13
ウンディーネの話によるとこの魔法遺跡のせいで森の中の時間が狂ってしまったらしい。
「《時を渡る》とは一体どういう事でしょうか?」
魔導士フレディが興奮気味に尋ねる。その瞳は好奇心に満ちている。
「言葉通りの意味だ。現にその子供は時を渡ったであろう?」
「それはつまり、未来や過去に移動するという事ですか? そんな事が可能だとは思えません」
「まぁ、魔女が作ったものじゃからな。世の理に背く事も可能なのだろう」
世の理とは即ち自然の摂理。精霊使いの力は自然の力でもある。5大元素を元にした魔法だ。魔女の使う術は全てでは無いがそれに反しているというのが一般論だ。
「ところで先程の悪魔については? 何か知っている様なご様子でしたが?」
「悪魔?」
ウンディーネはそれがどうしたんだと言わんばかりに眉を顰める。
「何か知っている事があるのですか?」
ナナシが恐る恐る尋ねた。少しでも手掛かりになる事があれば良い。
「そう言えば、彼奴はお前を追いかけていたな。どうせまた、《精霊の盾》目当てにやって来たのだろう。あれは本来西からやって来て、病を広げて飽きれば勝手に去って行くものだ」
ウンディーネの言葉に一同は目を丸くした。ウンディーネは悪魔にあまり興味が無い様だ。
──オーウェンさんや多くの人が流行病で苦しんでいるのに、ウンディーネ様の言い方では、悪魔は関係ないみたいだ。
ナナシは僅かに違和感を感じた。
「去って行く? 《精霊の盾》が目当てでランドルフ領にいるのですか?」
「ああ、一部の悪魔は《精霊の盾》を始めとする《精霊王の武具》を欲しがっている。正式な継承者が現れると奪おうとやってくるのだ。ただ、彼奴は《浄化の花》があれば力を弱める事が出来る。故に然程気に留める事でもあるまい」
──気にするものではないなんて! やはり、精霊様と人とでは感覚が違うのかもしれない。
ナナシは内心で沸々と湧き上がる怒りを感じた。
「悪魔が去れば病は収まるのですか?」
「病は病として残るが、自然に収まるだろうよ」
「そんな!」
──それでは、オーウェンさんは助けられないかもしれない!
ナナシはウンディーネの言葉に愕然とした。一方のウンディーネはナナシの様子に顔を顰める。
「子供、元はと言えばお主が彼奴を連れてきたのだ。お主が元いた場所に戻れば良いだけだ」
ウンディーネは愕然とするナナシに呆れたように言った。
「話は終わりだ。さて、子供。お前は次の新月の晩までに事象を揃えて来い」
ウンディーネはそれだけ言い残すとあっと合う間に消えていた。
「次の新月の晩、……明後日だな」
一同が呆然とする中、グレアムが指折り数える。
「この森に長くいて大丈夫なのか?」
リードのの言葉にグレアム達は顔を見合わせた。ウンディーネの話では、魔法遺跡は《時を渡る》為のもので、あれが作動した事でこの森時間が狂ってしまったと言っていた。
「先程、ウンディーネ様はあれがあるからこの森の時間が狂ってしまったと言っていました」
「前回のように此処に長く居るとまた時間が経ってしまうのではないか?」
全員の顔が青くなる。
『心配せずとも良い。妾がアレの力を霧の結界で抑えている間は無為に時間が経つことはない』
何処からともなくウンディーネの声が木霊した。姿を消しただけで聞いていたらしい。気付けば霧も晴れている。
「魔道士フレディ、事象を揃えるというのはどうすれば良いのだ?」
「条件を同じにするという事です。恐らく魔法遺跡が取り込んだ魔力や影響を受けたものがあれば良いのです。ナナシちゃん何か覚えていませんか?」
「必要なものは……森に居たもの」
──あの日この森にいたもの。
ナナシは森にいたものを思い浮かべる。ナナシとウンディーネ、恐らくあの悪魔もいただろう。
「にしても、ケヴィンは森に入っていないのに何故、魔力を奪われたのであろうか?」
グレアムが疑問を口にした。ケヴィンは森にいなかった、それはケヴィン自身も言っていた。なのに、精霊使いとしての力を奪われている。
──私は何かケヴィンに関係するものを持っていなかったか?
「コインだ」
唐突にナナシが言った。
「コイン?」
ナナシの言葉に魔道士フレディが問返す。
「私のシャツにケヴィンがおまじないをかけたコインが入れてあったんです」
ナナシの頭に浮かんだのは、あの銀色のコイン。あれには確かケヴィンのまじないがかかっていた。あれを通じてケヴィンは魔力を奪われたのだろう。
「成程、有り得ますね」
魔道士フレディが合点がいったとばかりに頷いた。
「まじないの種類に寄りますが、ケヴィン執事はナナシちゃんの身代わりになるまじないをかけていたのだとすれば、納得がいきます。ただ、ケヴィン執事の魔力だけでは足りず、ナナシちゃんからも奪ったのでしょうが」
それだけあの魔法遺跡は大量の魔力量を必要としているのだ。
「因みに、そのコインは今何処にありますか?」
「うちにある」とグレアムがすかさず言った。
「ベラから受け取っている」
「では、ランドルフ家に戻って準備を整えよう」
皆が、戻ろうとする時、ふとナナシは疑問に思い尋ねた。
「あの日、あの森には悪魔もいました。あの悪魔はどうするのですか?」
「悪魔に関しては此方で呼び寄せましょう」
「方法があるのですか?」
ナナシが尋ねると魔導士フレディが神妙な顔で頷いた。
◇◇◇
──新月の夜がやって来た。
ナナシは《嘆きの森》の入り口に一人佇んでいる。魔導士フレディの言葉を思い出す。
『悪魔を呼び寄せるにはナナシちゃんを一人になって貰うしかありません』
『危険ではないか?』
グレアムが渋い顔をする。
『ですから、我々少し離れた場所でナナシちゃんを護衛します』『だが……』
まだ、渋い顔をするグレアムに、リードが言った。
『ウンディーネ様が森にいます。あの方の援護に期待しましょう』
『私は大丈夫です。悪魔を連れてきてしまったのは私のせいだもの。きっと成功させて見る』
昨日、そう言い切ったものの、正直怖い。
夢の中で追いかけられた時も恐ろしかった。けれど、私が、過去に戻る事でオーウェンさんや流行病に罹った人々が助かるならと意気込んだ。
夜も更けて来た頃、背後で誰かの草を踏む音がした。
──来た!
ナナシは覚悟を決めて振り返った。そこに立っていたのは病床で寝ているはずのオーウェンだ。正確にはオーウェンの姿をした悪魔。
「オーウェンさん……」
「ナナシ、こんな夜遅くに何をしているんだ?」
にこやかに話し掛けてくるオーウェンにぞわりと肌が粟立つ。同時に足が震えた。
「オーウェンさんじゃないですよね」
「やっぱり、バレているね」
ナナシが睨むと、ふふっとオーウェンの姿をした悪魔は嘲笑う。ナナシは一目散に駆け出し、《嘆きの森》に入った。