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「しかし、呼び名がないと不便だな」
携帯食糧を頬張る自分の頭を優しくポンポンと叩きながらリードが言った。
「名前、少しでも思い出せない?」
オーウェンや他の騎士達が心配そうに顔を覗き混んでくるが、全く思い出せないので頭を左右に振った。
「頭でも打ったか?」
「怪我は無いように見えるが……」
「なら、森から出るまでの間だけでも俺らで名前付けません?」
一人の若い騎士が提案すると、何人かが同意する。
「君も俺達が名前決めちゃっていいかな? 気に入らなければ、嫌って言ってくれていいから」
特に不満は無かったので「はい」とだけ答えると、騎士の数人が集まってきたので、少しワクワクしながら様子を見る事にした。
隊長も近くで様子を見ているが、そちらは無視をすることにする。
「取り合えず、一人ずつ候補を出していこうか。まず、俺から。森で見つけたからフォレス」
「まんまだな」
「だな、次オレな。んー目が緑色だからグリーン、いや、エメラルドとか」
「何か違うな」
「んだと!?」
「ちっこいから、ちび」
「でかくなったらどうすんだよ」
「シャーリー」
「それ、お前の元カノの名前だろ……」
『えぇ……』
「──魔物」
『……』
無言で見ていた隊長がぼそりと呟いた。騎士達が隊長を振り返るともう一度ぼそり。
「魔物」
「……隊長、それ、名前じゃないッス」
若い灰髪の騎士が突っ込んで、苦笑いする騎士達の様子からこれが隊長の通常運転らしい。が、当然『魔物』呼びは却下だ。本当にどれだけ人を魔物にしたいんだか。
「他は何か無いか? リードさん、ここは最年長者の意見をお願いします」
「名前がないからナナシ、とかでいいんじゃないか? 森を出るまでの仮の名前なんだから、正式ものは後で構わないだろ? 君もいいか?」
リードに問われ、安易だが無いよりは良いと思いコクりと頷いた。その横で、「なら、フォレスでも……」「エメラルドでも……」という声が聞こえたが聞かなかった事にした。
「魔物……」
ぼそりと隊長が呟いた。
──まだ言うか。
少し気になったので軽くリードの服を引っ張るとリードが此方を向いた。
「ん? どうした?」
「何であの人が隊長なの? リードさんの方がが年長者なのに」
小声で尋ねるとリードが苦笑する。
「まあ、確かに年は俺の方が上だがな。隊長は伯爵家で俺はしがない男爵家の人間だから、身分では隊長の方が上なんだよ。誤解しないでくれ、隊長は悪い奴じゃ無いんだ。ただ、貴族にしちゃ生真面目というか、堅物というか、ちょっと思考が斜め上というか、それが、まあ今みたいに悪い方向に向いちまう事があるんだ。隊長はまだ若いし、色々と必死なだけだ。ナナシも悪く思わないでやってくれ」
「隊長って何歳?」
「26歳だ」
「にじゅうろく……」
三十代かと思った。考えが顔に出ていたのかリードに苦笑いされた。
食事を終えると、騎士達は野営の片付け始めた。特に手伝えることも無かったので、邪魔にならないように端によって座って見ていると隊長がやって来た。何かと思って見上げると隊長此方を睨み付けている。
「命拾いしたな、魔物よ。だが、私は騙されんぞ。貴様の正体を直ぐに暴いてやるから覚悟しておれ!」
そう言って踵を去って行った。
「……」
──何あれ。捨て台詞? 正体ってなんだ。
隊長による魔物疑惑は当分続きそうだ。様子を見ていた騎士達に同情の籠った眼差しを向けられた。
野営場所から町までは実は然程離れてはおらず、半日もあれば戻れるらしい。なので、先にナナシが目を覚ました洞窟迄行ってみることになった。
「ナナシ、どの辺りから来たかわかるか?」
「えっと、この湖の反対側で……確かあの辺りです。ところで……」
「逃がさんぞ、魔物」
「逃げませんて」
自分は相変わらず隊長の小脇に抱えられた状態だ。うんざりした顔をすると後ろを歩いていた騎士と目が合い苦笑いされた。出発前に危うく縄で縛られそうになった事を考えると、幾分かはマシと思うしかない。
