12
──3日後。
新たに《嘆きの森》への派遣が異例の早さで決まった。オーウェンの経過観察の事もあり、医師イライアスと薬師ドミニクは詰め所に残り、定期的にオーウェンの容態の診察に通っている。
《嘆きの森》への調査メンバーには勿論、魔道士フレディが参加している。彼はランドルフ領への派遣メンバーの中では特に有力候補だったらしく、彼の部隊に先遣隊の隊長はグレアム、リード、元々先遣隊に参加していたアンソニオを加える事が出来た。
このアンソニオに関してはオーウェンとともに聞き取り調査には行っておらず、悪魔憑きでない事が証明されている。
「あれ? ナナシちゃんも来るの?」
部隊の中にナナシを見つけたアンソニオは不思議そうな顔でナナシを見つめる。
「えっと」
「そうなんです」
ナナシが返答に困っていると何処からもなく魔道士フレディが現れた。
「ナナシちゃんは《嘆きの森》で記憶を失いました。なので、《嘆きの森》に記憶を戻す手掛かりがあると思われます。危険ではありますが、霧が晴れている今でなければ、この方法は試すことが出来ません。ですので、今回この子を同行させる事にしたのです」
魔道士フレディはグレアム達との打ち合わせ通りにスラスラと答えた。
「へー、そうなんすね!」
アンソニオは特に不思議に思う事も無く、彼の言うことを信じたらしい。ナナシと魔道士フレディは胸を撫でおろし、自分の定位置に戻るアンソニオの後ろ姿を見送った。
「アンソニオさんにも秘密にするんですか?」
ナナシが尋ねると「そうだね」と魔道士フレディが頷いた。
ナナシがもし本当にナタリー・ランドルフだとしてもそれを周りに周知させるのは躊躇われた。要因としては、自分達自身も完全に信じきれていない、確証も無い状態で他者に信じてもらうのも難しいという事。また、素性の分からない子供をいきなりランドルフ家の子供などと言ってしまえば要らぬ憶測を呼ぶ可能性もあるだろうという事だ。
また、別の要因としてオーウェンに憑いているであろう悪魔が別の人間に取り憑く可能性もあり、その際、周知していない方が都合がいいと思われた。
「精霊ウンディーネは君を《嘆きの森》へ呼んだ。これで確証が持つ事が出来れば、君への対応も考えられるだろう」
「対応……ですか?」
グレアムの言葉にナナシが首を傾げた。
「ランドルフ家の養子として君を迎える。あるいは、ランドルフ家がお前の後見人となる事だ。もし君がナタリーなのであれば、本来、お前はこの家の嫡子なのだから当然だろう」
ナナシは目を丸くした。
──人の事を魔物だ何だと言っていた人物とは思えない。
と思わず口に出そうになった言葉を心中に留めた。
そんなやり取りをしながらも森に着いた。ナナシはこの森の精霊ウンディーネから招待をされている。一体これから何が待ち受けているのかと、ナナシは緊張で身を固くした。
──一時間後。
意気込んでいたものの、精霊ウンディーネは一向に現れない。肩透かしの気分だ。
「現れませんね」
魔道士フレディが呟いた。何処かガッカリした様子だ。
「何処かで様子を見ているのかもしれません」
「約束を忘れているのでは?」
グレアムが言うとすかさず魔道士フレディが首を左右に振った。
「精霊は約束を違えません。それは無いでしょう」
「だが、気紛れでもあると言うだろう。我々が準備をしている間に気が変わったのやもしれんぞ」
“精霊は気紛れである”。それは魔道士フレディも知っている。だが、上級精霊であるウンディーネが態々、人前に現れ名指しで誰かを呼んだのだ。何かしら重大な事象がある筈と魔道士フレディは内心でワクワクしていた。
「歩き疲れていない?」
「大丈夫です」
「水場も近い少し休まないか?」
休まず歩き続けるナナシを心配してリードが声を掛ける。リードが指を指した方に、小川があることに気が付いた。ふと、ナナシの頭の中に映像が流れた。
小川の辺りで小さな花を見つけ、慌てて近寄る。そっと花に触れると白い花弁が揺れる。
『──これも違う。一体何処にあるの?』
