのは100年前以来だ」
極力当たり障りの無さそうな理由を答えたが、アダムスは納得してくれたらしい。
「では、100年前も同様に酷かったと?」
「? そうとも言えるな」
不思議そうな顔をするアダムスの後ろでイライアスは顎に手を当てて何やら考え込んでいた。イライアスを見ると目が合ってにっこりと微笑まれた。
ひとまず診察は終わり診察室を後にする。帰り際にイライアスに「何か気になる事があったら何時でも言ってくださいね」と言われた。
──流行り病、流行?
やはり、流行り病の事を考えると胸の奥がざわつく。
「ナナシ、余り気を落とすなよ?」
オーウェンが心配そうに顔を覗き込んで来る。考え込んでいたのが落ち込んでいる様に見えたらしい。
「大丈夫です」
「無理、しなくていいからね。誰だって記憶喪失になれば不安になるんだから」
彼なりに励まそうとしてくれているらしい。
──良い人だな。
そう言えば、森で目覚めてから出会った人は皆良い人達ばかりだ。皆何処の誰とも分からない自分に親切にしてくれる。まぁ、約一名例外はいるが、彼も隊の皆に慕われているようだったのできっと本当は悪い人では無いのだろう。不安に思わずに居られるのもきっと彼らのお陰だ。
ふと、顔を上げると前方に隊長とリードの姿が見えた。
「あれ、隊長? 報告終わったんですか?」
隊長とリードに気付いたオーウェンが走り寄るとリードが手を振った。
「さっき、終わったところだ。魔物よ、大人しくしていただろうな?」
隊長の言葉に一瞬フリーズしてしまった。
──魔物疑惑、再び?
固まるナナシに、オーウェンとリードが苦笑する。
──隊長に関しては、前言撤回。やっぱり、嫌な奴だ!!!