「あっ、ありました。ナナシ、これか?」
先を歩いていた若い騎士の二人が木に着けた傷を指した。
「此方にもあったぞ!」
「此方にも!」
矢鱈と気合いの入った若い騎士達が木に着けた印を次々見つけ、それを頼りに進んで行くと小一時間程で洞窟まで辿り着いた。
「本当にありましたね。洞窟」
「思っていたより結構な距離を歩いていたみたいですね。ナナシ、疲れてないかい?」
そう言ってオーウェンが水筒の水を分けてくれた。自分は隊長に抱えられていたので全く疲れてはいないが、有り難く受け取った。
「こんな所に洞窟があったとはな。やはり、森の調査自体はした方が良いだろうな」
蔦が蔓延り、鬱蒼とした木々の間、ぽっかりと空いた洞窟の穴をリードが腕を組んで見つめる。
「今まで調査しなかったんですか?」
「ああ、森自体の規模はそこまで大きくは無いんだが、一年間を通して霧が深くて、今みたいに晴れていることの方が少ない。中々調査出来ないんだ。濃霧のせいか、森へ入った人間が消えるとか、森には得体のしれない魔物が棲んでいるなんて噂もあって──」
「魔物……」
「いや、実際に誰か消えたなんて話は聞いたことがないし、魔物の話も眉唾物だって皆思ってるよ。ただ、霧も深いし、何があるか分からなくて危険だから基本、近づかないようにと注意換気はしてあるけどな。後は魔素が溜まりやすいとか……」
「……」
リードを疑いの目で見ると、そっと目を反らされた。確かに騎士の皆さん眉唾物だと思っていらっしゃるだろう、ただ一人を除いては。そう、ただ一人を除いては。
──だから、隊長は自分を魔物だと思ったのか。けれど、他の騎士達が誰も信じていないような噂を隊長は本気で信じているだろうか。
「とっ、ところで、洞窟内はどうなってたんだ?」
やや無理矢理に話題を変えたリードをじと目で見るとリードはバツが悪そうにしている。
「そんなに深くなかったですよ。奥の方が広間みたいに開けていて、吹き抜けになってました。目を覚ました時月が見えましたし、あっ精霊石もそこで見つけました」
「精霊石!?」
茶髪の騎士が勢いよく割り込んできた。驚いて思わず後ずさってしまった。しかし、茶髪の騎士は青い目をキラキラと輝かせながらナナシを覗き混んでくる。
「あ、オレはアンソニオな、ナナシ。で、精霊石は何処にあったんだ?」
「こら、アンソニオ! 浮かれるな、これから調査するんだからな」
アンソニオはリードに後ろを頭を叩かれて、涙目になっている。
「だって、リードさん、あんな純度の高い精霊石なんて、庶民出の平騎士には一生お目にかかれないんスよ! 興奮しない方が変ですよ!?」
「安心しろアンソニオ。俺も一応貴族の端くれだが、貧乏であんな高価な精霊石とは一生縁がない。だから、落ち着こうな」
「……そんな悲しい事言わないで下さい」
興奮気味のアンソニオの肩をガシッとリードが掴んで言った。なんだか目が恐い。プルプルと震えるアンソニオを見るとニヤリと笑う。からかっただけらしい。
「冗談はさておき、今まで誰も調査していない場所だ。森へ入ってから今まで何もなかったとはいえ、何があるか分からん。気は引き締めておけ」
「はっ、はい!」
成る程、若い騎士達は精霊石目当てに気合いが入っていたらしい。
「オーウェン、アンソニオ貴様等がまず中に入って危険がないか調べてこい」
「はい!」
隊長がオーウェンとアンソニオに命じた。どちらも少し嬉しそうだ。
「念のため、腰にロープを巻き付けていけ。奥に着いたら合図しろ」
オーウェンとアンソニオが入っていき、暫くしてから合図が来た。やはりそんなに深い洞窟ではないようだ。それからまた合図があり、オーウェンが戻って来た。
「オーウェンどうであった」
「実際に見て頂いたほうがよろしいかと……」
隊長が尋ねると、オーウェンは少し興奮した様子だ。何か見つけたのかもしれない。
入り口の前に騎士を二人残して、洞窟中と外の調査班に分かれ洞窟内には隊長を含む数人で入る。ナナシは隊長に抱えられたまま移動することになった。