誰かの声が頭の仲を反芻した。ナナシ自身の声だろう。酷く落胆した声だ。
──そうだ。私が探しているのは、半透明の花。
ナナシの足が自然とそちらへ向かって歩き出す。
「ナナシちゃん?」
「どうした?」
驚いたリードとグレアムが慌ててナナシの後を追った。
「あ、いや。この辺り見たことがあるような気がして……私、花を探していたんです。半透明の花」
「半透明の花?」
グレアムが訝しげにナナシ見る。
「もしかして! 記憶が戻ったの!?」
魔道士フレディがはっと目を見開いた。
「いえ、断片的にです。でもどうして急に……」
「それは森が覚えているからだ。お前の記憶は森に散っている」
ふわりと空気が揺れて薄紫色がかった銀髪が揺れた。卵型の顔に長い睫毛、整った鼻梁。どれを取っても完璧としか言いようのない顔だ。無表情の顔が上からナナシを見下ろしている。
「……っ!」
驚いてナナシが息を飲む。
「漸く来たか。待ち草臥れたぞ」
「ウンディーネ様!?」
リードが叫んだ。
「何だと」
慌ててグレアムがその背にナナシを庇うと、ウンディーネご眉を顰める。
「ふん! これでは妾が悪人の様では無いか。妾はその子供を攫う事も出来たというのに態々貴様らに声を掛けてやったのだぞ」
「何だと? どういう事だ?」
「もしかして精霊様は4日前の夜一度は私の所にお越しになったのですか? 私は夢だとばかり……」
「如何にも」
はっとして4日前の夜の事を思い出したナナシが尋ねると、ウンディーネはにんまりと笑った。
「何故黙っていた!」
困惑するグレアムが顔を真っ赤にしてナナシを怒鳴る。ナナシは身を竦めた。
「隊長今はそれどころではありません!」
「そうですよ! 周りを見てください!」
リードと魔道士フレディに窘められ、グレアムが周りを見回すとと辺りは霧に覆われている。
「これは、一体」
「やはり、《嘆きの森》の霧は貴方が張ったものだったのてすね」
魔道士フレディが目を輝かせる。
「やはり、あの霧は悪魔を封じ込めるものだったのてすか?」
「悪魔だと? ああ、彼奴の事か」
ウンディーネが胸の前で腕を組み首を傾げた。ふと思い浮かぶものがあったのだろう。
「ご存知なのですね! では、ウンディーネ様はあの悪魔を退治しようと」
「何を言っている。何故妾が人間の為にそのような事をせねばならぬ」
「では何故……」
困惑するグレアム達をよそにウンディーネは飄々と告げる。
「妾はあれを壊したい」
ウンディーネがスラリと長い指であれを指し示した。
「昔にここに住み着いた魔女が創り、捨ておいたものだ。作った魔女はとっくの昔に死んでいる」
「あれは? 魔法遺跡ですか?」
皆一同に目を丸くした。ウンディーネが指し示したものはナナシが此処で目覚めて一番最初に目にしたあの洞窟だった。
──何時の間に?
先程は小川の辺を歩いていた筈なのに、何時の間にか洞窟の近くまで来ていたのだろうかと考える。
「あれは時を渡るらしい」
「「何だって!?」」
ウンディーネの言葉にグレアム達は更に驚愕の表情を見せた。
「だが、その子供の魔力と記憶、もう一人分の魔力、それだけでは飽き足らず!妾の魔力を喰って漸く作動した。全く迷惑極まりない代物よ」
ふんと鼻息荒く言い放つ。
「精霊の魔力を喰うなんて……! 一体どんな外道な代物なのだ」
元来、精霊の力は借り受けるものだ。それを喰らうというのは無理やり力を奪い取る事に等しい。かなりのリスクを伴う。
「おかげで妾は長らく眠っていた。故に元に戻す。幸い力の残渣は精霊石として残っている」
「あの精霊石はウンディーネ様やナナシちゃんの魔力だっていうのか」
魔道士フレディは呆然とした。精霊の物だけではなく、恐らくナナシの力も元来相当強いものだろうと推測した。
「そうだ」
「ですが、元に戻すことなど出来るのですか?」
魔道士フレディが尋ねると鷹揚に頷いた。
「事象を揃えれば何とか、幸い発動してからそう時間は経っていない」
「元いた場所に帰れるのですか?」
「ああ、お主の記憶も戻るだろう」
ナナシは光が見えた気がした。