ナナシ一人だとそれなりに広さがあるように感じていたが、大男が数人入るとかなり狭い。行き止まり迄来ると「上です」と待っていたアンソニオが上を示した。隊長と騎士達も顔を挙げる。
「これは……凄い」
「綺麗……」
目を覚ました時は暗くて気が付かなかったが、吹き抜けに向かって精霊石の結晶がびっしりと生えており、それが日の光を反射してキラキラと輝いていたのだ。
「ナナシは見ていなかったの?」
「自分が目を覚ましたのは、夜でしたし、目を覚ましてからは洞窟の入り口付近の苔の生えている辺りに明け方まで居ました。夜が明けてからは食糧になりそうなものを探していたので、洞窟内には入っていないんです。こんな風になっていたんですね」
「凄いッスよね。こんなに精霊石があるなんて……!」
「やはり、人の手が入って無いからでしょうか?」
「だが、手の届く範囲には殆んど無い。登って採掘するにしても人員も装備も足りておらぬ。どちらにせよ、戻ってから出直すしかあるまい」
隊長と騎士達が戻る算段をしている間、ナナシは吹き抜けから入って来る光に照らされた足元をぼんやり眺めていた。ふと、何が目に入った。
「あれ、何です?」
「何だ、魔物よ」
「足元。あの苔が生えている辺りに何か書いてあります」
「ここかい?」
ナナシの示した辺りにあったのは絵のような文字のような模様だった。その模様に沿ってオーウェン達が苔や草を払っていくと広間をぐるりと一周する円形をしたものが表れた。
「これは……魔方陣?」
「最近のものでは無さそうです。一体誰がこんなものを」
「これは、古代文字かもしれんな。もしかすると、ここは何かの遺跡なのかも知れぬ。洞窟の外にも何かあるかもしれん。一旦出るぞ」
洞窟から出ると既に外側の調査班が既に戻って来ていた。
「何かあったか?」
「妙な文字を見つけました。恐らく古代文字かと」
そう言ってリードが洞窟の入り口から少し離れた場所を示した。蔦や木の枝が這っている岩を指す。その岩には洞窟の奥にあったものと同じ様な模様が刻まれていた。
「ここが何らかの遺跡であれば恐らく、魔導師の管轄になるだろうな」
そう言うリード達の顔は厳しい。
「魔導師さんの管轄になると何か問題あるんですか?」
「遺跡の調査は俺達には出来ない。だから、調査を任せる事自体は良いんだがな。俺たちが先遣隊として調査して見つけたものまで──、今回はあの大量の精霊石だな。が、魔導師部隊の手柄になっちまうって訳だ」
「なんと! じゃあ、あの精霊石が全部その魔導師部隊の物になるんですか!?」
──成る程、それで騎士達が皆、険しい顔をする訳か。
「いや、正確には国の物になる。だが、手柄を立てた部隊は優先的に利用出来るようになる」
「じゃあ、騎士さん達も利用できるんですよね? 問題ないんじゃ……」
「そこは違う。手柄を立てた隊が優先的に使えるだけで、後は国の護りの強化や近衛騎士、研究用に使われて俺達には殆んど回って来ない」
「全く損な役回りだろ?」
アンソニオが吐き捨てる用に言った。
「その調査を共同でするなんて事は出来ないんですか?」
「無理だろうな。俺達には古代遺跡に関する知識も経験もない。精々、魔物や野生動物から調査に来た魔導師達の護衛する程度だ。魔導師は強い魔力を持っているから、そもそも護衛なんて必要ないけどな」
──探索だけさせて手柄は横取り、面白くないだろうな。
眉間にシワを寄せていると、頭をポンと叩かれた。見上げるとリードが苦笑いしている。
「悪いな。子供のお前にするような話じゃなかったな。気にするな。お前らもあんましみったれた面すんじゃねぇぞ!」
「リードの言う通りだ。我々は我々の職務を全うするだけだ」
「まぁ、あんだけ大量の精霊石だ。少しくらいオレ等にもおこぼれがあるでしょ」
「さぁ、騎士団本部に戻るぞ。魔物の正体も暴かねばならぬ!」
リードのお陰で、暗くなっていた雰囲気がもとに戻ったようだ。
──最後の一言は余計だけど!